死という軸

我々が忌み嫌う死であるが
死は確実に存在する。
理想的な死はあるのだろうか。
死と存在の関係性は
どういったものなのだろう。
誰かが亡くなった時
最終的に残るものは
我々の記憶だけではない。
それ以上の何かが確実に残存している。
自分の死を過去形で考えたらどうだろう。
私は死んだと。
死は未来にあり過去にある。
死は思考を大きく揺るがす
軸として常に存在する。
人が死ななくなったとしたら
人類史上最大の
パラダイムシフトが起こるだろう。
自分の葬式をイメージせよと古典は語る。
誰が悲しんでいるか。
誰が何を思うか。
それを考えながら生きよと。
忘れがちなことでもある。
死せる存在同士が時間軸における
ある一点で交流する時はそれを最期だと
常に思えということである。
つまり最期とは「日常」なのだ。
あなたは最期にどんな言葉を残すのか。
どんな影響を与えるのか。
真髄をえぐり出せ。
そこにやさしさがあれば
未来にある己の死を
さらにその先にある未来から
眺めることが出来るようになるだろう。

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