ヘラクレスオオカブト(またはギラファノコギリクワガタ) (短編小説)
朝目覚めると、僕の男性器がヘラクレスオオカブトになっていた。
布団がモゾモゾと動くので目が覚めた。布団を捲ると、パンツがビリビリに破られていた。そして、股間には立派なヘラクレスオオカブトがついていた。ヘラクレスオオカブトの尻と僕の股間がくっついていて、足はヘラクレスオオカブト自身の意思で動いているようだった。
僕は昨日の夜、自慰行為をしようとした。しかし、とても虚しい気持ちになり、途中で辞めてしまった。動画の中の男性器が、酷く立派に見えたからだ。自分の男性器がまるで偽物のように思え、自分自身も偽物だと思うようになっていた。そんな事を考えながら眠った翌朝、男性器がヘラクレスオオカブトになっていた。
ヘラクレスオオカブトは黒と金の体を見せつけるように、光に向かって体を捩らせていた。尻が僕の股間に引っ付いているので、生涯パンツという牢獄に囚われたままなのだが、抗う姿勢が素晴らしいと思った。
待てよ、と思った。履けるパンツがない。僕の部屋にあるパンツでは、ヘラクレスオオカブトを収容できない。このままでは部屋から出られない。
いや、股間にぶら下がっているのは男性器ではない。ヘラクレスオオカブトである。ならば、法には反しないのではないか。虫が下半身にぶら下がっていたとして、それが何だというのだ。
僕はシャツを羽織り、何も履かずに街に出た。こんなに清々しい気持ちは生まれて初めてだった。昨日までのオドオドとした自分はもういない。どれだけ相手の男性器が大きくても、ヘラクレスオオカブトの角の方が強い。何なら引きちぎってやる事だって出来る。街の人々の視線が、なんだか心地よかった。
「あの、ズボンは履いた方がいいと思いますよ。」交番前を通りががった時、警官にこう呼び止められた。
「何故です?ヘラクレスオオカブトを股間からぶら下げていても、猥褻物陳列罪にはならないでしょう?」
「ええ。だから僕はあなたを捕まえるつもりなんてない。ただ僕は、あなたがしている行為は、ヘラクレスオオカブトへのディスリスペクトですよ、と言いたいだけです。」
「ヘラクレスオオカブトへのディスリスペクト?」
「あなたは眠ってるヘラクレスオオカブトの力を手に入れた。それって、単なる運ですよね?」
「はい。そうですね。」
「つまり、あなたは何もしてない訳ですよ。たまたまヘラクレスオオカブトが股間についた。なのにあなたは、まるで自分の力でヘラクレスオオカブトを手に入れたような顔をしている。」
「つまり?」
「あなたには謙虚さがない。だから見ていて、そのヘラクレスオオカブトの角もへし折りたくなる。」
「じゃあどうすれば良いのですか?」
「ヘラクレスオオカブトが運良く股間に備わった幸運に感謝し、ヘラクレスオオカブトのお世話に従事しなさい。ヘラクレスオオカブトを、大切に扱いなさい。警官として言える事はこのくらいですかね。頑張ってくださいね。あ、そうだ。ズボン貸しますから履いてください。」
警官は自分のズボンを脱いで、僕に渡した。
「あなたはいいんですか?」
「僕にはパンツがあるのでね。男性器は隠れますよ。あなたもヘラクレスオオカブトを収容できる良いズボンを探すべきだ。それが始まりだ。」
「なるほど。それにしても良いズボンだ。ヘラクレスオオカブトもお喜びのようだ。」
ヘラクレスオオカブトはバタバタと足を動かしていた。
「良かったです。ああ、それと最後にひとつ。」
「何でしょう?」
「あなたの男性器は最初からヘラクレスオオカブトだったんだと思いますよ。」
「いや、昨日までは普通の男性器でしたけど。」
「そうじゃなくて。あなたは過度な卑下と傲慢によって、自分の男性器の価値を見誤っていたんですよ。全ての男性器はヘラクレスオオカブトの卵なんですよ。それを孵化させられるのは一握りですけどね。あなたの股間にぶら下がっているそれは、本当の意味でのヘラクレスオオカブトではないんじゃないですか?」
「というと?」
「あなたのヘラクレスオオカブトは、あなたの逃げ出したい気持ちの具現化ですよ。成長したように見せかけただけでね。本当のヘラクレスオオカブトは静かで、もっとかっこいいですよ。」
「本当のヘラクレスオオカブト。」
「あなたになら探せると思いますよ。本当のヘラクレスオオカブト。だから、精一杯生きてください。そうすれば自信になって、気づけば男性器がヘラクレスオオカブトになってるんだと思いますよ。」
「よく分からないですけど、精一杯生きればいいんですね?」
「そうです。いつか分かる日が来ると信じてます。それでは、引き留めて申し訳なかったです。」
「ええ。ズボンは明日お返しにあがります。ありがとうございました。」
僕はズボンを履いて、頭を下げて、その場を去った。家に帰って、そのまま眠ってしまった。
目が覚めると僕の男性器は元に戻っていた。僕は何だか愛おしくなってしまって、しばらく男性器を触っていた。ヘラクレスオオカブトはかっこいい。ヘラクレスオオカブトは強い。けど、僕の男性器はここにしかない。僕は僕の男性器が好きだ。
「あの、ズボンを返しに参りました。昨日はありがとうございました。」
「気にしないでいいんですよ。それにしても若いですな。懐かしい気持ちになりましたよ。」
「他にもこういう人がいるんですか?」
「私はギラファノコギリクワガタでしたな。若い時の話です。ちょうど、あなたと同じくらいだった。」
「ギラファノコギリクワガタ…。」
「それは誤った力の求め方でしたがな。そういえば、元に戻ったんですね。」
「ええ。これからはこの男性器と共に生きていきます。」
「それが良いと思います。では、頑張って。」
僕は生まれ変わったような気持ちで道を歩いていた。背筋が前よりも伸びている気がしていた。
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