ほめること=称賛だけではない
今回は「ほめる」という行為について考えてみます。
学校現場において「ほめること」が大切だとよく言われますが、教師は何のために子どもたちを「ほめる」のでしょうか。
学生に聞いてみると、
「自信をもたせるため」
「いいところに気付かせるため」
「がんばりを認めるため」
など様々な答えが返ってきす。
確かに直接的、短期的にみると間違っていないと思いますが、長期的にみると「信頼関係づくり」のためでもあると考えます。
私は、「ほめる」という行為は「子どもたちとの信頼関係をつくり、子どものよさや可能性を引き出し、その実現に向けてサポートしていくこと」の1つ手段であると考えています。
「信頼関係」は簡単につくることができるものではありません。教師と子どもたち、子どもたち同士が人間関係で悩むように、人との関わりは流動的で複雑であり難しいものです。ですので、教師が子どもたちと信頼関係を築くためには、いくつかのハードルがあり、手間も時間もかかります。一朝一夕にはいかないものです。
ほめることで信頼関係を築く上で気を付けておきたいことがあります。
それは「称賛」することばかり考えていないか。
「称賛」ばかりしていないか。
ということです。
これらは若い先生方が陥りがちな特徴でもあります。
ほめる=称賛というイメージがあり、「何かいいところを探してほめなければ」ということにとらわれている人がいます。
しかし、ほめて相手を喜ばせる、元気にさせることばかり考えていると、時に、わざとらしいほめ方、無理したほめ方になってしまい、相手に響かないどころか、相手を不快にさせてしまうことさえあります。とってつけたようなほめ方については、大人だけでなく子どもたちも敏感です。
「ほめる」を広義で考えると、称賛だけでなく、認知・関心・理解・承認も含まれると考えます。
教師が「おはよう」とあいさつするのは、認知。
「今日は朝が早いね」と声かけするのは関心。
「寒い中、ボランティアしてきたんだね。」というのは理解。
「昨日の授業内容を工夫してノートにまとめてきたね。」は承認。
※ 承認と称賛は重なるところがある。
認知・関心・理解・承認は、称賛のベースとなるものであり、それらを疎かにしては、子どもとの信頼関係を築くのは難しいです。称賛ばかりしていると過度な承認欲求を生み出すことさえあります。
各種調査等で「先生を信頼している」と回答する子どもの割合が高い学級の先生のほめ言葉を聞いていると、経験則ではありますが、「称賛」ではなく「認知」「関心」「理解」「承認」の言葉も多いことに気付きます。
「認知」「関心」「理解」「承認」があるからこそ、「称賛」の言葉が子どもに響き、より意欲が高まります。そして、それが継続すると「信頼関係」が築かれていくと考えます。
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