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「小説家になりたい」という嘘

10 歳の頃である。
現在もおこなわれているのか不明だが、「1/2 成人式」 なるもので 「自分の夢を語る」 という、なんともこっぱずかしい強制告白をさせられた。


私はとにかく、幼稚園からこの 「大人による謎の強制行事」 というものが大嫌いだった。

ポンポンを持って某アニメの曲に乗って踊らされる 「おゆうぎ会」 も、手が非常にくさくなる運動会の綱引きも、痛いドッジボールも、幼いながらも鬼のような形相で取り合う椅子取りゲームも。

争うくらいなら座れなくていい。
そんなものは欲しくないし、友人のそんな姿も見たくはないのだ。
未だに満員電車の殺気も苦手である。だから乗らない。


「美化活動」 という名のゴミ拾いの方が数段マシである。「楽しそう」 にしなくて良い。争いもない。
せっせと綺麗にすればいいのだ。


重い & 嫌いな色のランドセルも、不要に毎日持ち帰らなければならない教科書・ノート類も、育てたくない朝顔も。

忘れ物をしただけでモーレツに怒る先生や、授業を私物化する先生、ヒステリーを起こす先生。

給食の甘く煮た大豆、みつ豆、チリコンカーン、グリーンピース スープ (豆ばっか)。

給食で牛乳をまき散らす男子、「俺ゲップで 'カエルの歌' うたえるよ~」 とか言って誰も頼んでいないのに歌い出す男子 (その後、異臭 (-_-))、課外授業でどんぐりを鼻に詰めて取れなくなって病院に運ばれる男子 (← すべて同一人物)。


学校とは私にとってとにかく嫌なもの、理不尽なことのオンパレードであった。
特に中学まで。


私は間違いなく社会不適合者であるが、おこらくその片鱗は幼稚園や小学校の頃からすでに現れるのだろうと思う。
そして集団生活で矯正されないこともままあるのではないか。


現代はそれでも、一般企業に勤めなくても食っていけるので (私は普通の会社員だが)、良い時代になったなぁと思っている。

学生時代に大事 (おおごと) だったことって、大人になったらどうってことない事だらけだ。


しかしやはり不適合者なので今日も 「え、それやる意味ある!?」 みたいな仕事をやらされそうになって本当に嫌になって (← ここが不適合者たる所以)、今必死でやらなくていいように交渉しているところ (^^;)
ドキドキ。

どうかやらないで済みますように!!
ホントにもうお願いしま~す \(^o^)/―☆



話がだいぶ逸れてしまった。

なぜ、「将来の夢」 などという個人的トップ シークレットを、やすやすと学年全員 + その親全員 + 教師数名に晒さなくてはいけないのか。
暴く権利などあるのか。



幼稚園の時も 「幼稚園の先生に '各自好きな人を教える' ように」 強制された。
そしてそれを他の先生にもバラされていた。

人権の観点から現代なら大問題になりそうである。
たとえば園児が同性のことを好きだと告白したら、それを真剣に考え、口外せずに受け止める勇気はあるのか。とか。


話を戻して。
私は当時、漫画家になりたかった。


今では何で漫画家になりたかったのかはよく分らない。まったく練習もしていないし、ストーリーも思い浮かばなかったくせに、なぜ 「なりたい」 と思っていたのか。
読むのが好きだっただけで、創り出すことはまったくできなかったのに。
身の程知らずにも程がある。


実際に漫画家になるような人はもう、日常的に 「描く手が止まらず」 描いているのだ。

実際、私が日常的にやっていたことは封筒作成なので、「封筒折りの内職」 を 「将来の夢」 にするのが正しかったのだ。



しかし、脳が何かを変換ミスして、自分の将来の夢はそれだと認識してしまっていた。
そして実力がないことだけは分っていた。


だからそんなこと (漫画家) を公言するのは恥ずかしい。なんせトップシークレットで、上記のように大人なんぞに手の内を明かしたら弱みを握られるのだ。
男子にも間違いなくからかわれるだろう。


そこで私は、当時赤川次郎にハマっていたのでこう答えた。


赤川次郎のような小説家になりたいです。


と。


「漫画家になりたいんだって~?」 とからかわれるより、目指してもいない 「小説家になりたいんだって~?」 とからかわれた方がダメージは断然マシである。
ありもしない臓器を攻撃されることに似ている。
鼻から牛乳を出してそれを 「良し」 とするような人間に心臓をえぐらせるわけにはいかない。


断っておくが、私は 「嘘」 に価値を見いだしていない。それがバレないように取り繕う労力や、嘘がバレた時の信頼失墜の損失とその挽回にかかる労力を考えたら、吐かない方が 100 倍マシである。

敬愛する漱石も『それから』で下記のように書いている。

鍍金を金に通用させようとする切ない工面より、真鍮を真鍮で通して、真鍮相当の侮蔑を我慢する方が楽である。

『それから』夏目漱石


正直、今考えれば 「漫画家になりたい」 も 「赤川次郎になりたい」 も、周りにとっては大差ないだろう。
聞いた傍から誰も覚えていまい。

そりゃあ私の母親はそれを最初は覚えていただろうが、本当に将来の進路にするなどとは、当時から夢にも思っていないだろう。
実際、私は家でもそんなそぶり (小説を書く) を見せていなかったのだから。

案の定、赤川次郎も漫画家さえも目指さずに 「ただの人」 となった。


しかし記憶力のいい子というのはいるもので、この 「1/2 成人式」 は確か 4 年生のイベントだったと思うが、2 年後に配布された卒業アルバムの寄せ書きに

めざせあかがわじろう!


 
と書かれてしまった。



なんだか 「漫画家になりたい」 と言った場合よりも余計恥ずかしいことになった。


やはり、嘘は吐かないに限る。



貴重なお時間ありがとうございました m(_ _)m

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