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無限時間宇宙とそこに散らばる記憶について〜背高泡立草を読んで〜

わたし普段はバンドばかり聞いていて(そこにもいろんな縁があったことについては今度きっと書く)ライブハウスや夏フェスにもたくさん出かけます。

特に思い入れがあるのは愛憎入り混じるROCK IN JAPAN FESTIVAL。日差しにめっぽう弱いタチなので毎年熱中症で倒れては「二度と来ない!!!!!」と誓うのに何故か毎年そこにいるんですよ、茨城のどでかい国営ひたち海浜公園に。そんな夏フェスで去年、忘れられない言葉に出会いました。

「人生で一番大事なものってなんだと思いますか。お金でも人脈でもなく、それは記憶です。」-sumika 片岡健太

その年のロッキンは友達2人に連れられて、だから観るアーティストも2人任せの部分もあって、つまりこの人たちと行かなかったら出会わなかったかもしれない言葉。

そしてそれは、わたしがこれまでの人生で漠然と、だけど確かに大切にしてきたものにはっきりと輪郭を与えてくれた言葉でした。

記憶。

ほっておけばどこかに埋もれてしまう、記憶。

いつか思い出せなくなってしまう、記憶。

何もかもなくなって身一つになったとき最後に残る、記憶。

心理学の授業で習ったけど健忘症(記憶喪失)になった人は、以前嫌いだった食べ物も平気で食べるようになることがよくあるらしいです。それなら、その人のアイデンティティを形作っているのもやっぱり、記憶?

去年の夏から、わたしの人生全体のテーマは"記憶"なのでした。

それで、こんなことを改めて考えたのは「背高泡立草」を読んだからです。第162回 芥川賞受賞作。田舎のおばあちゃんの家にある納屋が草ボーボーになっていて、家族でその草を刈りにいこうってお話です。でも主人公の女の子は面倒くさいし誰も使ってない納屋を綺麗にする必要性を感じないしで「なんで草なんか刈らないかんの?」とごねるんですけど…

「草は刈らねばならない。そこに埋もれているのは、納屋だけではないから。」-背高泡立草より

この一文が最終的には女の子の中でひとつのアンサーになっていて。

本文は草を刈りにいく現在の家族のものがたりと、納屋の周りで起こったいろんな過去のいろんな人のものがたりが1章ずつ交互に繰り返されていきます。その過去と現在には直接的な繋がりはなくて、納屋の周りで起こった無限時間宇宙に漂う記憶がぽつぽつと書かれているんですね。(記憶の性質を捉えていてリアル…)

今年刈ったってどうせ来年にはまた草ボーボーになっている納屋。刈ること自体にたいした意味なんてないのかもしれない。それでも家族が集まって、誰かがそこに訪れて、ほっておけば(納屋のように)埋もれてしまう記憶を掬い上げることは生きる意味そのものなのかもしれないって、わたしはそういう風に読みました。

ちなみにわたしの中で記憶をテーマにした映画で大好きなのは「千と千尋の神隠し」です。

「一度あったことは忘れない。思い出せないだけで。」-千と千尋の神隠し 銭婆

みなさんには大切な記憶、ありますか?

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