「無理」の構造
はじめに
はじめまして、dZERO新人のHKです。今回は、未だに売れ続けている(ありがとうございます!)「知の構造」シリーズの二作目『「無理」の構造』を紹介させていただきます!
理不尽なのは「世の中」? いいえ、それは私たちの「頭の中」です。
概要
人間の心の中の中心は自分であり、善悪も公平不公平も言葉の定義も人それぞれ異なっています。自己矛盾の塊の人間が起こっている現象を頭の中で処理するために、世の中が理不尽に見えますが、それは自分にとって都合よく考えているだけであり、大切なのは客観的に考えることです。世の中には「わかっている人」と「わかっていないことをわかっている人」と「わかっていないことがわかっていない人」がいます。「見えていない人」からは「見えている人」が見えません。この対立構造が「理不尽さ」を生み出しているのです。
著者紹介
著者は「知と社会と自分」の関係がシンプルに可視化されている「知の構造」シリーズ『具体と抽象』『自己矛盾劇場』のでおなじみの細谷功氏。ビジネスコンサルタントである氏の哲学がわかりやすく述べられています。噛めば噛むほど味の出るスルメイカのように、読めば読むほど味の出る作品です。
この作品のポイントと名言
世の中には「理不尽」なことがあふれています。私たちは目標を達成するためやストレスを和らげるといったことのために、仕事や日常生活で日々さまざまな努力をします。(まえがき、p1)
無理の構造を明らかにすることができれば、抵抗が無駄に終わる根本原因を突き止めることができそうです。その原因を解き明かすために本書では、読者の頭の中の「コペルニクス的転回」に挑戦します。(まえがき、p2)
人間の中で私たちが勝手に信じている「理」は単なる思い込みであることが多く、実はそのことに気づいていないことが多くの「理不尽さ」の原因となっているのです。(まえがき、p3)
人間は暗黙のうちに身の回りのものを(実際には非対称であるのに)対象であると勘違いしています。これが本書で取り上げる「根本的な勘違い」であり、無駄な努力の根本的な原因と考えます。(まえがき、p4)
善と悪は明らかに同等のものではないのですが、その非対称性を普段我々が意識することはありません。(第1章、p18)
ここでは、このような人間や社会が従っている根本的な対称性を以下の三つに大別して解説します。
・物理的非対称性
・知的非対称性
・心理的非対称性 (第1章、p21)
まずは知識における非対称性です。それは、先に述べた通り、「増えることはあっても減ることはない」ことです。一度覚えたことは簡単には忘れません。(第2章、p24)
人類の知力=抽象化(+具体化)といってもよいほどに、具体と抽象の往復としての思考の価値はいくら強調しても強調しすぎることはないのですが、知識と同じように、この抽象化という能力そのものが同時に人間社会にさまざまな軋轢を生み出しています。(第3章、p28)
現代人が江戸時代にタイムスリップして、当時の人に「ドラッグストアのレジでゲットしたポイントカードをワイシャツのポケットに……」なんて話をしたら、江戸時代の人からはきっと「『意識高い系』の宇宙人」に見えることでしょう。(第3章、p32)
具体と抽象では自由度、あるいは汎用性の違いがあります。具体は自由度が低く一つ一つ特殊であるのに対して、抽象は自由度が高く、一般性があるのが特徴です。(第3章、p32)
人類が手にした最強の抽象化ツールとしては、「数」と並んで「言葉」があげられます。言葉のおかげで人類のコミュニケーション能力も飛躍的に向上した反面、さまざまな誤解の温床ともなります。(第4章、p35)
日常生活で私たちは、このような言葉というものを共通の定義もなく「各自の勝手な定義で」用いて「会社と個人の関係」や「仕事と遊びの関係」について語って議論しているのです。(第4章、p39)
人間は一般的に、基本的に保守的であり、「変えること」よりも「変えないこと」を選びます。(ポジティブなものを)「増やす」ことには抵抗がないのに、「減らす」側の変化には大きな抵抗を示す傾向があります。(第5章、p41)
「個性を殺すべし」という無言の圧力の強さは、日本社会において顕著な気がしますが、「上下関係で態度を変える」「うそやごますりをすることで組織の中で出世していく」人が多いのは、何も日本の話だけではありません。(第6章、p44)
「能動的であれ」とは世の中で常に言われることです。「受動的であれ」という話はあまり聞きません。ところが実際の世の中で求められているのはたいていの場合は受動的な人です。(第6章、p45)
まさに人間の一生のごとく、成長し終わったあとには、最終的に必ず衰退の方向に向かっていくということです。つまり時間の不可逆性とは「いずれは劣化の方向に働いていく」ことを意味するのです。(第8章、p54)
人間が成長し、そしてやがては老化していくように、社会や会社組織も成長というポジティブな不可逆的変化の後には必ず不可逆的な劣化が待っています。(第8章、p58)
専門領域が多くなるにしたがって専門組織も増え、専門家の種類も増える一方です。その結果として、世間知らずで視野が狭くなる、いわゆる蛸壺化はあらゆる場所で不可逆的に進行していくのです。(第9章、p61)
上流と下流との違いは、「問題発見・定義」と「問題解決」とにわけることができます。要は「そもそも問題は何なのか?」を決めるのが上流で、その問題に対する最適解を見つけるのが下流です。(第10章、p66)
人材で言えば尖った人が必要なのが上流で、平均レベルを上げるために「底上げ」が重要なのが下流です。上流と下流では、要求される価値観やスキルは「正反対」といってもよいほど違っているのです。(第10章、p67)
要は増やしたものはいつでも同じだけの努力で減らせると思いがちですが、実は逆向きの動きに必要なエネルギーはとんでもなく大きいために簡単には後戻りできないことが多いのです。(第11章、p76)
「いつの間にか積み重なっていて簡単には戻れない」ことに気づかないでいると、「努力に対しての成果」の効率がいつの間にか下がっていきます。それが「無駄な努力や抵抗」につながっていくのです。(第12章、p82)
すべての人には「自分」という中心が存在し、これをベースにしてものを見て、そして考えます。したがって、自分が他人を見る目と、他人が自分を見る目は決定的に異なっているのですが、あまりに当たり前のこのことを人はしばしば忘れてしまいます。(第15章、p98)
「悪い報告を上げろと言っても上げて来ない」と経営者や管理職は嘆きますが、報告を上げた瞬間に叱責され評価が下がるとすれば、悪い報告は上げません。そして「自分の頭で考えない」のは、権限を委譲せずに「最終的にはすべて上が決める」からです。(第15章、p100)
私たちが世の中に抱く「理不尽さ」は、起こっている現象が原因ではなく、自分たちの頭の中にあるのです。人間の頭の中こそが理不尽である、ということを受け入れられれば、「理不尽」が「理」に変わります。逆に、受け入れられなければ、すべては「無理」に変わります。(第15章、p102)
「わかっている」が起点ではなく「わかっていない」を起点にすれば、「少しでもわかった気分になる」ことでプラスに考えられるようになります。(第16章、p107)
「人の数だけ」公平さは存在するので、私たちが持ち出す「公平さ」は所詮、「自分にとって都合のよい公平さ」でしかありません。(第17章、p110)
見えていない人の思考回路で代表的なのが、「思い込みの激しさ」です。思い込みの激しい人とは、例えば「被害者意識」の強い人、感情的に怒っている人、「自分の正しさ」を露とも疑っていない人です。(第19章、p126)
外の人にできるのは、中の人に「外は楽しそうだからちょっと見てみよう」と思わせること。外側から岩戸に手をかけた瞬間から、それはすべて「無理」に変わるのです。(第22章、p146)
dZERO新人HKのひとこと
「わかっている人」と「わかっていないことをわかっている人」と「わかっていないことがわかっていない人」。私はどこに含まれているのだろうと考えています。さすがに「わかっていないことがわかっていない人」ではないだろうとは思いたいです。私は「わかっていないことをわかっている人」かなぁ?
抽象的に考えることができるようになると、「見えている人」の立場で物事を見られるようになるのですが、そうしたら今度は「見えていない人」が気になってしまうのですよね。「おーい、こっちの方が、景色がいいぞー」と呼びかけても「お前は何をわけのわからないことを言っているんだ?」と変人扱いされることも多々あります。たまに宇宙人扱い……。
自分を客観視しているつもりでも、さらに高い抽象的思考を持った人から見れば、私も「見えていない人」なのでしょうね。すべてが見えているのは全知全能の神様くらいでしょうか。まあ、人間はひっくり返っても全知全能の神様にはなれないので、目の前で起こっている出来事をなるべく客観的に見て、「理不尽」を受け入れて「理」に変えていきたいです。私は頑固なところがあるから、受け入れられなくて「無理」になってしまうかもしれませんが。
おまけ
無理の構造アニメ
「無理」の構造ショートアニメ集 (全10本ときどきおまけ)
細谷功氏コラム「名言は対立する」
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