テクノロジーは宇宙を真似する
宇宙の仕組み、大いなる全て、神、世界、タオ、天、源、ソース・・・呼び方は人によって様々ですが、今回ここでは、仮にそれを「宇宙」と呼ぶことにします。
人間があくなき好奇心で開発し続ける科学技術というものは、その宇宙を模倣しているとしか思えない。という話を書きたいと思います。
コンピューター上の仮想現実は、この世そのもの
例えば、コロナ禍でさらに注目を集めるようになったバーチャルリアリティ(仮想現実)が挙げられます。
般若心経では、五感で得られる情報や感覚というもの「色」は、「空」であると解きます。つまり、この世は実態のない仮想現実であり、幻である。しかしながら、その実態のないものこそが、私たちが現実に感じられる「色」であります。
一瞥体験と呼んで良いものかわかりませんが、ある時、この世界が幻想であると直接知るということが私の意識の上で起こりました。
しかし、それ以降も、この体は相変わらず五感で捉えるものを現実のように感じ続け、私はこのゲームの世界から脱出することはできません。
別の言い方をすると、これがRPGゲームだと認識しながら、スクリーンから自由ではないという状態が続いています。
そのRPGゲームとしての現実世界では、バーチャルリアリティという技術で人々が遊ぶという現象を目にしています。これは、まさにマトリョーシカ!人間が宇宙を模倣しているのです。
データ社会は「自分の思考が現実を作る」法則の人工版
人の思考がその人の世界を作っているという宇宙の法則がありますが、これもまた、データ社会が私たちに与えている現象そのものだと思います。
インターネットにアクセスしている個人のありとあらゆる情報が収集され、その人の好みに関連した広告や情報を的確に分別してスクリーン上に映し出すという技術によるデータ社会です。
昭和の時代は、ごく限られたTVチャンネルの中から家族の中で選択権のある人が選ぶ番組を家族全員で見ていました。それが終わり、個人が、独自の興味関心を際限なく突き詰めることができ、閉じられた世界観の中で生きていく時代に移り変わりました。
これはまさに、バシャールが言うところの、「自分が発しているものが受け取るものである」という法則に当たります。
これが進むと、最もポジティブな波動域にいる人間と、最もネガティブな波動域にいる人間は、もはや交わることがなくなるというわけですが、これは実際、ネット上でも起きていることではないかと思います。
ここで注意しなければならないのは、例えば「戦争反対」という価値観を持つ人は平和の波動域に在るわけではなく、逆に、積極的に「戦争」という価値観と交わってしまうという点です。
むしろ、ラーメン研究の世界観にどっぷり浸かっている人のYouTubeのおすすめには、戦争関連の動画は出てこない、つまり、その人の方が平和の波動域に近いという状況がその例です。
また、人間が作り出したデータ社会の仕組みがおもしろい点は、データ収集が人知れず無意識に行われているという点です。
SNSのほとんどのアプリは、個別のスマートフォンに知らず知らずのうちにアクセスし、音声データさえも収集して、より的確な情報提供(広告提供)に努めます。
宇宙も、私たちが知らず知らずのうちに発している(より正確に言うと「掴んでいる」)思考や想念を一寸の狂いものなく精密に読み取り、完璧なアウトプットをしています。
人間の技術はまだ途上かもしれませんが、AIが進化するにつれ、この精度はますます向上し、それによって、私たち個人が選択するパラレルワールドは、さらに拡大し、多様性を増すでしょう。
ブロックチェーンは、魂のノートと同じコンセプト
情報を上書きしていくブロックチェーンという技術は、すべての記録が残るため、不正を防ぐという特徴があります。
生命の意識というか、魂にも、すべての行動の記録が残るそうです。これは源に戻るまでリセットされることはなく、前世でのカルマ解消のため、何回も生まれ変わると言われています。
この議論は、特にノンデュアリティ界では懐疑的ですが、最近生まれてくる宇宙時代の記憶を持つ子供たちの証言から、個人的には、この仕組みがあるように感じています。
昔から、「お天道様は見ている」という言葉が使われるように、私たちの行動のすべてはお見通しであるということは、なんとなく人々に信じられてきたのではないかと思います。
しかも、それが上書き記録である、というのがおもしろい点です。何かしらの方法でカルマを解消するまで、宇宙はあきらめることなく、人に試練やチャンスを与え続ける。カルマをなかったことにするというデリート機能は、宇宙にはないわけです。
その働きが、まさにブロックチェーンに似ていると思いました。
世界はより透明で瞬時に共有できる時代に
個人情報保護と情報共有の対立は、おそらく情報共有が勝利するでしょう。
宇宙では、すべてのものが繋がってひとつであるから、テレパシーで瞬時に情報やアイディアを共有できます。あくまで、それを取得したいと意図した場合ですが。
物理世界の地球では、このテレパシーが使えないため、言語が普及しました。たまにテレパシーを使える人がいますが、それは本来、すべての生命に備わっている機能だと筆者は考えます。
イルカ、クジラ、ゾウなどは、音声も持っていますが、超音波という波動を使ってコミュニケーションを取ります。
意味のない不必要な活動は野生の世界には存在しないので、非言語コミュニケーションが使えると言っても、不必要な個人情報ののぞきみたいなことはないのではないかと推測します。
したがって、インターネットがさらに進化して情報を吸い上げる習慣をGAFAM始め多くの企業が辞めないとしても、それは、ゆくゆく、全体の利益のために使われ、個人が損害を受けることはなくなっていくのではないかと思います。
死んで欲しいのは、自我。戻りたい先は、源=宇宙。
AIが行き着く先は、楽園か地獄か、という議論がありますが、これはまさに、上に記した通り、それをどう捉えるかによって、個人が体験する仮想現実が変わるということだと思います。
したがって、楽園もあれば地獄もあり、それぞれに良い悪いはなく、事実としては、どちらも同時にあり得る。というのが、この立ち位置からの正解です。
それに関連して、世界が滅亡する終末思想も長い人間の歴史の中で表出してきましたが、それは取りも直さず、地球人を苦しめる自我(エゴ)の終焉を願う人々の思いがベースになっているのではないかと思います。
物理的な地球の破滅を想像する人もいれば、内面の苦しみのタネを撒き続ける自我(エゴ)からの解放を願う人もいるでしょう。
どちらの道も、結局は、分離に対する抵抗または対処なのです。
地球上の最先端技術は宇宙開発に向けられますが、それは、分離した私たちが宇宙という源に帰りたいという根源的な流れによるものだと思います。
個人的には、このプロセスを、絶対に大丈夫な場所であるハートに戻ると表現します。ハートが源とのワームホールとなっているという認識からです。
物理世界がメインの地球では、物理的に宇宙に行く、ということが、分離からの解放の一助となると考えられているのかもしれません。
宇宙に行って、あらゆる宇宙人たち(私たちも宇宙人なのですが)から教えを乞い、内面の統合を深めることによって、外側の進化と内側の進化の両方が促されていくのかもしれません。