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一人ひとりが自分の幸せをつかむために必要な能力とは何か考える


前回、元ひきこもりとして大学に入ることの意味を書いたのですが、

自分でも思っていた以上に、自分が受けてきた教育に対する恨みがあることに気づきました。

ただ、私は基本ふざけ倒していたい人間なので、今回は過去の因縁を絶つという意味で、“お焚き上げ”の感覚で記事を書きます。

本記事が、少しでも読んで下さる方の生きづらさを“成仏”させることができましたら幸いです🙏



さて、

なぜ私が大学を卒業してから10年以上経って、自分が受けてきた教育について不満が爆発したかというと、

同居している姉の子が、今まさしく18歳で進学問題にぶつかっているからです。

家族から見聞きする情報(担任教師の指導態度など)から判断するに、自分が高校生だったときから一向に変わっていない日本社会の現状に愕然としてしまいました。

もちろん学校の先生も大変な職業だとは思いますし一概には言えないとは思いますが、生徒の本質を見ずにただ学力を身につけさせ大学に進学させようとする今の学校教育に、どうしても疑問を持ってしまいます。

(そもそも学校は学力をつけさせる場所以外の何者でもないのですが…)



リクルートが高校生に対して行った意識調査に関して、以下のようなコメントが掲載されていました。

「『あなたが今持っている能力は』と『将来必要な能力』を質問しギャップを見ると、〈傾聴力〉〈規律性〉〈柔軟性〉はすでに持っているが、〈主体性〉〈実行力〉〈創造力〉は不足しているという答えが並びます。自身の〈主体性〉〈実行力〉〈創造力〉を高めてくれるような大学やその学部、学科、教員を調べてみることも参考になると思います」

「浪人してでも早慶」は古い? 強まる現役志向、リクルートの専門家指摘「偏差値より学びの中身」より引用


…私は盛大にツッコミたい。

今の日本の教育は、〈傾聴力〉〈規律性〉〈柔軟性〉に偏りすぎではないのか??

そもそも、〈主体性〉〈実行力〉〈創造力〉とは、小中高で伸ばすべきもんじゃないのか??

っていうか、もともと子どもたちに備わっているものなんじゃないか??

むしろ、それを潰しているのが小中高の教育なんじゃないのか??

と。


子どもは遊びの天才です。創造性の塊です。興味のあることならば、誰に言われなくても自ら主体的に取り組むことができます。

それを

幼稚だから
みっともないから
恥ずかしいから
時間のムダだから

と決めつけて、抑圧してしまうのが今の社会ではないのでしょうか。

私にはどうしても、日本の教育は子どもの良い所を伸ばすよりも、むしろ潰しているようにしか見えません。

だからこそ、社会に頼らずに、一人ひとりが自分にとって何が正解なのかを責任感を伴って、考えていくことが必要だと感じます。


そもそも、人は本来、生まれた時・・・・・からすでに一人ひとりが違う存在なのです。

だから、みんなと同じように生きなくていいのです。


見た目はさほど変わらなくても、一人ひとりが持っている能力は千差万別です。

人生のゴールが同じ人なんて、一人としていません。

だからこそ、自分の人生は自分の好きなように選択していいのです。その権利が、私たち一人ひとりに備わっているのです。


では、自分の好きなように選択するためには、どうすればいいのか。

それは、考える力を小さいうちから養うということです。

学力よりも知識よりも大事なのは、自分にとって最適解を導き出すための力です。

この世の中には、絶対的な正解は存在しません。

誰かにとっての“普通”が、自分にとっての“普通”であるとは限らないからです。

だからこそ、常に自分にとっての最適解とは何なのか。

どうすれば他人軸に偏らずに、自分の力を100%発揮できるのか、自分を幸せにしていけるのか。

私たちは、小さいうちから自分にとっての・・・・・・・正解の方法を考える習慣をつけておく必要があるのです。

自分にとって正解の道を選べれば、無駄な生きづらさや苦労を経験する必要はなくなります。

もちろんどんな経験だって無駄にはなりませんが、かと言っていたずらに抱え込まなくてもいいコンプレックスを抱え込んで、結果的に遠回りの道を選んでしまう必要もないと私は感じます。


では、自分にとって最適解を導き出すための力は、どうしたら身につくのか。

それは、“自分の強みや興味のある分野を理解しておく”ということです。

どんな小さなことでもいいので、自分の好きなこと、得意なこと、なぜかわからないけど気になるものを、小さいうちから大事にすることが重要なのです。

そしてもう一つ大事なことは、失敗を悪とはとらえないということです。

今の社会では、失敗することが悪いことという風潮が漂っているように思います。

行き過ぎた年齢主義や我慢してやり続けることが美徳とされている文化など、いろいろな背景があるかとは思いますが、

人は基本的に、失敗する生き物です。

生きていると、“なんか思ってたんと違う”という場面に、何度も出くわします。

私自身、これまでたくさん失敗を経験してきました。2年かけて社会福祉士を取得したのに、それとはまったく違う仕事をして生きていこうとしています。

しかし今の日本には、“そういうこともあるよね”と温かく受け入れる社会の眼差しが足りない気がします。

失敗してはいけない。
普通にしていないといけない。

私自身が不安障害を患ってしまったのも、そうした失敗してはいけないという恐怖心が引き金になっていたように思います。


失敗してもいいんです。

失敗しないとわからないことが、世の中たくさんあります。

失敗してからが、人生本番なのです。

違ったなと思ったら、やり直せばいいのです。

完璧な人などこの世に存在していません。

けれど、それを学校では教えてくれません。

今の学校では、失敗することがいかに悪いことか、いかに失敗せずに生きるかしか教えてくれないのです。


失敗したとき、自己肯定感が低い状態だと失敗した自分を受け入れることができません。

自分を過度に責めてますます自信を無くてしまったり、まわりの環境のせいにして終わってしまいます。

失敗は悪いことではなく、単に『違うやり方があるよ』と教えてくれているサインでしかないのです。

そのサインを受け取れるか、ただ自己評価を下げてくるものと認識し“自分いじめ”の材料にしてしまうかは、個人のレジリエンスにかかってきます。

このレジリエンスはどうやって育まれるかというと、どれだけ自分のことをわかっているかだと思うのです。

自分のことをどれだけ理解しているか。どれだけ自分の強みを認識しているか。

自分のことがわかっていればわかっているほど、失敗をただネガティブにとらえるのではなく、

“じゃあ次はこうしてみよう”と、ポジティブにとらえていくことができます。




まとめると、子どものうちから身につけた方がいい力とは

自分にとって正解の方法とは何か考える力

であり、そのためには普段から自分のことを把握しておくことが大切です。

ここで重要になってくるのが、まわりの大人によるポジティブな言葉です。

“○○が上手にできるんだね。”
“○○が得意なんだね。”

など、日ごろから積極的に子どもの個性を認める声かけをしてあげたり、

“○○くん/ちゃんがいるから楽しいよ、幸せだよ。”
“生まれてきてくれてありがとう。”

などと、子どもの存在そのものを認めてあげるようなメッセージを伝えることが重要です。

また、大人になってからできることとして

社会の常識を捨てる
孤立や批判を恐れない
自分軸を確立する
自分の強みを自覚する
自己肯定感を育む
失敗をネガティブにとらえない

といったことが挙げられます。


何度も書きますが、この世の中に普通は存在していません。

だからこそ、自分の未来は自分で切り開くと覚悟を決め、自分の幸せとは何かを追求していく姿勢が重要なのです。

そこに、他者からどう思われるのか気にする必要はありません。

私たちは誰になんと言われようと、自分の幸せを追求していいのです。

私はこの意識に到達するまでに、大学を卒業してから10年以上経ってしまいました。

しかし、前回の記事でもお伝えしましたが、人生遅すぎるということはありません。

いつだってどんな状況の人だって、自分が気づいた瞬間に変わっていくことができるのです。

自分の人生の舵取りをする力は、一人ひとりにきちんと備わっています。

もしも今生きづらさを抱えている方がいたら、まずはどんな自分も受容してあげて、

そして、自分の本当の望みは何なのか、ゆっくりと自分に問いかけてみてください。




ここまでお読み頂きまして、ありがとうございました🌱✨



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