誰も教えてくれなかった「死」の哲学入門

内藤理恵子先生の新作。
誰も教えてくれなかった「死」の哲学入門
日本実業出版社より発売中。

何がきっかけか忘れてしまったけどツイッターで知って(デヴィッド・リンチがらみの話題だった気がする)最初はブログを見に行き、スティーブ青木についての記事で彼の音楽にハマる。内藤先生は博士で、学者で、本も色々書いているらしい。
その辺からググっと興味を持ってフォローさせていただくことに。

近所にこんな物知りで面白いお姉さんが住んでたらいいなーといった感じで、なんでも気軽にリプライをくれるし色んな話題を持っていて短いツイートの文章でもみんなの心をがっつり掴んでいる。

それはさておき、いつも愉快な図書委員長って感じの内藤先生が本を出されたということで早速購入いたしまして。少しずつ読んでおりました。
誰も教えてくれなかった「死」の哲学入門
というタイトルの通り、死や生きる意味や人生について考えて来た偉人たちの残した学びをいったんまとめてわかりやすく解説してくれる本であります。
ニーチェやキルケゴールから空海、手塚治虫まで幅広く、またその内容も彼らの主張を現代風にたとえたり、リンキンパークやテレビゲーム、マトリックス・リローデッドやツインピークスなどの映画を用いて解説してくれているので大変に馴染みやすくなっております。それでも私にはちょっと難しい部分もあるし、映画や楽曲などは読んでからやっと
そうだったのか!
と思ったりもしたので、それ自体も発見が多い一冊となっております。

教養というのはそう言うところに出るのだな、と思うのはリンキンパークやデヴィッド・リンチの作品を前にして、そのモチーフやイメージするところが思い当ったりそれを自分の知識と照らし合わせて咀嚼しまた新しい知見としてアップデートし続けることだな、と。
これからは知識は脳じゃなく外のデータベースにインプットして検索して使うようになる、という話を何かで聞いたか読むかしたときに
バカ言え
と思ったのはコレで、要するに自分の中に初めから核になる部分がないとその後の教養とか知見などと言うものは育みようがなく、それらを補うのに検索のみで済ませるというのは結果的に空っぽの頭に言われるがまま提示されたものを出したり入れたりするに過ぎない。
タッパウェアとお惣菜の関係でしかないのだ。

序盤は哲学について、の話と聖書についての話が一緒に進みます。かつての哲学者はみな聖書をスタート地点にしてその考えを持つに至ったからです。
この辺りからして、信仰や宗教を特に持たないできた場合はとっつきづらい部分があるのかも知れません。
内藤先生はクリスチャンの学校で学んだ経験があったとのことですが、私は逆に少林寺拳法を通して仏教と開祖・宗道臣先生の言葉を学んだ経験がありました。
そしてブッダや手塚治虫先生の言葉についても書かれており、そこは大変興味深く楽しみにしている部分でもありました。

自分の中に柱となる考え、思想、信仰を持つことでより生きること、そして死へ向かってゆくことを意識しやすくなるのは確かだと思います。
今は死に向かって生きること、死にながら生きること、いや最早生きながら死んでいるようなことはあっても、自らの、また周囲の人々の死を意識して生きていくことは難しくそんな余裕すらない人が殆どなのではないでしょうか。
私も正直、もう死んじゃえばいいか、と思ったことは何度もありましたし、ここ数年もそう思ったことがあります。
死に向かって生きるのではなく、生きながら死んでいる。だから、死が見えない。死を畏怖したり、死後の事を考えたり、死を受け入れることも出来ない。
だから、苦しみ悩み身も心も力尽きたように死んでしまう人が少なくない。
そんな世にあって、もしこの本を手に取ってくれた人が悩んで苦しんでいるのなら、きっと助けになってくれると思います。
ただ、それはこの本が直接あなたを救うのではなく、さらなる知識、さらなる答えに向かっての道しるべ、羅針盤のようになるという意味です。

まだ何も知らないまま、今どうしても辛い。そんな時には本を読む気力も失っているかもしれない。だからこそ、さわりだけでも読んでみるときっとあとで効いてくる。
そして自分に合った考え、心にフィットする教えを選んで、それに触れてみればいいのです。

私は学校も家庭もグッチャグチャでガキのくせに心身ボロボロ、不登校の特大円形脱毛症デブだったころに少林寺拳法をやってて、宗道臣先生の言葉に触れる機会がありました。その時すでに故人であった宗先生ですが、残された講演会の様子や語録などが毎月紹介される会報を、いつの間にか楽しみに待って読むようになっていました。
本を、文章を読む習慣が身についていたことと、少林寺拳法を始めたことが結びつき、そこできっと様々あった支えの一つになってくれたのは間違いありません。

この
誰も教えてくれなかった「死」の哲学入門
も、きっとそんな手掛かりの一つになるのではないか。昔の自分と一緒に読んでいるような感覚になりましたし、それがゆえに時にはしんどくて、また時には仕事で疲れ切って読む気力も体力もなくなり、少しずつ読んで行きました。
私も、もっと知りたいと思いましたし、自分の持っている知識や経験をさらなるアップデートのために使って行きたいと思います。書くこと、見ること、聞くこと、行くこと、迎えること。そうした行動がやがてまた新たな種をまく。
その種を作る核を作り持っていくこと。
それこそが、自分が死に向かっていると知りながらも懸命に、明るく生き、やがて残る大樹の最初の一粒になるのでしょう。
核が見つからない、今も持たぬままの人は探す手掛かりに。
種を持つ人には新たな実りの季節が。
きっと訪れること請け合いの一冊です。ぜひぜひ。


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