デザインは「自分」を忘れていないかー10年間のデザイン教育で学んだことー 飯島 淳一氏 講演
自身の専門性をデザインの力で磨き上げ、キャリアの可能性を広げる
DXDキャンプ オープンセミナーシリーズ【第2回】
なぜ「いま」、エンジニアがデザイン思考を学ぶのか
「デザイン」に関する国内トップクラスの専門家やビジネスパーソンが、デザイン経営、広義のデザインの有用性を独自の視点で語る、「DXDキャンプ」提供のオープンセミナーシリーズ。第二回目は、東京工業大学大学院と東京理科大学で、デザイン思考をベースとした大学院修士課程での教育プログラムを開発された飯島淳一氏に登壇いただきました。
プログラムに参加した学生の言葉から見えてくるのは、正解は“一つ”と決め込み追い求めすぎる姿勢や、自らが持つ創造性への自信のなさなど、社会人にとっても思い当たるポイントばかり。そして、現在のデザイン思考に“足りないもの”へと、話は進んでいきます。
「デザイン」の力に期待しながらも、もう一歩踏み出せない、どこか信頼できない、周りの人を巻き込みきれない。理系・文系を超えて、そんなモヤモヤ感を持つ皆さんにぜひお届けしたいお話です。
※本記事は、2024年8月に開催されたDXDキャンプオープンセミナーでの講演内容を一部抜粋しご紹介するものです。
CBECとIDMー2つのデザイン教育に携わる
皆さんこんにちは。飯島と申します。私は現在、東京理科大学 経営学部 国際デザイン系学科、略称IDM(International Digital and Management) に所属しています。IDMは2021年に設立された学科で、それ以前は東京工業大学・工学院の経営工学専攻に籍を置き、CBEC(Cross Border Entrepreneur Cultivating program)というプロジェクトに関わっていました。そのCBEC時代から数えると10年余り、デザインに関わる高等教育について試行錯誤を重ねてきました。今日はその過程で学んだことについてお話していきたいと思います。
まずCBECについて。CBECは、平成26年に始まった文科省による通称「EDGEプログラム」というグローバルアントレプレナー育成促進事業で採択されたプログラムの1つです。「EDGEプログラム」では、国内におけるイノベーションの創出を推進するために、自ら起業するベンチャークリエーターや企業におけるシリアルイノベーターといった人材を育成するための大学院における実践的人材育成プログラムの開発と運営が求められるものであり、その中の核となるキーワードの一つが「デザイン思考」でした。
CBECで開発した人材育成プログラムは大学院修士の1年間のプログラムで、その特徴は理工系とデザイン系の融合にあります。東京藝術大学や武蔵野美術大学と連携し、講師や学生を派遣していただいて、カリキュラムを実施しました。
正解のない問題を出すことは不誠実?
上図は、よく知られているスタンフォード大学によるデザイン思考のプロセスです。ユーザーへの共感から始まり、問題を明確化し、解を発想しプロトタイプを作ってユーザーに使ってもらい、そのフィードバックをもって必要なステップに何度でも戻す。プロトタイプを作っては壊し、作っては壊し、を繰り返していくというものです。
CBECのデザイン思考もこのプロセスに沿った教育をしていましたが、ある学生から「正解のない問題を出すのは不誠実だ」と言われたことがありました。また上記のデザイン思考プロセスはアルゴリズムではないにもかかわらず、この5ステップを踏めば簡単に答えに辿りつけると思ってしまう学生も少なからず存在していました。世の中は正解のない問題だらけであり、我々が向き合うべきはむしろそちらにあるはずなのに、です。
また、美大生と理工系学生の違いも見えてきました。派遣されてきていた美大生からは、アイデアや発想について裏付けの理論を同じチームの理工系学生から求められ毎日泣いていたという話も聞きました。また、コミュニケーションの取り方にも違いがあり、美大生は絵を描いてコミュニケーションを取ろうとしますが、東工大生はとにかく文字で説明しようとすることにも気づきました。改めて理工系の学生は、子供の頃から唯一の正解がある問題だけを思考の対象にしてきており、その問題にいかにして早く、正確に、辿りつくかという訓練をされてきた傾向が強いというのが私の感想です。
東京理科大学経営学部国際デザイン経営学科(IDM)
話をIDMに進めましょう。IDMが対象とする「問題」とは、デザイン思考でいう“やっかいな問題(Wicked Problems)”といわれるものです。不確実で先の見えない時代の、解決の難しい、正解のない問題と考えることができます。
上図は、IDMが目指す問題解決のアプローチを表しています。厄介な問題から始まり、そこで何が問題なのかを見極め、その解決に必要なものが何かを見定め、それをどう実現するかを考えて、解決策の青写真を作り、解決策をエンジニアや行政の方々と共に実装していく。このアプローチは、問題を“自分ごととして考える”ところから始まり、そこで重要になるのが「共感」です。そして、アプローチの後半は、論理的な思考に基づく解決策の考案ということで、我々はこれを「共感」と「論理」がクロスすると呼んでいます。
※詳しい内容は、アーカイブ動画でどうぞ。東京理科大学IDMのプログラムについても紹介されています。
創造性を解き放つ、そして「自分は何者かを知る」こと
IDMのデザイン教育では、潜在的な創造性(誰しもが必ず持っている)が学校教育によってフタをされているのではないかと考え、そのフタを外し「創造性を解き放つ」ことをめざしています。また、「自分が何者かを知る」ことにも重点を置き、それは自分が本当に感じたことなのかどうか、もしかしたらそれはそう感じさせられた、あるいは考えさせられたということなのではないかといった疑問を持てるようになってほしいと考えています。自分が何者かであるかを知らないと、既視感のある誰もが思うような発想から抜け出すことは難しいからです。
具体的には、モノを見る目を養い、抽象力を醸成するということを目的に「デッサン」を学びます。また、自らの創造性、創作能力に自信を持ち、創作したものについて自信を持ってもらうために、お笑い、短歌、写真、身体表現、演劇、音楽のプロを招いて行う「クリエイティブ・コンフィデンス」といった講義も用意しています。
学生は、経験的あるいは客観的な知と主観的な知の2つの知、ハイブリッドな知性を身につけることができているのではないかと考えています。
「デザイン思考」について
こうして長くデザイン教育に携わってきましたが、否定的な人がいることも事実です。ただ役に立たないという人は、デザイン思考に対して過度な期待をしていたり、あるいは誤った使い方をしている可能性もあるのではないでしょうか。
先ほどのデザイン思考プロセスも、順番に辿ることだけが一人歩きしていると感じます。また、各ステップでたくさんのツールが用意されていて、授業ではそれらのツールの使い方なども教えたりしていますが、知識やスキルを磨くことに重点が置かれてしまっているきらいもあります。
一方で、デザイン思考では「潜在ユーザーに共感する」ことはよく言われますが、「自分は何者なのか」に基づく発想も重要なのではないか、デザイン思考には「私の視点」が抜けているのではないかというのが私の想いです。
私自身もかつて理工系の学生だったのでわかるのですが、理工系の発想では、客観的な知識だけ、あるいは論理的な思考だけであり、それは自分ではなく他の人たちと共有できることが前提になっているので、「自分」など考えたことがなかったというのが正直なところです。しかし、“やっかいな問題”を解決していくためには理論や知識だけでは通用しません。これからのビジネスパーソン、特に理系エンジニア系の方は、「自分は横に置いておくべき」という考えが先に出てしまうことも多いかもしれません。
「デザイン」を通して、いま一度「自分は何者か」を持つことは、重要なことだと思います。
参加者からの感想・コメント
次回のテーマは、『なぜ「いま」、ビジネスエリートはデザインを学ぶのか』と題し、ヤンマーホールディングス取締役の長屋明浩氏にお話いただきます。ご興味のある方は、ぜひお気軽にご参加ください。
もちろん、こちらの「note」でも引き続きレポートしていきます!
次回予告!
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