佇む枯れ木を見て強く冬を感じた
今日は景色ばかり見ている一日だった。
電車の中から、図書館の窓から、街を歩きながら。枯れ木がすごく気になった。木とか、植物は季節を反映する。春には桜を見る。夏には向日葵。
葉が散って剥き出しになった枯れ木がそこにあり、それを見ることで冬の寂しさを感じるのだ。
ただ美しいと思った。全ての葉を落として、裸で佇むその木を見て。
枯れ木に電飾は必要ない。飾って、煌びやかに見せればいいのだろうか。そうではないだろう、本当が見たい。
僕の冬のイメージはあまり明るくない。イブもクリスマスも特別な日ではなくなってしまった。けれど、穏やかに過ごしたいと思う。外に出て街の雰囲気を感じるのもいい。
季節に関して言うなれば、四季がこれだけ明瞭な国は珍しい。その点では、日本は素晴らしい。その事は僕らの感性に大きな影響を与えていると思う。
時間的な認識によって、今のかけがえなさや過去の冬の思い出が押し寄せて、良い記憶も悪い記憶も蘇る。そして将来の可能性について考えたりもする。
四季のある環境の人は、自分の記憶と未来を定期的に見直す機会を与えられ、人生を充実させるために調整して生きていくのだろうと思う。
先日、姉が膵炎で入院した。食事もできないし、水も飲めずに点滴を受けている。自分に出来ることは何かと考えてる。転院したりもして大変みたいだ。色々と参ることもあるけれど、そんな時にこそ心の声に耳を澄ませたいものだ。
読んでくださり、ありがとうございました。 今後より充実したものを目指していきます。