もし明日が、無色とわかっているなら
明日が無いとわかって眠るきもちは、どんなものだろう?
ミヤコは今日の食卓を思いながら目を閉じると自然とその疑念に支配された。明日が無い。明日が無い。明日はもう来ない!
それは、それで、しあわせな気もした。
苦痛も楽もなく、感情もなく、行動もなく、摩擦もなく期待もなく自由になれる。死とは終わりであるが解放でもあった。
しかし、不幸な気もする。
皆が楽しんでいる毎日をどうしてわたしは送れないのか。わたしはどうして。明日がみんなにあるなら、私にだってあって然るべきで、当然の権利のひとつだ。
どうして、自分から、それを手放さなくてはいけないのだろう。
不公平である。
けれど、人生は、そんなもの。それはもう知っている。
それにしても今日の食卓。
ご飯がまずかった。七色の光沢をはなつ肉じゃがは、じゃがいもは、人魚姫のウロコのようで、儚くも悲しい終わりを予感させてきた。ミヤコは、もくもくと肉じゃがを食べて、今日の晩ご飯を食べ終えた。母と二人きりの食卓。久しぶりの、お肉、母とミヤコの好物である、肉じゃが。
ミヤコは、腹痛やめまい、嘔吐感、頭痛に耐えかねてそろそろ意識を手放そうと決めた。
目を閉じると、食卓の感想が、すなおな感想が、やっと、出てきた。
食卓では、言えなかった。
(洗剤ってこんな味するの? 母さん)
隣で寝ているはずの、母のいびきは、今日はまったくない。
静か、だ。
END.
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