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【看取り】終末期の支援で欠けていると思うこと

介護保険のケアマネの加算の中で、終末期の支援で「ターミナルケア加算」というものがある。医療や介護において「ターミナルケア」という言葉が適切なのかどうかわからない。「ターミナル」という言葉は、交通機関における出発点、終着点という駅や空港に使われる。終末期医療ともいうことがある「ターミナルケア」という言葉では、主に「終着点」として使われているのかと思うが、「出発点」という意味も含まれているとすると、それは、人が生涯を終えた後、その先への旅立ちという意味合いもあるのかと思う。だとすると、旅立ちの前の準備として何か必要なことがある。自分が仮に余命数ヶ月の身にあるとすれば、何をしたいか、何をしなければならないか、どんな準備をするのか、考えてみることは必要だと思う。そして、自分が関わる人たちへどのようなことができるのかも考えたい。


パリアティブケア(緩和ケア)とパストラルケア

以前の自分の記事で紹介した25年前のオーストラリアのカリタス・クリスティー・ホスピスでの緩和ケア研修では、当時オーストラリアでは、「ターミナルケア」という言葉ではなく「パリアティブケア」といい、緩和ケアと訳して伝えていた。(以下の記事もご覧ください)

パリアティブケアは以下の引用を参照してください

パリアティブケアとは何なのか?
「palliative」(パリアティブ)は「軽減」の意味を持つ英単語であり、「palliative care」(パリアティブケア)は、生命(人生)を脅かす疾患による問題に直面している患者およびその家族のQOL(Quality of life, 生活・人生の質)を改善するアプローチです。WHOでは、「苦しみを予防したり和らげたりすることでなされるものであり、そのために痛みその他の身体的問題、心理社会的問題」等を「早期に発見し、的確なアセスメントと治療を行うという方法がとられる」ものであると定義されています。

opsolグループ株式会社https://opsol.co.jp/opsol20190422/

緩和ケア研修の中では、緩和医療に関することだけではなく、前の記事にも書いたように、ビリーブメントサポートやグリーフケア、パストラルケア、その他、緩和ケアとしてマッサージ療法や音楽療法、など様々な取り組みがされていた。
中でも、自分にとって当時初めて知ることとなったパストラルケアワーカーの存在は、驚きと共に強く印象に残っている。パストラルケアワーカーの役割は、死を前にするひと、その家族、友人、そしてスタッフなどにも、大きなものとなっていた。パストラルケアとは、スピリチュアルな、精神的ケアを意味していて、患者や家族の状況に応じた形で提供される。パストラルケアワーカーはチャプレンと違い、特定の宗派に属するわけではなく、むしろ教会や宗教に属さない人にとってもそれは重要であるがために配置され行われていた。
スピリチュアルとは、霊的、魂の存在、といった意味合いよりも、生きること、人生の基本的な問題に関しての価値観であるとか、その人の人生における意味や目的の探究に関連しているという。ほとんどの患者が、死を前にするとこのような問題について痛みを感じ、援助を必要として、その答えをさがしもとめている。自分が感じたのは、そのような時間は、人の人生においてもっとも大切であり必要なことで、死を目の前にして初めて向き合い、自らに問うものであるよりも、もっと以前からそれを意識し取り組むことができると良いのではないかと思った。
単に、自分が好きなこと、嫌いなこと、趣味嗜好に関することなどを、また、考え方や価値観、性格、個性など、自分のアイデンティティーとして自己認識するだけでなく、自分がなんのために生まれて、どう生きてきたか、自分は人に愛され、また愛してきたのか、家族との絆はどうだったのか、なにを学んで、なにを学ばなかったのか、なにが大事なことだったのか、なにに挑戦して、なにを得てきたのか、なにに傷ついて、また誰を傷つけてきたのか、人格を磨く良き行いをしてきたのか、または自らの良心を傷つける行いをしてきたのか、などなど人生の本質を問うことを深く掘り下げて考える機会が必要ではないかと。
終末期における延命治療や医療の選択、死後にどうして欲しいか、事前に考えて意思を表示しておくことも重要なことではあるが、それは、残された人に対しての配慮でもあり、もっと自分自身に目を向けた旅立ちの準備、死を考えることとともに生きてきたことにもスポットをあてたい。そんなことに寄り添ってくれる人は、やっぱり必要な気がする。それが家族でもあるし、パストラルケアワーカーなのかもしれない。

チームでのかかわり

カリタス・クリスティー・ホスピスの終末期支援では、全人的にその人に関わることが必要であるため、それはチームで行われる。例えば、医療職や専門職、ソーシャルワーカーに患者が不安や痛みを訴えることよりも、そうではない人、清掃員のような身近で自分を気にしていてくれる人に率直に弱音をいうことなどもあり、そのような人においてもチームの一員として必要な訓練を受け寄り添うことができている。カンファレンスにも清掃担当者が参加する。
ボランティアについても訓練が必要であり、1日3時間、7〜8週間のトレーニングプログラムが用意されていた。
ボランティアの定義としては、良い聞き手、役にたつ援助者であること。自分自身が自分の不安等に対処することができ、自分の価値観にとらわれない(他人の価値観を尊重できる)チームの一員であることである。その他、自分の死生観を考えられる人、自分の限界を設定できる人、自分が巻き込まれていることがわかることができること、他機関に問題をもっていくことができること、ユーモアのセンス、自分自身を笑える、ハッピーなセンス、ホーネスト(誠実さ)なども必要とされる。遺族もボランティアとして参加ができるが、参加するには12ヶ月以上の期間が必要となっていた。
ボランティアの役割は、大変に感性を必要とされるものであり、その人選とトレーニングは大切であるとされていて、トレーニングの前後、インタビューが行われ動機や資質を見極めることが大事とのことだった。ボランティアは70名から80名の組織になっていて、生前の関わりから家族等に対するビリーブメントサポートまで広くかかわり、パストラルケアにおいて大変重要な役割を担っていた。

ボランティアプログラムの表紙には、以下の言葉が掲げられていた。

私の前を歩かないで
私は後をついていかないかもしれない
私の後ろを歩かないで
私はあなたをリードできないかもしれないから
私の横を一緒に歩いてください
そして、 私の友達でいてください

日本の介護保険におけるターミナルケア

日本におけるターミナルケアの概念は、パリアティブケアの意味を持つものが主になっていると考えられる。介護保険の報酬算定にターミナルケア加算というものがあり、その意味としては、終末期において残された時間に利用者本人やご家族の意思を尊重し最期までその人らしく過ごせるよう医療体制を整え支援した事業所が算定できるものとなっていて、訪問看護のターミナルケア加算については、主治医と連携し支援体制を整え、厚生労働省「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」等の内容を踏まえ計画したものを利用者とその家族に対して説明を行い、同意を得たうえでターミナルケアを行っていること、という要件があり、ガイドラインの内容は、最終場面での医療、治療の選択について、ご本人の意思決定をもとに医療、ケアにあたることが中心となっている。そして、最後の時間を過ごす、ご利用者、患者さんの生活の質(QOL)を高める援助を求めている。厚労省のガイドラインの主旨としては、あくまでも本人の意思決定を基本とした、終末期医療のプロセスのあり方が示されたものであって、積極的治療を行わないことの判断のあり方、責任の所在を考えるもののように思える。ターミナルケア加算の算定に限るものかもしれないが、終末期の医療、ケアを整えることに主眼があり、本人や家族の気持ちや心に踏み込んだ支援については、本人、家族に任されるものであるという印象を得てしまうのは自分だけだろうか。

喪失と愛着について

当時、研修を終えて帰国してから、改めてビリーブメント・サポートやグリーフケアについて考えた。
その際に読んだグリーフケア、悲嘆療法について書かれた「癒しとしての痛み」という喪失体験と愛着の関係を述べている本がある。
その本で著者は、「健全な悲嘆そのものの中に癒しの力がある」として、複雑な悲嘆、病的悲嘆に苦しむ人にその力を発見させるためのさまざまな具体的手法を描いている。

死別は、他者に対する私たちの親近感や愛着を損ない、私たちに致命的な打撃を与えることとなる。したがって、愛着形成過程に問題があった人は、癒しとしての悲嘆の情動を処理する際にも問題を生じることになる。なぜなら、基本的信頼が損なわれているため、最愛の人に別れを告げることも、新たな関係を歓迎することも困難になるからである。
また、最適な関係をみつけられないということは、ネットワークを有効に利用できないということでもあり、悲嘆作業の進行にも重大な支障をきたすことになる。こうして、ボウルビィとエリクソンの研究は、人間にとって愛着対象を失うことがいかに激しいストレスの原因となるかを、非常に明快に説き明かしてくれる。

「癒しとしての痛み」N・レイク/M・ダヴィットソン=ニールセン

ボウルビイの愛着理論をもとに、3歳までの愛着形成過程に問題があった人、つまり基本的な信頼や希望の基礎が形成できなかった場合に、安心感や自立の感情を持つことが難しくなり、人との間に最適な距離感や関係性を持つことが不得手となって(依存的になったり共生的になったり)、喪失や悲嘆を経験するときに、問題を生じることになるという。なぜなら、基本的信頼が損なわれていると、最愛の人に別れを告げることも、新たな関係を築くことも困難になることがある。そして、他者との最適な距離感に問題を抱えている人は、最愛の人を失うなどの際に病的悲嘆(複雑性悲嘆)に陥りやすい。しかし、病的悲嘆に苦しむ人に接してくる中で、その機会がその人の人間関係の変化のきっかけになることがあるといい、他者との距離感に大きな問題を引き起こすことになるか、またはより融通性のある健康的な人間関係を確立する良い機会になることがあるという。そのことをもとに悲嘆療法として具体的な関わりを示している。
また、このことは、愛する人を失う家族、親族、友人に対しての関わりでもあるが、死を前にする本人の喪失感にも同じように考え、具体的な支援を考えることができるのではないかと思った。

地域の課題と必要な取り組み

グリーフケアの役割として重要なことの一つとして、死別後の家族の病的悲嘆からうつなどの精神疾患に進んでしまうことへの未然の対応という役割があると思う。最近では、どこの相談の現場でも耳にする放置されたゴミの中で暮らす精神障害の方や、一人世帯の高齢者の方への、地域の人々からの不安、不満、なんとかしてくれという要望など。
全てとは言えないが、多くの方がゴミを片付けられなくなる前の状況から自分自身をコントロールできなくなるような大きな喪失体験や、環境変化、精神的なダメージを受ける出来事があった可能性がある。その一つに家族の死別もあるはずだ。死別後、一時的な何らかの公的サポートや身内の支援はあるかもしれないが、その後の孤独や不安、悲嘆から身を守ることができず誰も理解してもらえない状況が続くことがあれば、心を失なうような防衛機能が働いても不思議なことではない。病的悲嘆に陥り、何の支援も得られずに一人で過ごしてきたこともあるかもしれない。自らの意思で動くことさえもできなくなることもあるのではないだろうか。
ホスピスでの研修で学んだような、長期にわたるビリーブメントサポートや適切な悲嘆療法などが提供されていたら違った結果になっていたかもしれない。
いち早く、喪失体験をされた人たちに対する積極的なアプローチとして、地域の支援者を交えたチームが形成され、専門職によるアセスメント、そばにいて悲しみに寄り添うこと、また、最適な距離で見守ること、ゆっくり伴走すること、医療的な介入のみでなく、そのような支援の仕組みが地域でできると良いと思う。

最後にご紹介

この記事を書いているときに出会った映画がある。「グリーフケアの時代に〜あなたは一人じゃない〜」というドキュメンタリー映画だ。大切な愛する家族を亡くし悲嘆を経験してきた人たちが、同じような経験をする人たちに支援者としてたちあがる様子が描かれている。

その中の一人、池田小学校児童殺傷事件(2001年6月、池田市にある大阪府池田市にある大阪教育大学附属池田小学校に、刃物を持った男が侵入。小学1年生と2年生の児童8人の命が奪われ、15人が重軽傷を負った。)で我が子を失った本郷由美子さんのインタビューがある。
自分はこの壮絶な体験を、たまたま数年前にあるメールングリストで読み、衝撃を受けた。生涯忘れないようにメモにして残している。
最後にご紹介したい。

69歩からは一緒に手を繋いで……

あの事件の最中、現場にいたのは
ほとんど子供たちばかりだったために、
事件の詳細はなかなか明らかになりませんでした。

我が子がどこで倒れたのかも分からず、
もどかしさを募らせる私たち遺族は、
学校や警察の協力を仰ぎながら
毎晩のように報告会を開き、
事実を解明していきました。

その結果、体に負った傷の深さから
間違いなく即死だと思われていた優希が、
最後の力を振り絞って廊下を
歩いていたことが分かったのです。

それを知った時のショックは、
とても言葉では言い表せません。

誰も助けの来ない場所でたった一人、
途轍もない苦痛と恐怖と絶望の中で
最期を迎えた娘の心中を思うと、
身悶えするほど胸が痛みました。

その廊下には、優希の流した血が黒く変色し、
大きな血だまりとなって染みついていました。
主人と一緒に頬ずりをし、手で擦り続けるうち、
その床板が優希そのもののように思えてきました。

襲われた場所から教室を出て、
倒れた場所まで血痕を辿ると、
私の歩幅で六十八歩。

事件当初からずっと私たちの気持ちに
寄り添ってくださっていた刑事さんも、

「あれほどの深手を負いながらここまで歩くとは、
 何という生命力でしょう」

と驚かれていました。

以来その廊下は、私たちにとって
かけがえのない聖域になりました。

事件から守ることはできなかったけれど、
優希が頑張ったこの廊下だけは
何としても守りたい。

先生方にお願いして周囲を机で囲み、
私たちは何度も何度もその廊下に通いました。

優希が最後にどんな思いでそこを歩いたのか。
何でもいいから知りたい、何かを感じ取りたい。
そう願ったのです。

最初は苦しむ優希の顔しか浮かびませんでした。
けれどもその六十八歩を辿り続けてひと月経った頃、
笑顔で走って来る優希が見えてきたのです。

「よく頑張ったね、優希……」

胸に飛び込んできた小さな体を、
私は思い切り抱き締めました。

実は廊下に通い始めた頃、
私はそこで命を絶とうと思っていました。

「優希、お母さんは苦しくて、苦しくて、
 とても生きていられないわ」

と心の中で訴えかけ、優希と同じように傷を負って、
同じように歩いて、ここで死にたいと
密かに思っていたのです。

優希はそんな弱い母親に、


「お母さん、命ってこんなに素晴らしいものなのよ。
 だから与えられた命を精いっぱい生きてね」

とメッセージをくれたのです。

真っ暗な私の心に、ふっと光の点る思いがしました。

それまでは優希を殺めた犯人を、
心の底から憎んでいました。

極刑を求めて署名運動もしました。

私はほとんど人を憎んだことのない人間でしたが、
そこで自分の心は崩れてしまった、
もう元の心は取り戻せないんだと思うと、
そういう自分が嫌で仕方がありませんでした。

でもその光に出会って、
それって変えられるよねと思うことができたのです。

憎しみや悲しみからは何も生まれないし、
自分をどんどん苦しみに追いやってしまうだけ。

そういう破壊的な思いを
生み出しているのは自分の心なのだから、
生きる力とか希望といった建設的な思いにも
変えることができるかもしれない。

私が誰かを恨んだり憎んだりしていて、
優希の魂が救われるはずはありません。

私が鬼のような顔をしていたら、
心の中の娘も鬼のような顔をするし、
泣いていたら娘も泣いている。

そうだ、私が笑顔になれば優希も笑顔になるし、
私が癒やされることで、
優希も癒やされるのだと気づいたのです。

辛い、辛い六十八歩だけれど、
そこから学んだことを
何かに繋げられるかもしれない。

学んだことを伝えていくことで、
失われた命を未来に繋ぐことができるかもしれない。

六十八歩までは優希が一人で頑張った。

六十九歩からは私も一緒に
手を繋いで歩かせてください。

そう神様にお願いして、
私は再び生きていこうと心に決めたのです。

月刊「致知」2019年7月号より


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