「"教員"から"教師"、"教育者"へ」
春の訪れとともに、新たな先生たちが子供たちの前に立つ。
新たな先生方が必ず受験する採用試験の名称は、「教“員”採用試験」
「“教師”採用試験」ではなく教員採用です。教育の現場において、「教員」という言葉は、何気なく一般的に使われています。教員と教師、一体この違いは、何でしょうか?教員と教師、そして教育者としての違いを知ることは、その職に就いて仕事をしていく上で大事なことではないかと思います。
私は、現職時代、先生方に「教員であることにとどまらず、教師、教育者として子どもたちと向き合い仕事をしてください。」とよく語っていました。
哲学者:鶴見俊輔氏は、「教育の再定義への試み」という書物の中で、「教員の”員”というのは、一員、人員、定員、増員、欠員…人や物の数を表す言葉だ。」と語っています。つまり、「教員」という言葉は、教える人の頭数的な意味であって、教育の本質的な意味合いを十分に表しているものでもないと解していました。
確かに、教える人の頭数としての教員?!では、教育の世界では、充分とは言えません。教育に携わる者として、単に知識や技術を伝えるだけでなく、児童・生徒や学生の成長や発展を促し、社会的・倫理的な価値観を育む役割を果たすことが求められるからです。
「教員」という言葉と比べて、「教師」や「教育者」という言葉は、教育に対してより深い意味や意義、そして責任を示唆していると感じています。
「教師」は子どもたちに知識や技術を伝える役割を担いますが、“員"ではなく、教える“師"である以上、“師"にこめられる深い意味合いについても意識していきたいところです。「教育者」もまた広い視野を持ち、子どもたちの成長と発達を促し、社会的・倫理的な価値観を育む者であると思います。
「教育者」という言葉には、「教(おし)える」と「育(そだ)てる」という二つの意味が込められています。日常的に「教育者として」「教育者の立場で」などと使われることも多くあり、人を指導するだけではなく、さらに理念を持って教育にあたる人というイメージを持っています。教育者は、単に机上の学習として知識を伝えるだけでなく、生き方や人生に関わり、子どもたちを導き、成長させる存在であるという幅と広がりを持つ意味を持っていると捉えています。
教員としての道に進むために学生時代に学んできたことや採用試験を通じて得られる知識やスキルは重要です。しかし、それだけでは子供たちの前に立つために決して十分とは言えません。教員になるまでに身に付けてきたこと以上に大切なのは、その後の経験や実践を通じて培われる教師や教育者としての心構えや責任感でしょう。
教師、教育者としての役割は、単に学校の教室内での指導だけにとどまらず、人の価値観にすら作用して社会全体に影響を及ぼしていくものです。そうした責任のある仕事を全うするためには、常に自己の成長や理念の深化が求められていくと思います。
教育の現場で働く人々は、採用試験を合格してなった「教員」から「教師」、そして「教育者」へと成長していくことが求められます。単なる知識の伝達者ではなく、子どもたちの人格形成や価値観の醸成に深く関わる存在として、教師、教育者としての自覚と責任を持つことが重要です。そうなることで、教育の質の向上にもつながってくることでしょう。子どもたちの健やかな成長を支え、社会の発展に寄与する教師、教育者の役割は、ますます重要になっていくと言えるでしょう。
教員を志す人にとっては採用試験を通じて、教育の世界に足を踏み入れることになります。そして、その試験に合格することは大きな目的であり、ゴールです。しかし、それはあくまで「始まり」に過ぎません。教員としての成長は、採用試験後も続く学びの旅です。
教員としての採用試験を突破した時点で、その人はただの「一員」ではなく、「教師」「教育者」としての道を歩むスタートラインに立ったことになります。その後の学びや経験を通じて、彼らは教員から教師や教育者へと成長していくのです。
「採用試験“まで”の学び」と「採用試験“後”の学び」という話を教員を志す学生に話すことがあります。後者はこれからずっと続く学びで、教員から教師、教員者へなっていくための学びです。
教育者としての成長は、教員採用試験に合格した後も続きます。そこからが本格的な学びであると言っても過言ではありません。
教師、教育者としての理念と実践を常に磨き、子どもたちのことや豊かな社会のあり方に思いを馳せ、社会的責任を果たしていくことが大切です。
このように、教員としての道を歩む人々は、終わりのない学びと成長の旅に身を投じることになります。その旅の渦中での努力と熱意が、子供たちの未来、ひいては社会をより良いものにするための貴重な一歩となることでしょう。
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