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自分の中の親切心を発掘する

筋の良い気遣いを探求する

何度か会っている女性がオールインワンジェルをくれるという。同時に、お相手の誕生日が近いので、何か贈り物でもしようかと考えた。しかし、会い始めて日の浅い相手にあまり高価な贈り物をしたら重く感じるかもしれない。

丁度よい贈り物はないものかと新宿周辺をぶらぶらしていた私は、とある商品の前で思わず足を止めた。

呑みたいプリン

舌の上で溶けてまるで飲んでいるかのような食感のプリンである。

手のひらサイズで約500円と、プリンとしては最高級の値段だが、ビックリするほど高価ではない。しかも、これから貰うオールインワンジェルと同じぐらいのサイズなので、空いたスペースに収まり手荷物が増えることもない。

咄嗟のチョイスだったが、我ながらなかなかいい線いっているのではないか。

渡してみると反応は上々。後日感想を聞くことで話もまた弾む。

正直いうと、女性との他愛もないLINEのやりとりは思考が深まることがなく、その影響でnoteの創作意欲は停滞している。一方、こんな風に関係性を深めていく中で、自分の中に眠っている"新しい親切"を発掘してゆくのは楽しい試みだ。

静かだが暴力的な"関係性の取捨選択"

今はSNSの発達もあって、趣味の仲間が作りやすくなった。しかし、あくまで趣味の間だけの付き合いで、その人のプライベートは全く知らない関係性が多い。(むしろ踏み込んでほしくない雰囲気を出す人もいる)

そこにはなんとも言えない寂しさ&物足りなさが漂う。不思議なもので、人間は理屈抜きに心のどこかで"全人格的な承認"を欲してしまう生き物のようだ。仕事やプライベートなど、自分が持つ顔のうちひとつだけを愛されてもその人をかけがえのない特別な存在だとは思わないようだ。

よく恋愛分野で「異性としての魅力」と「一緒にいた時の安心感」という二つの要素が引き合いに出される。この二要素を高いレベルで兼ね備えた人はなかなかいないため、大半の人はどちらかに重きを置いてパートナーを選ぶことになる。

たくさんの恋愛をして痛い目を見た女性であれば、安心感だけで結婚する人もいるようである。一方、感覚値だが男の場合は安心感だけで結婚する例はかなり稀だと思う。

自由恋愛においては、一緒にいて楽しい&安心できるの後、「関係を次の段階に進展させるか?」と考えた時に異性としての魅力が立ちはだかってくるのだ。「あれだけ仲良くしてたのに、付き合うまでいかずに突然連絡が来なくなった」といって人間不信になる人がいるが、「二次試験をクリアできず落ちた」という話なのではたから見ていると全く違和感がない。

既に惚れ込んでいる側は「悪いところがあるなら直すから、教えて」と訴えても、大体において無言で立ち去る。ストレートに言えば「顔とかスタイル、あるいは長年培った言動がタイプではない。生まれもってのものなので、君自身の努力ではどうにもならない」ということだ。

そんなことを正直に言えば激昂することは確定なので、これから他人になる相手にそんなリスクを冒そうとは思わないのだろう。

親切心と"人を踏み台にする行為"との関係性について

胸が苦しくなるぐらい好きな人が現れた場合、人は何をして良いのか分からなくなる。ところが、そこまで好きでもない人に試した親切な振る舞いならば、自分の脳のメモリーから引き出して実行が可能だ。

親切な振る舞いを試された側からしたら、「異性としてナシなら何度も会うんじゃねえよ。時間は貴重なんだよ」と思うかもしれないが、自由恋愛であればそれは駆け引きの範疇である。それに、男女はお互いに同じようことを日々繰り返している。

「異性と遊ぶのはいつか現れる運命の人を逃さないための練習なんだ」というメンタリストDaigoさんの言葉がここにきて非常にシックリときた。

デートの予定がなければ当日の天気や気温を前々から気にしてプランを練ることなんてなかった。相手の最寄駅の近さを考慮してお店を探すことなんてなかった。話のネタを作るために、相手の好きな分野をネットで下調べすることなんてなかった。デートコースの下見をしてスムーズな動線を意識することなんてなかった。ヒールを履いた相手のために坂道の緩やかな迂回ルートを選ぶことなんてなかった。

積み重ねたそんな小さな親切の一つ一つが、自分をより高い場所に連れて行ってくれるんだ。

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