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明治時代の理科の教科書がやたらと道徳的だった話


 
凶悪な未成年犯罪が起こると、そのたびにワイドショーは「心の教育が不足しているのではないか」という論調に流れます。
道徳教育の時間を増やそう、とか、戦前の教科「修身」を復活させよう、とか、年配のコメンテーターは懐古主義的な意見をよく並べますが、次の大きなニュースが来るとすぐに忘れられて、数年後にまた少年による残酷な事件が起こると復活してくるので、これはもう数年ごとに起こるブームのようなものでしょう。
 
ところで、でも本当に「昔の教育は今よりも道徳的だった」のでしょうか?

明治時代の理科の教科書を入手しましたので、中身を確認してみましょう。

100年以上前の落書きにシンパシー


はい。「生徒用新訂理科書 巻五」とありますが、実際は「生徒用新訂理科書 巻三」です。三を五に書き換えたのは持ち主のイタズラです。 

滋賀の甲賀佐山にお住まいの寺井市太郎さんが落書きの主のようです。


和綴じ縦書きです。

明治30年発行。和綴じの高等小学校生向けの教科書です。当時の就学体制は6歳~9歳(現在の小1~小4)が尋常小学校、10歳~13歳(小5~中2)が高等小学校でした。高等小学校の三巻を使うということで、現在の中学一年生程度の学習内容だと思われます。


 この本は今から20年ほど前、富山市中島の国道八号線高架付近にあった小さい古本屋の千円ワゴンで見つけました。  
目次の漢数字も総落書き。修身も何もあったもんじゃないです。寺井君……。

この教科書は、第六章で「家禽家畜及び一二の普通なる動物」として12種の動物を解説しています。

動物名もすべて漢字です。

十二種だから干支なのかと思いきや違います。家畜種が中心、野生種は雀と鼠、獼猴(サル)の3種のみという扱いです。

順に書くとニワトリ・イエバト・スズメ・アヒル・ウマ・ウシ・ヒツジ・ブタ・ネズミ・ネコ・イヌ・サルです。
 
ではここからは、それぞれの動物種についてどんな記載がなされているか、抜粋してご紹介します。

動物たちの習性から導き出される道徳律を生徒の身に染ませつつ、キュートな生き物たちについて格調高い漢文調で記述される違和感を楽しみましょう。


 
1.鶏・・・母親の愛は偉大

漢文調になると、ただの鶏もぐっと知的に感じられますね

「牡鶏は牝鶏よりも其形大にして力強し、其胸の幅広廣く、脚は長くして且(か)つ強固なり」。
「牝鶏は……深く雛を愛するの性あり。その卵を孵さんとする時は、殆
(ほとん)ど三週間の間、小屋の内に静止して、稀に食物を取り、水を飲むの外、少しも其(その)体を動揺することなし。已(すで)に雛の出づるに及びても、厚く注意して之を保護す。時として十羽乃至(ないし)十六羽くらいの雛を伴ふことあれども、一々眼を配りてこれを護り、決して失ふ等の事あらず。其間に穀物粒、昆蟲等を拾い求むる道を教へ、若(も)し其食物餘(あま)り大なることあれば、自ら嘴にて細かにして、これに与ふ。若し犬猫の如(ごと)き敵の来ることあれば、翼にて其子を掩(おお)ひ、少しも恐れ逃るる色なく、羽毛を逆立て、悲哀の声を放ちて之を防御す。」   
子を守るためなら絶食もいとわず、敵には命がけで挑む!みなさんもそんな大人になりなさい!そしてご両親に感謝しなさい!とでも言いたげな論調です。


2. 家鳩・・・ねたみ深い朋友

漢文調の文章は背筋が伸びますね。立ち上がって音読させられている生徒の姿が目に浮かびます 


「家鳩は己の朋友、又は保護者を愛し、此等(これら)に対する時はいたって親しくして且つ之を信じ、或(あるい)は保護者の肩に、飛びきたりてこれに戯れ、或は其友とともに餌を拾いて相親しむ。」
「家鳩は人間の手より脱
(のが)れ得るの飛翔力を有すれども、決して其飼主を見捨て、又は己が住所を忘るる等のことなし。」
「家鳩は此
(か)く愛すべき鳥なれども、他を妬む心極めて深く、殊(とく)に食物を争ふ時には己より弱きものと見る時は、之を追ひ払ひ、食物をば翼にて掩い隠し、己獨(ひとり)にて之を占めんとするなり。此くの如き際には未だ全く成長せざる幼児をも、或は見捨てて顧みざることなきにしもあらず。」
ニワトリの次に持ってきて、意地汚くて子を見捨てる話を挿入するのはかなり意地悪な展開ですね。平和の象徴でもないし、ハトかわいそう。


 3.  雀・・・整理整頓をしなさい

きったねえ小鳥


「其野に遊ぶとき、或は潴水(ちょすい)、若くは糞尿の周圍を飛び廻はり、其の羽毛の汚るヽを少しも厭(いと)ふ事なし。又寒冷の節にはまヽ煙突の内に入り、其身を煤粉(すす)に染めて更に顧(かえり)みず。」
「其巣は頗(すこぶ)る亂雑(らんざつ)にして、唯襤褸(ぼろ)、紙片、羽毛、藁、枯草等を拾い集めて綴りたるに過ぎず。…かヽる粗雜の巣中に養成せられたる鳥なれば、生長して輕噪(けいそう)なる雀となること、固(もと)より恠(あや)しむに足らず。」
スズメに対しては酷いけなしようですが、最後の最後に「されど雀は害蟲を啄(は)んで其繁殖を防ぐものなれば、吾人は其間接の功を忘るべからず。」と益鳥としての有用さを説いています。古典的な動物愛護思想ですね。


 4.家鴨(アヒル)・・・すこぶるあいらしきものなり

ヒナが起きてるのに寝ています


「雛は出生の日より直(ただ)ちに歩行するを得。而(しか)して食餌をとることも、已に成長したるものと同じが故(ゆえ)に、その成長甚(はなは)だ速(すみやか)なり。殊に親鳥は其雛を愛し、常に食物を撰び与えてこれを養育するをもて、雛は生まれて後幾許(いくばく)もなく、能(よ)く親鳥に従ひて水中に遊泳す。親鳥の多くの雛を従ひて、余念なく静かなる水面を泳ぎ回るは、頗(すこぶ)る愛らしきものなり。」 
 わかったか明治の子供諸君。家鴨はすこぶる愛らしいものなのだよ。
時代を越えてカモは最高! 


5.馬・・・大絶賛の有用家畜

美しく、強い。


「馬は、必要なる家畜の一にして、獣類中、馬の如く其形の美なると、力の強きとを兼有せるものは甚だ稀(まれ)なり。」
「馬は、啻
(ただ)に身体の強く美なるのみならず、其精神も実に他の動物に卓絶せり。」
「馬は、その死に至るまで、能く其力と忍耐とを以
(も)って、主人の命に服従しつつ労働せり。」
このあと、飼うときの注意事項が少しだけあって、結びは「要するに、無情と残酷とは、馬を飼ふものの大(おおい)に戒(いましめ)めざるべからざる処なり。」です。
富国強兵の明治にあって、馬は本当に大切にされていたのだとわかりますね。


 6.牛・・・馬にも匹敵、捨てるところなし!

捨てるところなんてない


「牛もまた必要なる家畜にして、其功馬に下らず。」
「牛は啻に人力を助くるのみならず、其乳汁は最も有益なる飲料にして、又此をもて牛酪、乾酪を作るべく、其肉は美味にして且つ滋養分に富む。」
「其毛は織物となすべく、皮は革となすべし。其他腸、骨、角に至るまで、一つも棄
(す)つべきものなし。」
最後はなぜか反芻(はんすう)の説明に続き、「諸子は屡(しばしば)牛小屋に往(い)きて其食物無きにも係(かか)はらず、牛の口を動かし居るを見ることあらん。是(こ)れ全く右の理由なるを知るべし。」と、すこしだけ理科っぽい観察ポイント的な展開を持って終わります。
あまり「牛のように・・・」「牛に見習って・・・」というポイントはなかったみたいです。



 7.羊・・・軟弱な臆病者

西洋ではヒツジと言えば突進するもののイメージですが…”Charge like a ram”


「羊は性柔和にして、体質弱し。」
「綿羊は、其性ことに温柔にして、力弱く、物に怯
(おび)え易(やす)し。」
「敵に襲わるる時は、之に抗するの勇なく、風雨雷鳴の声を聞けば忽
(たちま)ち逃走す。」
「其
(その)肉は味美にして、乳汁は滋養の効あり。亦(また)革を製して其用広し。」
みなさん、ヒツジのように育ったらお国の役には立てませんよ。的なことを言われてそうですね、当時の男子は。
 
 
8.豚 ・・・ブタ差別教育の源がすでにここに!

ブタ=悪口。これは昔からなのかも。


「豚は、好んで不潔なる湿地を擇(えら)び、糞汁の内に在りて、絶えず唸(うな)りながら、突口を以(も)って、汚穢(おわい)物を抉(えぐ)る。」
「又時々糞汁の為
(た)めに、口を塞がれて、強き呼吸を為すことあり。」
「食し得べきものは、如何
(いか)なる汚穢物にても、嫌ふことなくして之を取り、飽(あ)けば則(すなわ)ち糞土の上に臥(ふ)す。」
「豚は食物を擇
(えら)ばざるが故(ゆえ)に、僅(わずか)の費用を以(も)って之を飼養するを得べし。其肉は脂肪に富みて、頗(すこぶ)る美味なり。」
さんざんけなして、でも美味しいんかい。
 

9.鼠・・・最悪の害獣

もう挿絵からして悪意がにじみ出ている


「凡(およ)そ人間に、妨(さまたげ)をなす動物は多けれども、其防ぎ難きもの、鼠に超ゆるものはあらざるべし。」
「其体は、柔軟なるを以て、僅
(わずか)の小隙(しょうげき)をも通じて入り込むを得。」
「口は尖りて、上下の顎
(あご)に二本づつの鋭き門歯を有し、食し得べきものは、之を食ひ、食し得ざる者は之を噛む。」
「猫は能
(よ)く鼠を捕ふれども、到底之を殺し盡(つく)す能(あた)はず。何となれば鼠は、夏期に当り、四匹乃至(ないし)八匹づつの子を四五回産するが上に、その成長甚(はなは)だ速(すみやか)にして、其生まるるや、初めは視力無きが故に、親の助(たすけ)を要すれども、十四日を経れば、全く成長し、四ケ月の後には、自ら巣を営むに至るものなればなり。」
こっそりネズミ算の問題も含めていますね。横断的な学習が期待できます。
 
 
10.猫・・・ページ数に感じる愛情

めっちゃページ数多い!きっと著者はぬこ好き


「脚は短く見ゆれども、実は然(しか)らず。其立ちて、体を伸ばし背を彎曲(わんきょく)する時には、随分其長き事を知るべし。」
「其趾
(し)の下には、柔かなる肉あるが故に、静に歩めば些(すこ)しの音もなく、獲物に覚られずして、急に之に近づくを得べく、又趾端には圓(まる)く前に曲れる爪を有し、其先端甚(はなは)だ鋭利なるを以て、極めて速に樹木等に攀(よ)づることを得べし。
「猫は、性甚だ怜悧
(れいり)なり、其鼠を捕へんとする時の如き、鼠の常に出入する小孔を求めて、徐(しず)かに其陰に身を隠し、少しも其体を動かすことなく、竊(ひそか)に鼠の出で来るを待つ。
「猫は背を曲げ、毛を逆立てて、之と相争ふことあるは、諸子の屡
(しばしば)見る所ならん、以て其勇気に富めるを知るべし。」
「猫は主家を忘れず、故に、之を遠方に放つも、必ず再び帰り来るの美性あり。」

 静かな語り口で細かな猫の美点を次々と挙げていきます。趾の下の柔らかなる肉、いいよねえ。

 
11.犬・・・ベストオブシンパシー

セントバアナアドが雪に埋もれた人を助けている挿絵

「諸(もろもろ)の動物中、最も人間に親しきものは犬なり。」
「牛馬の如く、蹄を有せざるを以て、人を乗せ物を負うて走る能
(あた)はず。然(しか)れども、其体頗(すこぶ)る軽捷(けいしょう)にして、力強く、屡(しばしば)猛獣と戦ひて、之を仆(たお)すことあり。」
「犬は猫よりも怜悧にして、能く諸藝を習ひ覚え、少しも忘るることなし。又其主人に忠実なる事は、到底他獣の企
(くわだ)て及ぶ所にあらず。其主人の死に至るまで、随従して離れず、又時としては、其主の為に身を殺すにさへ至る話は、吾人の往々聞く所なり。」
忠犬ハチ公の話は大正末期なのでこの教科書の出版後ですが、それ以前から犬の忠義と勇敢は全国区だったのですね。

 

12.獼猴(サル)・・・感動のエンディング

寺井君に顔を赤く塗られました

「獼猴は、牛馬の如く有用のものにあらざれども、又普通一般の獣類とも異なり、昔話にては蟹を欺き、鬼を討つなど言ひ、絵にも書かれ、諺にさへひかれ、家に飼われては、諸藝を習ひなどして、能く人に知らるるものなれば、今其話を揚ぐべし。」
「獼猴は、性貪欲狡猾なるにも拘
(かか)はらず、親子の間の愛情は、甚だ深きものにして、其情の為には、時に生命の貴きをも忘るるに至る。獣類さへ猶(な)ほ此の如し、萬物の霊たる人に於いては、孝行慈愛決して缺(か)く可(べか)らざるなり。」
獣でさえ慈愛孝行するのだよ諸君!君らは万物の霊長だろ!?というのが12種類の最後の動物「サル」の、最後の最後のエピソードです。いやあ、熱いですねえ。


このあとの第二章は「哺乳類、鳥類の特性」で、解剖学的な内容になります。

「之ヨリ定期試験」との書き込み。ちゃんと勉強しろよ寺井君。


いかがでしたか。

めっちゃ道徳的な理科の教科書でしたね。もう動物のことを教えるふりをして道徳を叩きこんでいるといった風情です。動物の習性についても、人間の主観的な価値観をベースに善悪・優劣を判断している感じがありありとします。

動物の生態の都合の良いところだけをピックアップして人間の倫理や道徳の規準にするのは宜しくないですし科学的でもないので、現代でこんな教育は許されませんが、これが普通に全国的に行われていた時代がわりと最近まであった、という事実は押さえておいた方がよいように思います。

(おわり)


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