カルトの中のカルマ
人生もそうだが、必ず手本となる存在があり、真似たり手本にし、自分なりの解釈を交えて実行に移す。
一般的にそれらを正論と称されるのだろうか?
いや、ちょいと違うかな…
まぁ、それはさておき、人生には道標となる教科書が不可欠となる。
で、ヒントとなるかは別として、邦題「不思議惑星キン・ザ・ザ」という作品は、笑いながら多くのものを学べる映画だと勝手ながら思うのである。
因みにこの作品はSF映画の金字塔として名高い邦題「2001年宇宙の旅」と邦題「惑星ソラリス」と並ぶSF傑作選としても知名度の高い作品なのら。
簡単なあらすじを説明すると、舞台はモスクワ。
主人公のマシコフは妻に街まで買い物を頼まれる。
普段と変わらない生活を送っていたはずなのだが、マシコフは見知らぬ青年に声を掛けられ「自分は異星人だ…」という男がいると伝える。
すると男は決して押してはならない空間移動装置のボタンをマシコフと青年に見せる。
あろうことか、マシコフは男の言葉を無視するかの様に平然とボタンを押してしまうのだ。
そこから物語は急変する。
辿り着いたところは見知らぬ砂漠地帯。
二人は鳩が豆鉄砲でも食らったかの様に錯覚を覚える。
だが残念ながら目の前の光景は錯覚でもなく事実そのものであった。
二人の前に近づく奇妙な物体から更に二人の見知らぬ存在は降り立つ。
この二人は「クー」としか言わない。
当初二人は戸惑う。
そりゃそうだ。
訳もわからぬまま、へんちくりんなオッサンが二人現れて「クー」としか言わないのだから。
わーお!
更に更に悲しい言付けを残すならば、辿り着いたこの惑星の言語には「クー」または「キュー」しか存在しないっつうコトだ。
きゃっ☆
さて、二人は元の世界に戻れるのだろうか…
この先を述べてしまうと、すんげえネタバレにつながりかねないので、後はDVDかVHSでご賞味あれ〜。
この作品は1980年代の旧ソ連が出所。
2000年代の現代と比べ物資はもとより、差別や人権に対して大きな隔たりが存在していた時代だ。
この作品はコメディの枠にあるが、当時の風潮を皮肉った部分もあるコトから灰色(砂漠)以上に黒い(惑星)ユーモアが潜む仕上がりになっている。
例えば先ほど説明した通り、この惑星の言語は限られている。
一つの言語の言い方一つで感情は掬いとれても、具体的なメッセージを伝えるコトは非常に困難である。
それ故か、先進国から支持を得た作品なのだろう。
こういった発想は同業者であるテリー・ギリアムやデヴィッド・リンチに影響を与えただろう。
そう考えると、この作品を作ったゲオルキー・ダネリヤ監督は先を見据えて残した作品だと言っても過言ではないはずだ。
丸い地球も言語が一つであれば人生も苦労はしないかもね♪
クー!!