他人と戦うよりも、自分との戦いがすき。
数年前に、彼に誘われて、10㎞マラソンに出てみよう、という話になった。
乗り気ではなかったけど、マラソンには少しだけ興味があったし、短距離は致命的に遅かったけど、長距離の方がかろうじて得意だったし、誘われたならやってみたかった。たったのそれだけだった。
10㎞だし、少しはトレーニングした方がいいよねってことで数回自分でランニングしたり、当時の彼と走ったりした。
当日は、彼と一緒に走る、そんな感じじゃなくて、自分たちのペースで走ればいいよね、となっていた。(し、練習してみて思ったけど、わたしの方が速いw←)
ランニングのプレイリストを作って、ランダム再生で聴く。
再生される曲に左右されながら、走るのもひとつの私の楽しみだった。
なんだか割とペースよく走れていた。
1時間切れたらうれしいな〜無理かな〜、そんな程度の目標だったけど
自分なりに走っていた。
終盤少し前あたりの、多分7〜8㎞くらいのところだったと思う。
すぐ前に、女子2人がそれぞれ走っていた。(別々の参加者)
負けん気強めのわたしは、彼女たちを意識しはじめていた。
「追いつけるかな」「勝てるかな」「抜きたいな」
そんな気持ちが浮かんでくる。
近づいたり、でも、しんどくなって少し離されたり。
なんだか、一気にすごく疲れてきた。
どんどん離されて間があいてきた。
お気に入りで作っていた、ランニングソングもあまり楽しめていなくなっていた。
あるとき、なんか、自分の中で吹っ切れて
ランニングソングも相待ってだったのか
「追いつけるかな」「勝てるかな」「抜きたいな」「離されたな」「やっぱり勝てないかな」「負けたくないな」
そんな気持ちがフッと消えて
ランニングに集中して、
自分の呼吸に集中して、
自分の走りのリズムを感じ出すようになった。
自分の選曲したランニングソングに心から高まって
自分のペースを取り戻したら
気がついたらいいペースでまた走ることができていた。
その間に、離されていた2人の姿がそれぞれ見えてきて、
たぶんおそらく1人ずつ抜かした。
そのときの感情を覚えていないくらい
もうどうでもよかった。
「自分のいいペースで走れているか?」「自分のベストをつくせているか?」「自分の大好きな曲で高まって楽しく走れているか?」
それが大事だった。
自分との戦いになったとき、自分の力がびっくりするほど出せた。
走りきってみたら、途中のバッドペースもあったけど
1時間を切ることができた。
とてもうれしかった。(彼にはもちろん勝った笑)
誰かと比べたり、競ったりするのが
いつからか苦手になっていたんだな、と、気づかされる。
負けず嫌いな性格だとは思う。
でも、それは自分に負けず嫌いなんだなって。
(甘々なところばっかだけどね笑、自分にも他人にも笑)
そんなこんな、ちょっとした気持ちのメモのような話だけど、
マラソン大会が嫌すぎて、登校途中に泣きながらうずくまって動けない子がいるって連絡が入って、かけつけたとき、
その子に、このときの話をした。
(毎年ドベなのが、嫌だ、走りたくない、と訴えた彼に。)
誰かを意識したとき、全然力が出せなかった、辛くなった、
自分との戦いになったときに、楽しくなったし、他の人はどうでもよくなった
自分らしく走りきった、それがあれば十分なのだと思う、と。
でも、マラソン大会なんて、本当に走りたくなかったら、
走らなくていいと思うよ、全然、本当に。と付け足して。
彼は、顔をあげてくれて、
道から立ち上がって一緒に学校まで登校できたし、
当日は、最後まで走りきった。
(うずくまったのは当日の2日前くらい)
予期せぬところで
いろんな経験って生きる。
(わたしが話した内容が関係しているのかは、分からないけどね。)
だから、そのとき考えたことは
ひとつひとつ、大切にしていきたい。
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