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私が死のうと思った時。

少なからず、生きてる中で1度は「死にたい」と思った事はないでしょうか。
私は何度もあります。今もどこかで「死ぬ勇気もないから、何となく生きてる」と言う感覚で毎日過ごしてる自分もいます。

生きることって、死ぬよりよっぽど大変ですよね。大なり小なり自分なりの障害や辛いこと、それと一緒に生きていかないといけない。死んでしまえば何も考えなくていいし、そこでその人の悩みは全て消える。そう考える人も少なくはないはず。

だからと言って、私は自殺肯定派と言う訳ではありません。ただ、その人が悩みに悩み抜いた結果出した答えなら決して間違いではないと思います。今この瞬間、自殺をしようとしている人は、もう少しだけ思い留まって欲しいなとも思います。ありきたりかもしれないけど、生きていれば何かしら誰かに必要とされたり、人生を楽しめる何かと出会えるかもしれない。そう、考えてみるのもいいのではないかなと思います。


■最初の自殺未遂

私自身、何度か自殺を図ったことがあります。でも、その時も死にたいと思う反面、どこかで生きたいという気持ちもあったからこそ、ビルから飛び降りるとか、首吊りとかを選ばず、OD(オーバードース)と言う方法を取ったんだと思います。私が19歳の頃、生きている意味を見いだせなくなってしまって家にあった薬とう言う薬を集めて一気に飲みました。
そもそも、なぜ生きている意味が見いだせなくなってしまってかと言うと、母親からの言葉の暴力です。

母親はシングルマザーで私を育ててくれていましたが、何かと暴力を振ったり、「お前なんて産まなきゃ良かった」「生きてる価値なんてない」と言ってきていました。
私も高校卒業したら、さっさと家を出ていけば良かったのに既に「共依存」の関係になってしまっていたのと、母親自身病気持ちだったので、私が出ていったら一生後悔するような気がしてしまって中々その悪循環から抜け出す事が出来ませんでした。

特に母親の言動が酷くなったのは16歳頃からで、2、3日に1回はそのような罵倒や暴力を浴びさせられていました。
ただ調子がいい時は普通なので、「私が怒らすような事をするのがいけない」「迷惑をかけてはいけない」そんな感情を持っていたのを覚えています。

そして、19歳の頃「友達の家に泊まりに行きたい」と言ったことが原因で、理由もなく物凄く怒られ、その時も「お前なんて生きてる価値がないのに、そんな事言うのかよ」「頼むから死んでくれよ」と言われ、その時自分の中で「あ、もう生きていても仕方ない」と思い、自殺をしよう思いました。

それからは上に書いた通り、薬を一気に飲んだらそのまま10分ぐらいで意識を失いました。
しかし、飲んだ量もそんなに多くはなかったので次の日には目が覚めてしまいました。

「目が覚めてしまったのか…」

私が1番最初に思ったことです。死ねなかった…そしてまた迷惑をかけてしまった…。

そう思いながらも、母親に謝りまたいつもの毎日に戻っていきました。



■2度目の自殺未遂

そんな状態で、その環境から抜け出すことも出来ず…と言うより、抜け出す気力もなくいつも通りの毎日を過ごしてました。
ただ、考えて見てほしい。いくら病気とは言え、ほぼ毎日「生きてる価値ない」「死ね」「消えてくれ」「産まなきゃ良かった」とか言われると、だんだん人はおかしくなってくるもので、慣れてきてしまうのです。

もちろん言われれば落ち込むし、死にたいと思うけど「私がいけないんだ」「私さえいなければ良かったのに」とも思うのですが、どこかで「なら産まなきゃ良かったのに」「産んだのはあんたじゃん」と思うようにもなります。
ただ、それを口に出して言うことは出来ないので思うだけです。

ときは経ち、母親の病気が悪化してしまいます。病名は伏せますがある精神病の病でした。
1人にさせられないとの理由で、一時期母親が実家に帰りしばらく離れて暮らしていました。
体調がいい時は、私の方にも来ていたのでいったりきたりしていたのですが、それでも入院するほど酷くなってしまった時期があったので、ほぼ実家の方に居るようになったのです。

その時は、やっと離れられて良かった…なんて思ってたけど、違う所で問題が出てきました。


「お金を貸してほしい…」


母親は今度私にそう言ってくるのです。働いていないし、祖母もそこまでお金を持っている方ではなかったので、仕方ないと思って少しずつお金を渡していました。


しかし、一人暮らしになったのと、もともと母親と一緒に住むつもりで借りてる家なので家賃が決して安いわけではなかったのです。
それに加え色々生活費もかかるので、どうしてもお金を渡せない時がありました。

そしたらまた「生きてる価値がない」と始まったのです。

「私はお金も渡せないほどダメ人間なのか…」

と考え始めたら、いよいよ今まで生きてきた人生全てが無意味に感じてしまい、これから生きていっても仕方ないと思ってしまいました。

ただ、その時は冷静ですぐ行動に起こさず仕事が休みに入る前の日に決行しようと思い、その日までは普通に過ごしてました。


そして、その時は来ました。

普通に仕事を終え、帰り道にコンビニで缶ビールを買って帰ったのです。
ビールで薬飲めば効くのも早いだろうし今度こそいけるだろうと思ったのです。

そして、また家中にあった薬をかき集めました。その時は、母親の精神安定剤や睡眠薬が沢山あり100錠近くあったと思います。

「色々あったけど、やっとこれで終われる。」

そう思いながら、手を止めることなく薬を一気に飲みました。最後飲み終わる頃には、大泣きしてました。

「今まで私と関わって助けようとしてくれた人、その時付き合ってた彼、みんなありがとう。そしてごめんなさい。私はもう生きることに疲れました」

そんな事を思って、また10分もしないで意識を失いました。





……数日経って、わたしは目を覚ました。そこは家ではなく、病院でした。


「あれ?また死ねなかったのか…」


連絡が取れなくなった私を心配して、母親が次の日に来て救急車を呼んだそうです。
散々罵倒吐いてきたのに、そういう時は母親らしく心配する。

まぁ当たり前のことなのかもしれないけど、ずるいよね。


どうやら3日間ぐらい寝てたみたいですが、頭はボーッとするけど普通に生きていました。


ただその時思ったのが「死ねなかったから、もう少しだけ生きてみるか」です。


意識戻ってからは2日ぐらいで退院し、落ち着くまで仕事も休んでそれからは普通に過ごしました。


■その後

私は今でも生きてる意味は見いだせていません。
母親ともどう向き合ったらいいか分からないし、嫌いだけど、嫌いになりきれない自分もいます。
それでも自分を保ててるのは、母親と近すぎず遠すぎずの距離感で居られているからだと思っています。


「私は最低な人間だ」


そう思うことは多々あります。死にたいと思うことも未だにあります。

それでも生きてるのは、死ぬ勇気がないから。ただその中でも楽しいことが少しあるので、それだけで幸せなのかなとも思います。

別に今更隠すことでもないけど、わざわざ人に話すことでもないのでnoteに書こうと思いました。

きっと私より辛い思いをしてる人なんてたくさん居ると思うけど、私は私なりに辛かった事を乗り越えての今なので、最近は自分自身を褒めるようにしています。

「よく頑張った、お疲れ様」


それを言う事で、何となく救われるような気がします。

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