見出し画像

狩猟社会・農耕社会・国家

こんにちは。
少し前に、「反穀物の人類史」ジェームズ・C・スコット(立木勝訳)という本を読みました。自分自身が理解できたのか不安はありますが、とても興味深い内容だったので、皆さんへ紹介したいと思います。この本では基本的にメソポタミアのシュメール文明を中心に書かれています。

Societyの変遷は正しいのか

国内で提唱されている社会構造の進歩史観としてSociety1.0~5.0があります。以下のように狩猟社会から文明・社会構造の進歩の順序・段階を表す概念として多くの場面で使用されています。

Society5.0についての解釈は現在進行形で様々な意見があります。

日本でも縄文時代から弥生時代にかけての説明においては”狩猟社会から農耕社会へと進んでいった”的な説明がされています。狩猟社会→農耕社会という大きな流れは間違いなくあるのですが、狩猟社会が劣っている、という事ではありません。狩猟とは、獲物の動きを予測し、的確な武器と罠を用意し、複数が連携している事を想像すると、かなり高度な思考と行動を必要とするので、農耕より遅れているとは言えません。

飼い馴らし

最も初期の人類は食糧が豊富な地域、水が近く水生生物や陸上生物そして野生植物も豊富な地域に集まります。そこで狩猟しながらも野生の穀物類も採取している状態が長い間続いたと考えられます。このミックス状態の中で羊や牛などの比較的穏便な動物を飼い馴らすことや穀物類の栽培が始まり、作物化・家畜化が進んでいきます。

人は動物を飼い馴らすと同時に、穀物も飼い馴らす(作物化)していくのですが、反対の見方をすると、人が家畜や穀物に飼いならされていく歴史とも言えます。狩猟だけなら野生動物のように狩りの時間以外は休息になるのですが、家畜の世話や農作物の手入れに明け暮れている姿は、まるで人が家畜や農作物の為に飼い馴らされているようにも見えます。

人にとって必要な栄養源としは、穀物よりも肉の方が優れており狩猟と農作物のミックスで生活していたあった期間は相当に長かったと考えられます。栄養価的には狩猟による肉食・タンパク質中心でよいものが、より収穫まで手間のかかる穀物・炭水化物が食のメインになった理由としては多くの説があります。例としては狩猟が不首尾に終わった際の長期保存に適していた、人が増えすぎて狩猟のように安定的に管理できないものは避けられた、炭水化物の美味しさに目覚めた、などがあります。この本では、その大きな理由には国家の成立があるとしています。

国家の成立が農耕社会を産んだ

人は社会的動物と言われ、人が集まった先には小集団、村、そして国家という存在(概念)が現れます。集団や村と国家を分ける具体的な違いとして、この本では住民に対する徴税と生産力の要である人口管理を挙げています。

国家機能の内政面では、国民を規定して広く様々な形態で徴税します。この徴税には穀物が最適でした。理由として収穫時期は一定なので徴税時期も一定にできる、収穫量も土地の広さから想像でき、器なので計量可能であり、運搬も便利、その上で保存が出来る、という事があります。国家は支配地域内において、目で見える土地から正確な計量により徴税したのです。

この事は国家の税としてのメインは穀物になるが故に、農耕社会を大いに発展させたともいえます。もちろん羊や牛などの家畜、労働力、そして鉄器など様々なものが徴税されましたし、人口が増大するにつれて食料基礎を狩猟メインに頼ることが出来なくなったという事もありますが、国家の成立と農耕社会の成立は密接な関係があると言えます。

冒頭のSociety説明での狩猟社会→農耕社会は単純な進歩によるものではなく、国家の成立と相互の発展関係による農耕社会成の立、とも言えるのではないでしょうか。

本当は狩猟社会と農耕社会の間をグラデーションで表現したかった・・・
国家の周りを四角点線で”壁”的なつもりです

また、国家は管理出来る範囲を規定します。古代より国家の周囲に壁があった大きな理由は外敵の侵入を防ぐ為という説明がされますが、もう一つの面としては自国民の流出(脱走)を防ぐという理由もありました。国家の徴税含めた様々な労役から逃れんとする住民の流出を防がないと、国力の衰退を招いて隣国に攻め込まれて滅亡してしまいます。

人口の多寡こそが国力の基本です。人口の中には戦争に勝った際の捕虜奴隷も大きな役割があり、貴重な労働力でした。奴隷は一般的にはとても厳しい労働環境である土木建設業、鉱山、開拓などで貴重であり、これも逃げられれば困るので壁が必要になるのです。

国家という壁の中とその周辺

国家の成立により、定住している人々はその傘下に課税対象として組み込まれます。その際に周辺で狩猟社会に軸足を置いた人々や遊牧民は国家外の存在に変化していきます。これは国家側からの視座であり、半農半猟の周辺諸民族、遊牧民、海洋の人々は従来通りの暮らしを続けていきます。壁の中では文字の記録が残るのですが、周辺では文字の記録が無く、どうしても未開の野蛮人というレッテルが貼られることになります。

ところで、最も古い言葉的なものは紐の結び目による数の記録であったり、文字としても言葉ではなく数字や物を表す記号でした。5000年ほど前のメソポタミア文明・シュメール都市国家の粘土板遺跡にあった楔形文字によれば、その記録の多くは穀物の出入りの記録であったと言われています。それ程に国家の機能として徴税機能は基本的なものだったと言えます。

本書P153より。倉庫への搬入・搬出について述べた楔形文字の粘土板(写真提供元・大英博物館)

そうした国家内で暮らす人々が文明的に進んだ人々であるというのが1つの見方ではありますが、国家の周辺に暮らす人々の方がより自由に暮らしていたとも言えると思います。

本の紹介しきれなかった部分

この「反穀物の人類史」には他に紹介したい内容があります。
○国家の成立により人口増と家畜による感染症ダメージの話
○徴税した財を中心に保管すると遊牧民の攻撃の的になる、遊牧民も収奪尽くすと自分たちの首を絞めることになる事に気づき、対応を変える話。
○国家の崩壊は繰り返される、周辺の野蛮人こそ理想では、という話。
などなど。

おまけ

このジェームズ・C・スコットの著書に「ゾミア」という本がありまして、
「辺境の怪書、歴史の驚書、ハードボイルド読書合戦」(高野秀行×清水克之)の中で紹介されていました。この中でで紹介されている国家外の辺境に暮らす人々は、敢えて国家の外に出ることを選んだ人々として紹介されているそうです。ご参考までに。

以上になります、最後までお付き合いいただきありがとうございました。




この記事が参加している募集

世界史がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?