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科学と占い その2

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コロナで地に落ちた医学

「セカンドオピニオン」という言葉で、少しずつ、少しずつ、信頼度を下げていった医学。決定的だったのが、コロナ騒動で巻起こったPCRやマスク、さらにワクチンについての論争。これらも意見はバラバラで、「当たるも八卦当たらぬも八卦」の占いと同じである。しかも明確な答えが出ていないのに、それを利益追従で推し進めた医療業界やマスコミ。その結果がどういう効果を世に与えるかを考えずに…。

信じていた科学

私は小さい頃から科学が大好きだった。まるでそこに森羅万象の答えというか、真実があるような気がして。尊敬する偉人たちはニュートン、ダーウィン、アインシュタインと上げればきりがないほど。
そして人類は一歩ずつ、一歩ずつではあるが、相対性理論や量子力学を経て世の真理に近づいていると信じていた。

転換点となったコロナ騒動

そんな中、先人達が積み上げてきた科学を、一気に崩す事件が起きた。そう、先ほども述べたコロナ騒動である。
自分だけは死にたくないという、人の愚かな感情につけこみ、何重ものハードルを無視して人体に投与した。もはやこうなると医学、科学ではない。売りたいだけのマーケティング戦略のみが働いた出来事である。
本来であればエビデンスに基づき、さまざまな対策を判断するべきだった。しかし、識者たちは自分たちに都合の良い情報だけをもとに、儲かる儲からないを基準に人々を誘導していった。
これはガリレオ・ガリレイが宗教裁判で、「それでも地球は回っている」と呟いたこととは程遠い。なお本当にこの言葉を言ったか言わなかったは不明である。しかし、ガリレオにしろコペルニクスしろ科学者たちは、当時の宗教や社会との折り合いの中で、新たな説を唱えることは命がけの行動であったことは間違いない。そんな多くの先人たちが築いてきた科学という石積みが、信念のない学者や企業によって崩壊していく転換点となった。

思惑とエビデンス

エビデンスとは“科学的根拠”である。近年、よく耳にする言葉だが、医学を語る上でエビデンスは欠かせないものといえる。なぜなら、医学にしろ科学にしろ、すべての定義はエビデンスの積み重ねである。しかし、そのエビデンスという言葉はコロナ騒動によって、自由に操れるものだと露呈した。それは思惑で操作できるものであり、数字やイメージもコントロールできてしまう。マスクの効果、超過死亡数、感染者数、陽性者数など、そのすべてのエビデンスに思惑が隠れており、医学も科学も、政治もマスコミも、専門家も学者も、どれも信じれなくなってしまった。とりわけ一方向の科学的根拠で突っ走ったテレビの影響は酷かった。

続く…(2023年7月7日公開予定)

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