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“多文化共生”が自分の今世のテーマだと腑に落ちた話


多文化共生という言葉があります。


総務省によると、多文化共生とは、

国籍や民族などの 異なる人々が、互いの文化的ちがいを認め合い、対等な関係を築こうとしながら、 地域社会の構成員として共に生きていくこと

多文化共生の推進に関する研究会 報告書より引用

と定義されています。

ただ、ちょっと堅苦しいので、私流に訳してみると、

国籍、性別、年齢から個人の価値観までみんな違って、みんな最高☆そんでもって、それを前提に平和な世界をつくってこうぜ!

ということだと思っています。

そして、この多文化共生こそが、私の人生のテーマだということに最近気がつきました。



なぜ多文化共生に惹かれるのか


そもそも、同じ国に生まれても、人はひとり一人違います。

夫婦だって異文化だし、親と子だって異文化です。

私の母はゴリゴリの理系でデジタル脳な人ですが、私は文系でアナログ脳な人間です。

たぶん、お互いのことを宇宙人だと思ってます。それくらい、違いがあります。

また、私には姉がいたのですが、外向的な姉と内向的な妹といった感じで、姉妹でも真反対の性格でした。

そう考えると、同じ国籍だって、同じ性別だって、ましてや同じ家族だって異文化なんです。

だから、多文化共生というのは、何も外国人と日本人との間の話に限らず、

わたしとあなた・・・・・・・の間でも十分起こり得ることだと思っています。


加えて、現代はみんな多かれ少なかれ生きづらさを抱えながら生きています。

もうずいぶん前に書いた記事で、千代田区の地域福祉計画の文章を引用したのですが、今を生きる私たちには、こういった考えが前提として必要だと思うのです。

それは、

多少はあれども、誰もが一定の「生きづらさ」を抱えて生きている時代だからこそ、弱い絆をつむぎ合い、それを幾重にも重ね合わせることで、 そこに生きる安心感を生み出すことができると考えています。

千代田区地域福祉計画 2016より

というものです。

この、

弱い絆をつむぎ合い、それを幾重にも重ね合わせること

これこそが“多文化共生”であり、私たちが目指すべき社会だと思うのです。


弱くても、小さな声でも、不安定であっても、

“あなたはあなただね。そして、わたしはわたし。”

ということをみんなが尊重していけたら、

“こんな自分でも生きていいんだ。ここにいていいんだ。”

と、一人ひとりが心の底から実感でき、それが

そこに生きる安心感を生み出すことができる

社会になると思うのです。




思えば私はこれまで、どこにもハマった感覚がしないまま生きてきました。

家族や友達や同僚や今まで出会ってきた人たち、また自分が所属してきた居場所のどこにもピタッとハマらず、どこか自分はズレた存在だと感じてきました。

加えて私は留学経験があり、身長も人並み以上に高いこともあって、世間一般の人が当たり前に持つ“普通”の感覚が共有できず、悩んできました。

“国籍”、“性別”、“年齢”、“時代”と、ありとあらゆる自分の属するものすべてに、しっくりこなかったのです。(もしかしたら、今の時代そういった人が少なくないのかもしれません。)


そこでふと腑に落ちたのが、


そうか、自分はこのコントラストを経験するために生まれてきたのか


ということです。



ここからはスピリチュアルな話になってしまいますが、私たちの魂はこの世に生を受ける前に、何かを経験するという目的を持って生まれてきます。

愛すること、愛されること、認めること、赦すこと、譲ること、手放すこと、冒険すること、守ること、創造すること、癒すこと…

人それぞれ課題はありますが、何か“この部分を磨こう”と魂が決めて、限りある命を持つ肉体に魂が宿る形で、私たちはこの物質世界に生まれてきます。


私の今世の目的は、人と自分が違うというコントラストを経験すること。

その上で、いかにその違いを乗り越え認め尊重し合い、祝福し合えるか。

もといた“ワンネスの世界”へと還っていけるのか。

だと思うのです。

というか、このコントラストを経験するというお題は、違う容れ物・・・・・(肉体)に同じモノ・・・・(魂)が入るという、人類共通のものなのかもしれません。



そもそも、人は自分という存在が、コントラストを抱えている状態です。

建前と本音
理性と感情
左脳と右脳
頭と心
男性性と女性性
顕在意識と潜在意識

などなど、いろいろな表現ができますが、大事なのは、まず自己統合をして、自分と相思相愛の状態になることだと思うのです。

世界で一番頼りになるのは自分
世界で一番自分を応援してくれるのは自分
世界で一番自分のことを癒してくれるのは自分
世界で一番に自分を愛し幸せにしてくれるのは自分

自分が自分にとって唯一無二の存在であることを認め受け入れ、それを自信を持って確立させていくこと。


そうやって自分が自分で満たされた状態になると、今度は他者とのコントラストを理解し受け入れ、そんなコントラストを祝福できるようになります。

そして、コントラストから生じる苦悩を乗り越えた先に、無限の可能性が眠っていることに気づき、

その無限の可能性や喜びを多くの人と共有し、創造していけるのです。




私は小さいころから海外ドラマが好きで、異文化に憧れてきました。

留学をしたのも、異国の文化に強烈に惹かれていたからでした。


大人になるにつれて、自分の中に“異文化”があることに気づき、自己統合の経験を通して、本当の自分と出会い、人生が変わりました。

そしてこれからは、肉体を持って生まれて来たことで生じたコントラストで分断されてしまった人や社会をつなげていきたい。

コントラストを忌み嫌うのではなく、認め合い祝福することで生まれる無限のパワーを多くの人たちと分かち合い、共有していきたい。



それが、今世での私のテーマだと思っています。




…最近引き寄せの動画を見まくっているので、話がやけに壮大になってしまいました。

多文化共生といっても、ようするに電車やバスでお年寄りの方に席を譲るとか、困っている外国人を見かけたらやさしい日本語で話しかけてみるとか、

そんな程度でいいんです。

なんだったら、飼っているペットをなでてあげるとか、育てている草木に語りかけながらお水をあげるでもいいんです。

そうやって、ささやかながら一人ひとりが“多文化共生”の世界をつくりあげていったら、

“そこに生きる安心感”があちこちに広がっていって、一人ひとりがもっともっと生きやすい社会になるんじゃないかと思っています🕊🍀




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