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プロローグ ーカメー

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 動物園の中にあるレストランは、休日を楽しむ人々で長蛇の列ができていた。列を無視してレストランの中へ入ろうとする僕に対して、不快そうな視線を向ける人もいたが、構わずに足を進めた。
 そのまま中に入ろうとする僕に店員が気づいて走り寄ってきた。まるで小学生を相手にするかのように、きちんと列に並ぶよう丁寧に注意された。これでも中学三年生なのだが、僕の見た目はそれにしては幼く映るのかもしれない。そんなことを思いながら、ポケットに入れていたカードを見せる。店員に何か言われたら見せてくださいと本来の持ち主にいわれたカードだ。どういう効力があったのか相手は顔色を変え、何度も謝りながら中へと案内してくれた。

 この動物園のシンボルである中央タワーは六階建てだ。飲食店やお土産店、展示動物の豆知識などの展示が並んでいる。しかし、一番人気なのは最上階にあるレストランだろう。全面ガラス張りの店内は窓際に座れば景色はもちろん、園内の動物を見下ろすことができる。その光景は何度もテレビや雑誌の取材に取り上げられるぐらい評判がいい。
 特に目玉ともいえるサブマサウルスは、二十年ほど前、無人島で見つかったティラノサウルス科の新種である。絶滅したはずの恐竜が生きていたということで当時はお祭り騒ぎだったそうだ。その騒ぎも五年後に生まれた僕には想像できない話だった。僕らの世代という意味でいえば、生きた化石といわれているシーラカンスもサブマサウルスも同列である。
 発見から二十年経っているとはいえ、他の動物に比べるとサブマサウルスは人気のある方だった。レストラン内にはディスプレイと装飾の意味も兼ねてか、サブマサウルスのグッズが並んでいる。中には精巧なフィギュアもあって、それに合わせたのか内装も人工植物が壁を這い、店員の制服も探検隊を模していた。客にしても動物園に来ているだけあって、軽装がほとんどだ。
 そんな中で明らかに異質なのが、僕の待ち合わせ相手だった。

 すらりと伸びる脚が良く映えるチャイナドレス。着る相手を選びそうな白と金色のそれを見事に着こなしている彼女は、プライベートで待ち合わせるとやたらこうした目立つ服装をしたがるところがあった。
 そんな特徴をもつ羽衣(はごろも)は、本来「うい」と読むのが正しい名前にも関わらず、「はごろも」呼びを強く主張するのでそれに合わせていた。
 僕の姿を見るなり、彼女は立ち上がって頭を下げる。二の腕まで伸びた髪がさらさらと流れた。
「来てくれないかと思いました」
「ここじゃなかったら来なかった」
 席についた僕に羽衣がメニューを差し出す。
 それなりに来たことのある店だ。メニューに目は通してみたが、これといって興味をひくものはない。メニュー表を閉じてテーブルに置くと、羽衣が素早く端に寄せた。
「そう思ったからこの場所にしたんです。普通に誘ったら断られますからね」
 僕は基本的に羽衣からの誘いは断るようにしている。彼女が嫌いなのではなく、変に期待させたくはないからだ。
 それでも場所がこのレストランで、窓際の席という好条件を前にすると断ることができなかった。
 予約制の店ではないというのに、どういう手段を使って人気席である窓際を確保したのか。僕はあえて考えないことにした。
 自称二十五才の彼女は目的のためなら手段を選ばない相手だ。僕の父も同じタイプの人間ではあるが、羽衣の場合は体裁を全く気にしないという点が厄介らしい。社内の人間が愚痴を漏らしているのを何度か聞いたことがある。
 不思議なことにそんな愚痴をいわれてはいるものの、誰も羽衣のことを嫌いだという人間はいない。

 そんなことを考えていると、背後の席で歓声があがった。どうやら外で何かあったようである。窓を見れば、木々に隠れていたサブマサウルスが姿を現したところだった。前傾姿勢で歩きながら、トカゲを思わせる細長い尻尾を揺らす。体長十メートル、高さ二メートルの巨体だ。太陽が爬虫類のような細かい鱗を照らす。ワニの頭を大きくして下顎を深くした形の頭部だけでも一メートルぐらいはありそうなのに、その両腕はついているのがわからないぐらいには短かった。専門家でない僕から見ると、ティラノサウルスとの違いがよくわからない姿である
 足を止めたサブマサウルスが、体を低くしてゆっくりと巨体を持ち上げた。この場所までは聞こえないが鳴いたのだろう。レストランに来る前に寄っておけばよかった。

「今回はいつも以上に断りたかった」
 羽衣の用件はわかっていた。きっと父と同じことをいうのだろう。
 二日前に父と話し合いをしていた僕にとっては、二度も同じ話をするのは避けたいというのが本音だった。
 近くに来た店員を羽衣が呼び止め、チョコレートパフェと紅茶を注文する。
「察しがよくて助かります。お父様のことですから、あまり詳しい話をしなかったのではありませんか?」
 それは父が言っても無駄だと思ったからだろう。肝心なのはそういうことじゃないとわかっているからだ。
 あの人は僕の父であり、不器用なりに僕のことを考えたうえで、結論だけを伝えたのだと思う。
「私も百歩譲って、ルームシェアをしたいという意見はいいと思うことにします。ただ、相手に関しては考え直すべきだと思います」
「断る」
「相手のこともよく知らずに結論を出すのは、愚か者のすることです」
「それを君が言うのか」
 かつて、僕のことをよく知らないまま、家に連れて行ったのは誰でもない羽衣だった。
「逆です。そのようなことをしたからこそ言えるんです。あの時の私は自暴自棄でした。相手を間違えれば、お互い取り返しのつかないことになっていたでしょう」
 羽衣は相手が僕でよかったと思っているようだが、僕には不運としか思えなかった。
 彼女は僕に恩義を感じて慕ってくれているが、人生を棒に振っているとようにしか見えない。もっと別の、今までの不幸が無駄じゃなかったと思えるような、そんな幸福な未来があるように思う。

 運ばれてきたチョコレートパフェを僕の前に移動させ、羽衣は神妙な顔をしてこう言った。
「あの少年は危険です」
 父と全く同じことを言って、羽衣は脇に置いていた封筒から書類を取り出した。
 あの少年というのは、松毬(まつかさ)のことで間違いないだろう。高校入学と同時に引っ越すことにした僕が、ルームシェアの相手として選んだのが松毬だ。同級生ではあるが、僕が今まで付き合ってきた同年代とは違う雰囲気を持っていた。
 羽衣の反応を見る限り、最初に松毬を見た時に似ていると思ったことは伏せておいた方がよさそうだ。
「いいですか、多少の素行の悪さは別としても、彼はいくつかの暴力事件に関与してます。女性関係に関しても複数名の女性と同時に付き合い、家に泊まるのはもちろん、ホテルに行く姿も目撃されています。誠実さが感じられません。幸い、今は大人しくしているようですが、いつ本性がを現わしてもおかしくはないと思います」
 見せられた書類に詳細が書かれているのは想像できたが、僕は目の前のチョコレートパフェを食べることに集中する。
 乱暴な言い方をするなら、羽衣の言っている話は全部過去のことだ。 仮に、過去が変えられないように、どうやっても未来を変えることはできないとする。ならば、僕の人生に救いはない。あのまま部屋に引きこもっているか、もしくは未来を閉ざしていたはずだ。
「最初に会った時だって、近くの席にいた客に突っ掛かってたではありませんか」

 それは先週のことだ。父と僕で選んだ複数人のシェア候補と面会することになっていた。
 数ヶ月間、引きこもっていた僕にとって、他人と関わるのは久しぶりのことである。
恐怖はもうなかったが、何を話したらいいのか全くわからなかった。おかげで何人かを怒らせ、ろくに話もできないまま終わってしまった。後になって誰か同伴させるべきだと羽衣にも言われたが、同伴者ありきで話を進めたところで、一緒に住むのは僕とその相手である。それだと意味が無い。
 そして、最後に会ったのが松毬だった。僕は最初の候補選びの時から彼が一番気になっていたのだ。その時点で父は渋っていたが、あってないような理屈で無理に意見を通したのである。
 それまでほとんどが年上だったのと、僕の幼い外見が影響して相手からは子ども扱いされていた。しかし、松毬はそうじゃなかった。対等というより立場を図りかねていたというのが正しいのかもしれない。それでも僕には充分だった。

 自己紹介を済ませて無言状態になるまでは、他の相手と同じだ。松毬は最初でこそ考え込んでいたものの、途中から全く別のことに気をとられているようだった。
 どうやら、少し離れた席を見ているようだ。やたら大きな声を出す男性がいるなと思っていたものの、そこまで気にもとめていなかった。会話の内容を拾ってみると、男性は一緒にいる女性に対して不満をぶつけているようだった。微かに聞こえる女性の声は、謝罪なのか相槌なのかわからないぐらいに不明瞭だ。

 松毬は何度か立ち上がろうとしては座り直し、舌打ちをした。僕にはその男女の何が気になるのかわからなかった。男性が暴れていたのなら逃げることを考えるが、今のところは騒がしい以外に問題はない。他の客に迷惑がかかるから大人しくしていて欲しいとでもいうつもりなのだろうか。
 態度に出ているほど苛立っているにも関わらず、松毬はその男女について話題にすることはなかった。僕としても松毬があの男女に対して何を考えているのか気になってはいたが、うまく質問できるとは思えず黙っていた。それから二十分ほど経って、僕に一言断りを入れてから松毬は立ち上がった。耐えきれなくなったのだと思う。そのまま、早足で男女の席に移動する。
「相手が反抗しないからといって、調子に乗るんじゃねえよ」
 それまでの我慢に比べると声だけは冷静だった。だが、男性の方はそうではなかった。女性を相手にしていた勢いのまま、松毬に対して喚き散らす。
 間近で怒鳴りつけられているにも関わらず、松毬は男性を見据えるだけだ。それ以上は何も言わなかった。
 しばらく男性の声だけが響く。不意に腕を持ち上げたかと思うと、松毬の肩を軽く突き飛ばした。それまで仏頂面だった松毬の表情に、一瞬だけ笑みが浮かんだのを僕は見た。小さく息を吐いた彼が、ポケットに手を入れる。取り出した物を見た女性が悲鳴を上げた。その手に握られていたのは、刃渡り十センチほどの小型のナイフだ。周囲の視線がその場に集中する。遅れて状況を理解した男性が弁解だか謝罪だかわからないことを早口で言ったが、松毬は躊躇なくその腹部へ目がけてナイフを突き出したのだ。
 腰の辺りを押さえながらから崩れ落ちる男性を見下ろしていた松毬は、最初でこそ無表情だった。やがて、堪えきれなくなったように笑みを浮かべた。
 その手元で弄ばれている小型のナイフには、一滴の血もついていなかった。
 一時は騒然とした店内だったが、小型ナイフの正体が刃先を押すと引っ込むおもちゃだと気づくと、それぞれの日常に戻っていった。
 おもちゃをポケットにしまってから、松毬は小さく息をつく。僕の正面に戻ってきた。目が合うと、さっきの笑顔が嘘のように居心地の悪そうな表情を見せる。
「さすがに、今のを見られたらこれ以上の話は無駄だよな」
 どうして無駄なのかと聞けば、松毬は戸惑ったようだった。
 僕からすれば、その行動理由が知りたかった。結果的に女性を助けた状況ではあったが、松毬は女性の方をほとんど見なかった。それどころか声をかけずに戻ってきたのだ。その話が聞きたいと思ったが、僕はそれをうまく説明できなかった。

「あれは悪いことだったのか?」
「重要なのはその正しさではなく、そういうことを平気で行えることですよ。あの動きは使い慣れている人間のものです」
 僕だけの感覚という意味では、あれが悪いこととは思えない。
「行動が危険というだけなら、君だって危険だ」
 それでも羽衣の危険さがなければ、僕と彼女が会うことはなかったのだろう。
 口には出さないが、僕を家に連れて行った羽衣の行動も悪いことだとは思わなかった。それを許せない人間が多数であるのはわかっている。けれども、僕は僕が相手だという限定で罪とは思っていない。
「私の過ちを思えば、それを否定することはできません。しかしながら、それとこれは話が別です。私が話しているのは誰でもない貴方の話なんですよ。同じように危険であっても、私は貴方を傷つけることはありませんが、あの少年はいつ貴方を傷つけてもおかしくありません」
 僕は底に残ったチョコレートソースを掬うべく、グラスを傾ける。羽衣の前で熱を失っていく深紅の液体が目に入った。今の彼女にとって紅茶は重要ではないのだろう。また話に夢中になりすぎて冷め切った頃に思い出し、一気に飲み干すのだろうかと考える。
 僕もそういう存在であれたら、羽衣の心労も減るのではないだろうか。そうは思っても、僕はこの件に関して誰の指図も受けるつもりがなかった。

「だいたい、一番安全なはずの家から出て行くというのが私には納得できません。引っ越し先の鯨土町(げいどちょう)にしたって、そんな魅力的な場所とは思えませんでした」
 家を出たいと思ったのは、その安全こそが問題だと思ったからだ。それが最善で楽なことはわかっていた。なにより、僕にはそれが許されていしまうような環境にいる。
 だからこそ、僕は出て行かなければならないと思った。
 惰性で生きるのは嫌だった。そんなものは周囲に迷惑を振りまくだけで、無駄にしかならない。
 同じように死ぬだけが終わりなのであれば、僕は僕にできる何かに賭けてみたかった。
 誰にも言ってはいないが、僕はこれを最後の我儘にしてもいいとすら思っている。

 空になったグラスを置いて、羽衣を見据えた。
 いつもより早く紅茶に気づいた羽衣がカップを持ち上げる。
「彼女がいるからそこにした」
 僕の言葉に羽衣はカップを落としかけ、慌てて両手で掴む。
「かのじょ? だれですか、それ」
 そのつぶやきが質問か独り言かわからなかったので、僕は何も答えずに窓の外を見た。
 サブマサウルスはまた鳴いたようだった。それに応えてくる存在まで声が届けばいい。僕はそっと祈った。

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