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非効率な利益の正体とは
効率が「利益」を生み、非効率が「魅力」を生む。どこかで聴いたようだが定かではない。
ビジネスである以上、あくまでも利益の追求に他ならないのは言うまでもないでしょうが、企業に魅力が無ければ社員は集まらないでしょうし、お客様も振り向いてくれないでしょう。お客様が居なければ当然利益が出るどころか売上にもならないし、社員を雇用することもできなければ商売することは難しくなることは理解できるでしょう。単純なことですね。

ブルシット・ジョブという言葉があります。
先進資本主義国の約1/3が自身の仕事を「ブルシット・ジョブ」(クソどうでもいい仕事)とみなしている。といわれる現代社会。
このようなタイトルの書籍が結構売れているようですが。。。

確かに言われて見れば、、、と感じる人は多くいるでしょう。その仕事や作業が本当に生産性を生むのかどうか。必要な仕事とは感じずに人件費を掛けているとか。万ねん赤字の事業部をなぜ抱えているのか。また、20:60:20という法則もあります。ホワイトカラーやブルーカラーという見方もあります。自分の仕事のことで悩まされたり、不安を感じてモヤモヤする人もたくさんいるでしょうが、まずは与えられた仕事に向きあっているかどうか。を自問自答してみましょうか。

ただ存在するだけで大きな成果に繋がる人材もいます。ムードメーカー的な人材もいます。彼らを給与泥棒と言ってしまうのは簡単かも知れませんが、代わりの人材はいるのでしょうか。あなたはその役割を担うことができるでしょうか?日本の企業では少ないかも知れませんが、マネジメント職に付いている人材は、決して目の見える作業を持っているわけではありませんが、思考を凝らして采配等や「決断」を行う重要なポジションを担っています。誰でも簡単にできる要職ではありません。

ある程度年齢を重ねている社員は、若い社員の台頭に苦慮するでしょうし、体力も失い掛けているのに、住宅ローンや子供の成長に合わせて勤続年数に応じて比例する高給を賜りたいことでしょうが、年功序列的な発想の企業形態が崩壊している中(過去の永久雇用等が見直されているようですが)、余程の経験値やノウハウを持っていなければ起死回生は難しいかも知れません。私の友人も公務員だったら良かったなどと愚痴をこぼすのを見掛けます。(公務員の方がもっとしんどいぞ)

本当の意味合いで会社に必要な人材とは、、、仕事へのプライドよりも自分に対して、世間や社会に対して「誇り」を持っている人材かも知れません。

そういう上司や経営者にめぐり合う為にも、非効率な利益を考えてみてはいかがでしょうか。

単に安売りなどの価格追求の餌になるようであれば、一過性の売上は確保できるでしょうが、キャンペーン等が終了してしまえば、また売上は落ちることでしょう。お店の前の清掃や通行人へのご挨拶、通学路などの声掛けやお年寄りへの配慮、ちょっとしたコンビニでの買い物にマイバック等、、、、まだまだ沢山あるのですが。これらの大半は就業中ではあるものの、具体的なマニュアルにも掲載されていないのです。ボランティアかも知れませんが、駅前などの清掃等は自治体が行っているものではありません。仮に行政が動いているのであれば、その分の市県民税は多く徴収されているはずです。会社周辺〇〇km圏内清掃などは、会社が決めるかも知れませんが、ほうきで野球をしてみたり大声で騒いでみたりなど、やらされ感満載の光景も珍しくありません。返って街の人々からは反感を喰らっていることでしょう。そんな事もわからずに、売上が上がらないなどいくらぼやいたところで改善することは難しいでしょう。
つまり、社会や街から地域の人々から「淘汰」されているのです。

魅力ある企業にはお客様の支持をもらうばかりか、街や社会が応援してくれるでしょう。会社の士気や個人のモチベーションアップにも繋がるでしょう。

いわゆる気持ちの問題です。
メール(タイピング)慣れしていると手書きの文書等を書くことも少なくなったでしょうし、書くことすら機会が無い方が多いでしょうが、相手が同世代で同環境の人ならまだしも、自分の両親や高齢者層となると変わって来ます。
彼ら彼女らは手書き世代です。むしろPCが苦手な人種です。こういう人達が、自社の顧客属性に係わっているなら、手書きの文書や書面等、少なくとも署名等だけや口添え的な会話など、ちょっとした気遣い程度でもかまわないので、手書き文書にしてみたらどうでしょう。温かみなど魅力的に感じませんか?通販などが流行っていますが、PCで売った伝票だけなのか、ちょっとした季節折りの手書きの手紙を添えるだけでも、それがたとえコピーであったとしても会社の魅力を感じます。

スーパーに行くと地産地消のコーナーを良く見掛けます。地元で育てた農作物が主流ですが、顔が見える写真付きのコメントが添えられていませんか?タイミングが合えば、品だしや返却物の作業でお会いすることもあります。値札を見たことがありますか?決して安いだけのものだけではありませんね。無農薬とか、形が崩れているものもあれば、大量販売品より高い場合も良くあります。しかしながら、どちらかというと完売している日の方を多く見かけます。

魅力を感じるか感じないかは、購入者自身の問題であり、良い悪いもないですが、購入層を見て感じてもらいたいのです。だいたいが高齢者層、それ以外では健康配慮等に気遣っている人、実家や知り合いが農作物など一次産業に従事している人、地方や田舎から疎開して来ている人などに限定されている傾向に見え、価格も余り意識していないようです。私もその一人であり、新人教育等含めた研修実務で、無農薬有機栽培のお米や農作物等の栽培から刈り取りまで行って、自然の恵や有難みを説いていましたので、価格も気になりますが、やはりそれ以上に、わが子を持つ親として極力自然のままの恵を息子に味わってもらいたい想いで購入してしまいます。(たまに価格に負けて量販物を購入しますが、やはり比較できないくらい味覚や品質の違いを感じます。)

まぁ歳を取って来たせいもあるのでしょうが、若い時分の代謝よりも高齢での代謝を考慮すると、やはり長寿や健康面において、五感で感じるくらいの差が出ていると思います。結果的に病院へ行く羽目になったり、わけのわからないアレルギー性になったりするのも、もしかしたらその影響かも知れませんね。(その費用もバカになりませんね)

五感と言えば会社によっては、独自の香水?香り等もこだわっており、封書などにさり気なく吹き付けているのも見掛けます。

仕事というのは作業することだけが、手を動かしているかどうかだけではなく、魅力を向上させる業務もあるということです。大半は気持ちの問題であり、お金がかからない事ばかりなのですが、意識するだけで変わって来ると思います。いわゆるこういうことが「おもてなし」の根源なのでしょう。 

日本では合理的なビジネスを追求するものではなく「塩梅良く」とか「いい加減」とか、「そこそこでも」とかなど、曖昧な表現が多くあり、お天道様や同じ志を持つ仲間や、目に見えないお陰様の精神がとても強い思想を持っています。
もともと農耕民族という人種なので分かち合うとか、分け与えるなどの文化があります。私が幼少期の頃には、ご近所に醤油や味噌を借りに行くことなど煩累にあったし、その逆も然りでした。いつもお裾分けと言って、お土産をもらったり、自分たちの家族では食べきれないとかなど、味もへったくりもなく近所へ持って行ったものです。(玄関も開いていたし、普通に出入りしていたような。。。)

今ではすっかりそのような行動を見掛けなくなったどころか、ご近所付き合いそのものが淡泊というか完全に疎遠にされているような気がします。
(我が子が餓死させるような信じられない事件が起きていますが、報道を見る限りでは、その親は二重あごで丸々太っていたようであったと記憶していますが、、、)

最初は誰もがシロウトだった③にも書いていますが、善因善果や返報性の法則というのは、合理的ではなく心情そのものです。私の隣の家の婆さん家の草刈りと雪かきは、年に数回程度ですが、私の仕事です。うちの息子に毎年一万円のお年玉を中学生まで頂いていたのです。いつも車を乗り回して元気だったのですが、今では車の免許を返納をして愛車を処分し、足を引きづっており感染症を嫌がっているので殆ど外出をしていません。だからというわけではないのですが、いつも顔を合わせると声掛けがあって話をして来ました。縁側で飲み物片手に井戸端話です。特にお花の名前の特性などは、さすが年の功もあるのでしょうが、花好きの私よりも知識が豊富で関心させられます。

これからの時代は、高度な専門知己はもちろんのこと、そしてアナログではあるものの魅力の象徴でもある「人間力」を兼ね備えている人材が必要とされるのでしょうね。