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2拠点生活のススメ|第48回|空がキレイに見えるとき

今年は寒いせいもあるのだろうか、やけに空がキレイに見える。

例え、雲に覆われていても、そこにあるのはモノトーンではなく、微妙な色が複雑に混じり合った世界。特に朝は、刻々と変化していく色と光のショーに魅了される

最近、やたらと空を見上げることが多くなった気がする。

これって、何か精神的な理由なのか、それとも何かの暗示なのだろうか?・・・。


空がキレイに見える条件

仕事でたまに空撮するときがある。「今日はガスっていてダメ」というように、例え快晴でも、景色がぼやけて見える日がある。

夏の暑い時期など、湿度が高いと光が大気中を進むときに水分子に当たり散乱するため、遠くの景色がぼやけ大気が白っぽくなってしまう。

反対に冬は気温が低く、空気中に水蒸気が少ないため、景色が澄んで見えることが多いという。

春に霞が多いのは、植物が一斉に芽吹くので、そこから蒸発する水分量も多くなるためらしい。それを風流と捉えるのが、日本人の粋なところでもある。

最近は、そんな風流とは言えない黄砂や、花粉、PM2.5など色々な霞もある。

子どもの頃に光化学スモッグが出ると、当たりが真っ白になったのを覚えている。よく考えると恐ろしい時代だったんだな。

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徳島にいると、空がとても広く感じる。海で空を見るせいだろうか。空と海が一本の水平線で仕切られている様は、やはり気持ちいい。

特に夏は、光の強さを感じる。なにもかもを貫くような日差し。日焼けの仕方もずいぶん違うような気がするのも、同じく海にいることが多いせいだろうか。

このところ、空が美しく見えるのは、冬ということもあるのだろうが、コロナ禍で、車が減り、工場などの排煙も、少なくなっているせいかもしれない。

経済が弱ると、空がキレイになる。なんとも皮肉な関係だ。


辛いときほど、空がキレイに見える!?

「ブラックジャックによろしく」という漫画をよく読んでいた頃があった。

空がキレイに見えるで、思い出したのだが、とても印象に残っていて、今でも時々思い出すシーンがある。

それは、ガンで余命宣告をされたお母さんが、夫の運転で家に帰る車中のシーン。

「人は絶望したとき、目の前が真っ暗になるなんて言うけど、あれはウソね。本当に絶望したときは、世界がまぶしく見えるものなのね。」車窓から外を見つめるお母さんの言葉には、妙な説得力があった。

当たり前に自分も存在していた世界が、急に遠いモノに感じて、とても輝いて見える。言われてみないと、なかなか気づかないもんですね。


人が空を見上げる心理

心の状態が安定してリラックスしていると、自然に空を見上げる心理になるものらしい。元気がなくて緊張感も高いような時には、空を見上げようという気持ちには確かになりにくいような・・・。

また、心を広く持ちたいとき、癒しを求めているとき、考え事をしたいとき、忘れてしまいたいことがあるときなんかにも、人は空を見上げるモノらしい。

自分でも、気づかないうちに、そんな気持ちを貯めているのだろうか。


毎朝、起きると必ずベランダで一服するのが日課になっている。

すると朝日がゆっくりと昇ってきて

ブルーとオレンジが混ざり合った、なんとも言えない色に空が染まる。

そんなとき、いつも頭の中に流れてくる曲がある。

そういえば、グレンフライが死んで、もう何年経つのだろうか。

最近は、スキだったミュージシャンの訃報をたくさん聞くようになった。悲しいことだけど、自分もそれだけ年を取ったということ。

空を見上げたくなるのは、そんな思いもあるのかな・・・。

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