見出し画像

じゃん憲法


「えー、本日お集まりくださった方々、まことに、まことに、ありがとうございます。皆さまはなんとも幸運な方々であります。なぜなら、本日、この国が新しく生まれ変わる瞬間を目にするのです。今まで長らく王の途絶えていた国ですが、本日この中の誰かが王に選ばれ、そして、そして! さらによい国へと躍進してゆくのです! 遅くなりましたが、わたくし本日の司会を勤めさせていただきます、カレイ・ノ・ニツケと申します。よろしくお願いします!」

 カレイ・ノ・ニツケがマイクを振りかざすと、エーベルの八方からものすごい歓声が沸き起こった。思わず身をすくめると、横でキャップ(濃紺いろ)をかぶった国案内人の少女が振り向いて「今日は、ほんとうに、すばらしい、日なんです!」と周囲に負けないように声を張り上げて教えてくれた。エーベルが軽くうなずくと、少女は再び前に向きなおる。

「わおおお」や「くわあああああ」や「きゃーっ誰かお尻触ったわ! 誰よチカン!」などといった叫びがあちらこちらで飛び交う中、エーベルは正直なところ変な国に来てしまったなと思っていた。旅をし初めて数年がすぎた今、旅仲間に教えられた「国王のいない国」というのが珍しく、とても興味が湧いた。温和で平和主義者が多く暮らし、すべてのものが平等に分け与えられるとても落ち着いた小国だというのが噂に聞いていたものだったが、なんともタイミングの悪いときにお邪魔してしまったものだ。

一刻も早く立ち去りたいというのが本音だったが、隣にいる案内人は期待のまなざしでカレイ・ノ・ニツケを眺めている。はあ。思わずため息が漏れた。誰にも聞こえていないことは明白だった。

「諸君、静かにっ! これから神聖な儀式を行い、それをもとに国王を決めたいと思います。では、みなさん。静かに呼吸を繰り返してください。さあ吸って、吐いて、吸って、」
 カレイ・ノ・ニツケがそう捲くし立て、大きく呼吸を始める。マイクに彼の息がかかって「ぼう、びゅう」という音が盛大に聞こえていてそれなりに耳障りだったが誰も声を上げないのでエーベルも黙っていた。それより国民はそれと同じように深い呼吸を繰り返している。先ほどの歓声やざわめきは彼の一声でさっと止んだ。
 ほら、あなたもお願いしますっ。
 隣からのささやきが耳をかすめた。キャップ少女である。どうやらエーベルにも深呼吸を促しているようだ。こんなところで目立ちたくはないのでそれに従うと、少女はにこりとして言った。
「うまいですね、その調子です」
 ……深呼吸にうまいもへたもあるだろうか。謎を抱えたまま繰り返していたら、ふとエーベルの心に、非常にどうでもよいことが浮かんだ。どうでもよすぎて一瞬呼吸が止まりそうになったほど。
 彼女は国案内人より、助産師の方が向いているんじゃなかろうか。

「では、みなさん、お待ちかね! 国王選出の儀式を始めさせていただきます」
 なにやら物々しい雰囲気になってきた。国民の目つきが引き締まり、いっそうの緊張が空気に乗って伝わってくるのを感じる。キャップ少女が目配せして「静かにお願いしますね」とつぶやいた。エーベルも心なしか鼓動が早まっている気がする……。
「それではいきますよ!」
 カレイ・ノ・ニツケは、マイクを持った手とは反対の手を大きく振り上げた。と同時に、周囲で静かに見守っていた人々も一斉に腕をあげる。カレイ・ノ・ニツケは周囲をぐるりと見渡し、静かな中言い放つ。エーベルはさすがに傍観者になることにした。旅人が国の政にかかわってはいけない。
「じゃんっ」
 シンバルでも鳴らしたかのような音が響く。エーベルは嫌な予感がした。
「けんっ」
 嫌な予感は確信に変わる。
「ほうっ!」
 途端、気の抜けた合図で皆がそろって石か紙かハサミを手で描き、一瞬でその場は歓声に包まれた。カレイノニツケはグーを出し、キャップ少女は指を二本立てていた。彼女があああああと崩れ落ちたのはすぐのこと。エーベルはぼうぜんとその様を眺めることしかできなかった。国王選びがまさか、じゃんけんではないことを祈りながら。
 しかしエーベルの思いが杞憂には終わるということはなかった。つまり、王はじゃんけんで選ばれているようなのだ。立ち上がっていた国民の半数が今は座り込み、キャップ少女ももちろんひざを抱えて腰を降ろしている。エーベルは適当なころあいで座ったためカレイ・ノ・ニツケの姿を見ることができなくなっていた。声だけが、「じゃん、けん、ほうっ」と伝えている。
 十何度目かのじゃんけんで、とうとう、勝者が三人になった。当然カレイ・ノ・ニツケ以外で、だ。
「そ……、それでは、ここから、わたくしは見る側に回らせて、いただきます。そろそろ、取材の方、もうそろそろでございますよ! 王誕生の瞬間が、せまってきております!」 ところどころ息切れの混ざるその言葉に人々はざわついた。そうだ、王を決めるためのじゃんけんだったのだ。延々と繰り返されることに誰もがそれを忘れかけていた。
 では参ります、と言ってカレイ・ノ・ニツケはふたたびマイクを強く握る。最後の力を振り絞っているようにエーベルには聞こえた。
「じゃあんっ!」
 最後を表すように、力のこもる掛け声。
「けえんっ!」
 もはや、カレイ・ノ・ニツケだけの声ではなかった。国民全員が声を出し、三人を、あるいは四人を温かく見守る。
「ほおうっ!」
 とりわけ気合の入った言葉に、三人が力強く手のひらを広げる……。とおもいきや、ひとりだけこぶしを突き上げる男の姿が! 周囲にどよめきが起こった。
「…………」
 男は無言だった。黒髪でスーツを身にまとった堅実そうな男だった。
 ざわつく中、誰かが言う。
「王の……王の、たんじょう、だ……っ!」
 それをきっかけに、なにがなんだかわからない騒動になった。エーベルはうしろからどつかれ(いつのまにか皆が立ち上がっているので慌てて自分も立ち上がる)、前のやつは倒れてきた。国中が沸き起こる国王の誕生にしっかりともみくちゃにされる。気づけば隣にいたはずのキャップ少女は(どうやって行ったのかわからないが)新国王のもとまで駆け寄り握手を求めていた。
 今度はカレイ・ノ・ニツケも喧騒を鎮めることはしなかった。その代わり今からインタビューとどのような法をおつくりになるのかをお聞きしたいというようなことを言う。
「まず、お名前をお聞かせ願えますか?」
 いくらか口調が丁寧になったのは王に対する配慮だろう。握り締めていたマイクを王に向けると、人々は自然と静かになっていった。
「ブリダ・イコンです」
 無言で王を勝ち取った男は無表情でそう名乗る。姿勢も服のしわもどこもかしこも乱れがない。どこかで感嘆の声が上がった。
「ブリダ・イコンさん、いえ、ブリダ・イコン国王! どうか、これ以上わが国を優良な国にしてゆくには、どのようなことをしたらよいでしょうか。たった今国王となられたあなたに、ぜひともそれをお聞きしたいのです」
 皆の緊張が最高潮に達した。マイクを差し出す彼の手もいささか震えている。遠くにいるエーベルにもそれが見て取れた。
 国王、ブリダ・イコンは引き結んでいた口をそっと開いた。
「……そうだな…………、では国王をじゃんけんで決めるというこの愚かな行為を禁止するとしよう。私はこれには元々反対派の意見を唱えていたのだがね、それが平等にするため、じゃんけんで勝った人間の意見を聞くなどという非常に、ひっじょーうに、馬鹿げたお遊びに、私の心の叫びはねじ伏せられたのだ! 今回わたしが国王になったことで、じゃんけんを決断の方法に用いることは禁止とする」
 そこまで話してブリダ・イコンは満足げに微笑んだ。無表情を崩した瞬間、国民はふたたび沈黙を崩す。「わおおお」や「くわあああああ」や「きゃーっ誰か胸触ったわ! 誰よ変態!」などといった叫びがあちらこちらで飛び交う中、エーベルは、呆気にとられてその様子を見ていることしかできなかった。

 あとでキャップ少女から聞いた話だが、どうやら国王の任期は一週間という決まりがあるらしい。エーベルは、いただいていたカレイの煮付けを、思わず噴出しそうになるのだった。

ーThe ENDー

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?