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占いと科学 その3

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検疫されたインターネット

医学や科学だけではなく、マスコミの信頼度も落としたコロナ騒動。そんな中で現代人が手にしたインターネット、SNSというツールは真実を探すうえで、とても重要なアイテムとなった。しかし残念ながら救世主にはならなかった。それは有名な動画サイトをはじめ、写真投稿サイトなどが一方向の情報のみを掲載し、異なった意見やエビデンスは除くという暴挙に出たからだ。これは、いわゆる検疫で、とんでもないやり方である。

そもそも科学とはなにか

科学は生活の中でも欠かせないものではあるが、その言葉が意味するものや条件は何かと問われば、案外説明が難しい。そこで分かりやすかった文章を引用する。

「科学」とは、一般に、事がらの間に客観的なきまりや原理を発見し、それらを体系化し、説明することをいい、「技術」とは、理論を実際に適用する手段をいう。
「科学」は、広義にはおよそあらゆる学問の領域を含むものであるが、狭義の「科学」とは、とくに自然の事物、事象について観察、実験等の手法によって原理、法則を見いだすいわゆる自然科学及びそれに係る技術をいい、その振興によって国民生活の向上、社会の発展等が図られるものである。

文部科学省.21世紀の社会と科学技術を考える懇談会
(第3回).資料3-6,「科学技術基本法における「科学」、「技術」及び「科学技術」について,(尾身幸次著「科学技術立国論-科学技術基本法解説」より抜粋),(参照 2023/7/4)
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/kagaku/kondan21/document/doc03/doc36.htm

これは文部科学省の科学についての説明にも、参考文献として掲載されており、とてもわかりやすい内容である。また「国民生活の向上、社会の発展等が図られるもの」というのも、重要なポイントとなっている。

さらに“科学の条件”については、

実は、科学には明確な定義がない。今いわゆる科学と呼ばれているものは経験的に正しいと判断されてきたものの積み重ねなので、科学者はその上に自分の研究を上乗せできるかどうかにかかっている。

科学は、漠然と皆が正しいと思ったから積み重ねられてきたわけではなく、認められる判断基準を満たしたもので形作られてきた。だから科学の堅城は容易には崩れない。

科学の条件 | 京都大学理学研究科・理学部 竹村 毬乃(参照 2023/7/4)

というのが分かりやすく、さらに「ニセ科学」についても書かれており、ぜひ読んでほしいのでURLも紹介しておく。

堅城だった科学とカネ

上記の「科学の条件」にもあるように、本来は簡単に落とせない“堅城”だったはずの科学。しかし、その堅城は自身の思惑だけで動いた識者たちによって、ガラガラと音を立てるように崩れ去ってしまった。心理学や同調圧力、刷り込み効果などを使い、一方向へ誘導していくその行為自体も、残念ではあるが、それもまた科学であったと言うべきだろうか。いや、科学はそんなヤワではなかった筈だ。では何がそうさせたか?
それは力であり権力であり、もっと簡単に言うと“カネ”である。すべてカネで動く社会が、カネで動く学者が、カネで動かないはずの科学を動かすこととなってしまった。その悪影響が最も出たのが医学で、生活に欠かすことのない医療の世界でもあった。

誰も語らなかった未来に与える影響

科学の信頼を大きく落とす結果となった、カネで動いた医学の存在。さまざまな意見を聞く中で、誰も言わなかった重要なポイントがある。それはワクチンが効くか効かないという話でもなく、副作用の有無でもない。人によって意見がバラバラの中では、そんなことはどうでもよかった。
たったひとつ次の言葉がほしかった。それは「未来に影響があるかないか」である。誤解を恐れずにはっきりと言うが、自分も含めて今を生きている人の命よりも大切なことがあるはずだ(感情を押し殺してドライに述べているが、私も自分や身内のことは考えるし、人の命は当たり前に大切である)。いま我々の世代がおこなった行動によって、未来にどのような影響を与えるかを研究するべきだし、科学や医学はそこに重きを置くべきだろう。無論、未来に与える影響とは、人類だけではなく、あらゆる生命体も含めてである。そこにこそ正否の判断基準があり、このままでは人類史の1ページに「未来の影響を考えず、自分たちだけが助かろうとした、自分本位の世代」と書かれてしまうのではないか。

最後に

大まかではあるが科学や医学について述べてきた。人々の幸せのために真実を求めてきたはずの科学であったが、もはや「当たるも八卦当たらぬも八卦」という占いと同じに成り下がってしまったのではないか。いや…違う、本当はもっと醜い。真実よりもカネで動いてしまった科学は、人々の悩みや不安を取り除くために生まれた“占い”よりも、さらに下に落ちたのではないだろうか。
コロナ騒動の中で、カネの魔力に負けた人々の思惑によって科学が破壊されたこと。それは努力して積み上げてきた先人たちの顔に泥を塗ることになったと言っても過言ではないだろう。そして「未来に与える影響」という、もっとも重要なポイントを見失っていったことも忘れてはならない。コロナ騒動で見えた、自分本位で欺瞞に満ちた現代の科学と医学は、このままでは後世の人々から笑われることになるはず。そうならないため今からでも遅くはない、大局観を持った正しい科学へと軌道修正していく必要があるのではないだろうか。

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