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墨色に染まった夜の果て

闇に沈んだ
公園の水道で
僕はずっと手を洗う

母のかおりが残っている
母の血の色が離れない

錆びたにおいの水で
袖口が濡れることなど
気にせずに洗い続けた

ここにいたんですね

背後から囁かれ
僕は文字通り
飛び上がった

墨色の夜に白いワンピース
そこだけ火を灯したようだ

どうしたんですか?

君はまっすぐ僕に近づいてくる

来てはだめだ

僕は口早に言う

君は戸惑ったように
僕を見つめたまま
立ち止まる

ここが、なぜ、わかった

僕の言葉に

いつもここで
会っていた
じゃないですか

君は暗闇の中
微笑んだようだ

そうして、公園の前
ゆっくりとした流れの
川のそばの木を振り返る

もう、花も終わってますよね

さびれた公園からは
もう、誰も住んでいない
君の家の影もうかがえる

花のない石榴の木は
闇夜で見えない

街灯もない、漆黒の闇
君は恐れ気もなく
朽ちそうなブランコに
腰をかけた

いつもあなたが
ここにきて
あたしに
話をしてくれた

ギイと、嫌な音を立てて
ブランコが揺れた

あたしにはあなたの
悩みを聞くことは
できないんでしょうか?

君は顔を伏せたまま
つぶやくように言う

あたしはあなたと
一緒にいて幸せ

でも、あなたは?

君の問いかけに
今の僕は答えられない

君といて僕も幸せだ
君とずっと一緒にいたい
君をもっと幸福にしたい

そんな言葉を
今の僕は もう
言えなかった

里親を早く探そう

僕は、君から
目をそらし言う

君は、僕のもとに
いてはいけない

理由も聞かず
君は僕を暗がりの中
見上げた

星のない
夜のような

あたしがいらなく
なったんですね

君の声はすでに
悲しみすら奏でない

そうじゃない

そう言うのがやっとだった

君をいらなくなる
そんな訳があるか

でも、僕は
母を殺した

人殺しの娘より
人を殺した男の
どちらが罪深いか
なんて決まってる

僕は君にふさわしくない

現実から目を背けるように
僕から乾いた笑い声が出る

君が20歳に
なったとき
僕は33歳だ

君が大人になったら
君は僕を嫌いになる

自分の罪を隠して
今更こんなことを
言い出す僕を君は
なにも言わず見た

あの家に入りたい

急に君が言い出した

電気もなにもかも止めているよ

いいの、ただ
あの家の中を見たい

あらかじめ用意していたのか
君は、もう空き家になった
あばら屋の鍵を僕に見せた

一緒に、来て

君の言葉に操られるように
君と僕は古い建物に入った

長く換気していない
ほこりっぽさが鼻をつく

あなたがあたしを捨てるなら

君はひきっぱなしの
布団を見下ろし言った

一度だけ
あたしを

固い声

漆黒の闇でも
分かるほど
君の肩は震えていた

馬鹿を言うな

先ほどまで眼前にあった
母の爬虫類のように
妙にてらてらした
裸身が脳裏にちらつく

馬鹿を、言うな

あたしは
そんなに子供ですか?
あなたは
あたしを子供のように
思っているの?

君は僕に抱きついてきた

細く華奢な、夜に冷えたからだ

今すぐ大人になりたい

馬鹿を言うな

声に力が入らない

あなたじゃなきゃ
あたしはだめです
あなたがあたしを
捨てる前にどうか

シャツ越しの胸に
君の熱い息がかかる

もうすでに罪を犯した

罪を重ねるというなら
それならば君を

僕は君の肩を
強く引き寄せ
くちびるを合わす

君の腕が
僕の背に
まわされた

そのとき

何をしているの

鋭くとがめる声がした

君と僕は
抱き合ったまま
息を飲んだ

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