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夏井いつき・奥田瑛二『よもだ俳人子規の艶』

副会長の新刊は、映画監督であり俳優であり画家でもある奥田瑛二さんとの対談本です! 『よもだ俳人子規の艶』というタイトルが示す通り、二人が語る「子規俳句」は、通り一遍の俳句談義にはおさまらない「よもだ」話の様相を呈していきます。

伊予の言葉に「よもだ」というのがある。(略)「へそ曲がり」というか、「わざと滑稽な言動をする」というか、そんなニュアンスだ。(略)
「よもだ」は単純に短所というわけではなく、人とは違った視点を持ったり、人が気づかないところに目がいったりする長所もある。なにクソ、迎合してたまるか。やると決めたことはやるのだ、という不屈の精神も含んでいる。

「はじめに」より

対談は、いきなり、奥田さんが話題にせずにはいられなかったという「艶俳句」への話題から始まります。

日本人の情緒の原点回帰というか、品性を保ちながら表現していくエロスが、子規の艶俳句の色だと思うんです。

奥田

子規が遊女たちを読んだ句群に惹かれたという奥田さんは、それらを「艶俳句」と名付け、そこに見られるエンターテインメント性と毒を、映画人としての自身の嗜好と類似するものとして熱く語り始めます。話されるワードのチョイスに奥田さんらしさもあり、まさに奥田節が炸裂していきます。

話題となる子規俳句は、艶俳句だけではなく、二人の「推し十句」など様々。対談は、定まりなく思いのままにあちこちへと進んでいくのですが、その中で、二人の読み解く着眼点の違いが見えてくるところにも、十七音の俳句の奥深さや豊かさであるように思いました。

子規の人生に、現れて消えていった市井の女性の話題についても触れる他、巻末の「子規の艶俳句」一覧では、遊女や傾城などの子規が詠んだ色里に関する俳句の量を実際に確認できます。

映画の1シーンのように読み解いてストーリーのように繋がっていく奥田的解釈と、一句独立の俳句の世界を五感を使って味わい尽くすような夏井的解釈の違いが浮かび上がってくる対談で、結果的にそれぞれの表現者としての拘りが際立っていくのを面白く感じました。そして、どちらもそれぞれに「よもだ」だなあと! 子規に限らない「よもだ」に生きる愉快が伝わってきました。

「よもだ」とは、表現者であろうとする者が、自分自身であり続けようとする気概のようなものなのかもしれません。(八塚秀美)