屋上の攻防戦(死)
美談か悲劇か喜劇か、寓話か。語るものの感じ方によって変化する。時代と、時代が発する空気によっても変化する。
かつて人魚姫と呼ばれて美しく命をまっとうしたとされる精霊は、近ごろ、困り果てていた。もう違うの。あのときとは違うの。精霊になったからやっぱり声は届けられないけれど、旋風になったり、突風になったりして、そのとき、誰かに伝えようとした。
中学校の屋上には、カギを壊して侵入した女子生徒がひとり、早朝から私服のパーカーをゆらしながら立っていた。ばさばさ、やたらと業風が届くから、紐もフードも裾も激しく左右に上下していた。
女子生徒の頭にリンクして人魚姫であった精霊は悲鳴をうちがわに響かせる。ダメ、ダメ、今のこの世にうつくしい死なんてないの。中世時代じゃあるまいし、100年前、200年前のお話なんか真に受けちゃダメ!
今の世は広かった。情報がたくさんあって世界のどこにでもいける。いこうと思えば飛行機の翼が手に入る。
人魚姫みたいに、悪い魔女を頼るしか手段がなかった、なんて話は、起きないのだ。
女子生徒は、上下左右にばたびたゆらされる封筒を、鬱陶しそうに見下ろしている。風がうるさいのた。
「……最期なのに最悪……」
呟き、彼女、しばらくは暴風に晒されていた。
ため息をながくひとつ、吐いた。
うらみがましそうに、吐き捨てた。
「これじゃ飛ばされちゃうじゃん」
封筒の中身は、遺書にして告発文であった。悪い女、それに加担する担任の女教師、面白がって笑うだけの男子たち。女子が断罪したいものを名指しであげつらねた、明確な告発文書であった。
少女は、踵を返し、猛る風を掻き分けながら立ち去ろうとした。封筒はパーカーのポケットに乱暴にねじりこんだ。
屋上のドアが閉められる。と、魔法を使うみたいに、船を沈没させそうな暴風は止んだ。精霊は大忙しで南風に相談に向かった。
暖かい、風を一筋、あの子に届けてあげてちょうだい。あの子に空の広さを見せてあげてお願い。広さを、思い出させてあげて。
南風は、人魚姫が好きだったから、二つ返事で了承した。南風の精霊のその一人にすると、人魚姫の物語はやはり美談であった。
なにせ彼女の心は美しいのだから。南風の思うところでは、それなら、どんな結末だろうとも、美談になるのだった。
人魚姫の嘆願にならって吹いた、柔らかく暖かな風で、先程の女子生徒は顔を上げた。
薄ピンクから水色の蒼に染まる、果てしない空をしばし、見つめた。
その瞳に映る空に、人魚姫の精霊はやっと一息をつくのだった。
END.
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