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noteを毎日書くことに意味はあるのだろうか?

「note毎日更新」というタグがある。

毎日noteを続けてみようぜ!という宣言タグだ。


こんなタグが存在するほど、毎日更新という行動は難しいこと。慣れてしまえば全く問題ないが、そもそも文章を書く習慣がない人にとっては、地獄のような毎日を送ることになる。


朝起きてネタを考え
昼間にスキマ時間で文章を綴り
夜くたくたの状態で文章を整え更新


文字にすると「ん?noteのためだけに生きてる?」とでも言わんばかり、毎日まあまあな時間をnoteに割くことになる。


時給2000円の人が、noteに1時間割いて、そこで2000円稼げなければ完全な赤字である。noteでマネタイズできる人は増えてきているとはいえ、まだまだ月1000円以下の人が多いと思う。赤字続きの行為、嫌になってもおかしくない。


でも、noteを毎日更新する。
これに何の意味があるだろうか?


僕は「あまりに赤字続きならスパッと諦めてもいいけど、noteの効能はそれだけではない」と考えている。


以下が僕が感じている毎日note更新の効果である。

・習慣作りの基礎体力をつける
・自分が働いていない間にも記事が働いてくれる
・文章を読む癖がつく
・単純に書くことが楽しくストレス発散になる



このほかにも「習慣化の権威性が取れる」みたいな効能もあるにはあるが、それはかなり長期目線ではないと活きないうえ、たかだか1年くらいではnoteの世界では誇れない。もっとすごい人がたくさんいる。


そういう外的なものではなく、「書く行為」が習慣化されるということは、ほとんどのことを習慣化できると思っている。


書く行為は結構ハード。スポーツにも似ている。
1日だけ筋トレを頑張っても筋力はつかないように、こつこつと継続的に取り組むことではじめて力がついてくるもの。


正直、書くことを習慣化できたら、あらゆることが習慣化できる。


習慣化にはいくつかテクニックがあって、王道として「If-Then Planning」と言われる「Xしたら、Yする」という行動トリガーを設定する方法だ。これは効果がものすごいと研究でも明らかになっている。


ただしそれが合わない人も中に入る(僕がそう)。
そういう人たちはHabit Chainと呼ばれるカレンダーに○をつけていく方式のテクニックがある。


ありがたいことにnoteには毎日更新のアワードがあって、更新するたびに「○○日更新!」みたいなポップがでる。視覚的にもわかりやすく、かつ褒められているような気分になるので、ひとりで頑張っているっわけではないんだという感覚にもなる。


これを約半年も続ければ、歯磨きレベルで記事が書けるようになっているはず。これでも足りなければ「ゲーミフィケーション」のテクニックを混ぜてみるのもオススメ。


これは僕がつくったものだけど「チートノート」と呼ばれるノート習慣術。紙1枚にあることを書き続けるだけで、「続けている感覚」を失わせ、「気づいたら続けられている」という状態にする。


何やっても3日坊主だった僕がつくったものだから、そうとう偏屈であまのじゃくな人じゃない限りは効果があるはず。どうしても習慣化
できないという方はぜひ。


話はそれたが、noteを書くことで習慣化力を強化できる。
習慣さえ身についてしまえば、たいていのことは達成可能である。目標を達成できない最大の要因が「達成する前に諦めてしまうから」であり、決して自身の能力が低すぎるからではない。もちろん程度はあるだろうが、何事も慣れである。


2024年もはじまって早くも3月に突入。
あれこれしていたら、きっと年末になってしまう。

そんな1年でいいのか?
いや、ダメに決まっている。

今こそ習慣化のチカラをつけつつ、自分の目標に向かって走り出すとき。思い立ったが吉日。明日からではなく、「今」からやろう。


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