見出し画像

2拠点生活のススメ|第105回|ちょうどいいボリューム

徳島にいるとき、午前中はだいたいラジオをかけている。

まあいえば暮らしのBGMというところか。音楽がかかっているときには何も感じないのに、ニュースや天気予報は、気になってパっと頭に入ってくる。逆にどうでもいいのに通販情報などが始まると耳障りですぐに気がつく。何かをしながら、なんとなく聞いているだけなのに、気になることはちゃんと認識できるんですね。

朝起きるとすぐにモーニングノートというものを書くのだが、このときには、かすかに鳴っているレベルのボリュームに落とす。ネットを見たり、本を読んだりするときは、もう少しボリュームを上げる。また朝ご飯を食べるときには、さらにボリュームを上げる。

特別意識しているわけでは無いのだけれど、常にオーディオのリモコンを手元に置いて、知らぬ間に自分で調節を行っている。BGMには、最適なボリュームというモノが存在するのだ。

私の場合、頭を使う深さによって、ボリュームを変化させているようだ。深く考える時には小さく、逆に頭を解放したいときには大きくなる。

かといって、ラジオを消すという選択肢は無い、唯一音を消すのは、座禅の時だけ。外の音や生活音は聞こえてくるので、わざわざ消さなくてもいいのかもしれないが、ラジオだけは、たとえ小さな音でも聞きに行ってしまう、まだまだ修行が足りないようだ(笑)。

不思議なもので、スピーカーからの距離や角度というのも、とても気になる。徳島の家は、オーディオのスピーカーから音がなるので、デスクワークをしていてもスピーカーからの距離は少しあるし、左方向からなんとなく聞こえてくる感じ。この距離感、角度が作業中にはとても心地いい。

一方、川西の書斎では、パソコンディスプレイのすぐ横に小さなスピーカーがあって、距離も近いし、角度としては真正面になる。この感じはいくら小さな音にしても気になってしまって、結局音を消すことになる。

音というのは、音波というくらいで、空気の振動が波になって耳に届く。この徳島と川西で感じる違いは、どうもこの波の性質に寄るのではないかと気がついた。

画像1

ちいさなスピーカーが発する指向性の強い真正面から来る波と、ある程度の大きさでゆったりと遠くから届く波の違い。何を細かいことを言ってるんだと思われるかも知れませんが、音の大小ではなく、この波の性質が、思考を遮ったり、手助けしたりする。

音に限らず、誰にでもちょうどいい温度だったり、色だったり、フィット感だったりがある。数値的には同じでも、水道水と海の水では温度の感覚が変わる。パソコンに映る色と自然の色もそう。フィット感においても、やはり素材によって感じ方は全然違う。

そう思うと、ヒトというのは単に数値だけでは測れない、独特な感覚を持っているということになる。

自動運転やオート○○といった技術が次々と生まれて、便利になっていく反面、自分にとっての本当の心地よさは、オートでは再現できないものだとも思う。

ちょっとリモコンのボタンを押すことぐらい、たわいも無いこと。どんなに世の中が進んでいこうが、マニュアルのスイッチは、永遠に残しておいてほしいものだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?