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平和構築のためにできること~愛と理解の質に留まる

何か大きな出来事があると、そわそわする自分と冷静な自分の二人がいることを認識する。東日本大震災の時もそうだったし、自分の人生の危機的な状況の時もそうだった。


でも、最近気づいたのだけれど、そわそわ、わくわく、どよんとネガティブになる自分は、古来から言われている「真我」ではないこと。


自分の身に差し迫っていればいるほど、どよんとネガティブになり、他人事となればワクワクしたりする(芸能人のゴシップなんかは特にそうだ)。


自分を構成している肉体、感情の単位は、いろいろな経験を求めているので、いろいろな外部事情に必要以上に反応する性質を持つそうだ。思考の単位に至っては、分離分断すること、自分の正義だけを振りかざすことが特性だ。そうやって眺めてみると、ほんとにその通りだ。


そして、それらは人類全体が低位性質として共有している。


そこから真なる自己を引き離して、愛と理解の質にとどまる努力をしようと思う。私たちは自分の低位性質の毒気に充てられた中毒者のようだ。


引き離すには、それに反応する自分を識別する力と、決意と意志が必要。
内側で何をしようと、何にもならないと言われるかもしれない。しかし、全員がそれができるならば、そもそも戦争など起こらない。


それが叶うのは、自分が地上からいなくなる遠い未来かもしれないけれど、自分の中にある分離的性質を無くさない限りは、分断も戦争も千年経っても一万年経ってもなくならない。


これは、分離的考えは、人生の中で常に起き続けている。気づいて手放せば、無くすことはできるはず。その努力が平和構築のためにできることのひとつだ。


参考
本文は、ロシアのウクライナ侵攻について考えたことをフェイスブックに投稿したものです。秘教的、エネルギー的視点で見た時に、関連していそうなnote内の記事をリンクします。
noteマガジン アストラル体(感情体・情緒体)研究
自分の感情はどこから来るのか?
アストラル界に溺れることなく自分をみつける
光の源につながる糸

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