信達譚 「断言しよう」
断言しよう。「あのへん」だ。僕がその山の話をすると、不動産と林業の関係者が口を揃えて請け合ってくれた。公図を指さして「境界確定にも行けないぐらい間違いない」と話していた。なにしろ信達に来るたびに訪ねている僕が何度も迷子になった山だ。行けば決まると思って行ってみると、肝心の場所にたどり着けないこともあるぐらいは百も承知だ。たとえ迷子にならずとも、見当違いということもある。そこで、コンビニの駐車場に駐めた車の中から、エアコンが効いていていかにも涼しそうな店内を自動ドア越しに眺めながら、名刺サイズの黄色い紙に「駐車場」と書かれた領収書を確かめてみた。間違いない。「区民検診」の四角い封筒を抱えてかかりつけのクリニックに行ったのは6月7日だ。一年前の今日の三日後だった。それまでの間に仕事とおカネの見当もつけなきゃならなかった。「健康診断」どころかすぐにMRIを撮影して、週末には紹介先の病院で「がんの疑いあり」になって、CTとPETと胃カメラと組織診の結果が出そろって2週間もたたずに「確定」する間に、まさかだ。あんなことが起きるとは思っていなかった。だんだん腫れた上に、痛みまで出てきた首筋に手をあてがってみる。いくら見当違いのまま東京の自宅まで車を飛ばして帰ってきたからって、自覚症状どころかだぜ。誰から見てもがん患者にしか見えないと思うと、いきつけのコンビニで堂々と買い物をする元気もなくなって、自分の車だというのに運転席でかしこまっていた。見覚えがあるとは思ったが、がんになっても入院する前までは普通に買い物をしていた自宅の近所にあるコンビニじゃないか。1年後の6月4日はまったく病みあがりには見えないはずだ。どうかしてると思いながら、自宅の駐車場に駐めた車からおりて、自宅の玄関を開けるまでに、信達から救出してきた半分枯れかかった親父の盆栽が重くても、数分間もあればじゅうぶんのはずだ。ドアを開ける前に電話が鳴ったんだ。かかりつけのクリニックから首でも食道でも肺でもなくて、「胃がん検診の結果を聞きにきてください」と言われるなんて。どこでどんな情報がどうつながっているのかいないのかまで考え込んでしまい、ますます居場所がない気持ちになったところに手紙が届いていた。写本のコピーがはいっている。
女神山にあった小さな社の中は奉納された繭で埋め尽くされていたが、よくよく見ると、誰がくぬぎを置いていったのか、緑色の埜蚕が光っていた。
断言しよう。
「種取り様は家々の風像家伝有るもの故、記さず」