2拠点生活のススメ|第39回|手放すことの大切さ

日々の暮らしの中で、知らぬ間に増えていくモノたち、何かに影響されるたびに次々と現れ、無意味に溜まっていく思考。

そうしたモノは、手垢の付いた眼鏡のようなもので、キレイに拭いてやるまで、どれほど視界がかすんでいたか、気づかなかったりもするものだ。

そこで、今日のnoteは、手放すことの大切さについて考えてみた。


モノを手放す

昨年の春、コロナ緊急事態宣言で仕事が止まり、まとまった時間ができたことも有り、懸案だった川西の事務所兼ギャラリーを閉鎖することにした。

この事務所は、ニット作家である妻のアトリエ・教室も兼ねており、開設10年という月日も手伝って、溜まりに溜まった大量のモノで溢れていた。

捨てられるモノはあるにしても、これだけ大量のモノを自宅に持ち帰るのは物理的に不可能。果たしてどれほどの量を持ち帰ることができるのか、そのキャパを知る意味でも、自宅の断捨離からスタートすることになった。

自宅の断捨離は、服や本はもちろん、雑貨や家電、家具に至るまで、聖域無しにすべてを断捨離候補とし、場所ばかりを取る収納方法の改善など、とにかく徹底的に行った。

画像1

断捨離番組が好きで、よく見ている妻が、「自分の気分を良くしてくれるモノかどうかが、最大の判断基準」と言うのを聞いて、なるほど〜と賛同することにした。

単に事務所の移転というだけでは無く、新しい生活、新しい人生を始めると考え、これからの自分たちが、どうありたいかということに照らし合わせる。

これは大規模断捨離をする上で、大きな指針となり、おかげで服だけでも、夫婦でゴミ袋10杯、無駄に場所を取っていたエレクターをばらして処分したり、プラの衣装ケースなどもかなりの数を処分した。

写真、昔の文集、手紙、カセットテープなど、思い出や過去の自分を形づくってきたモノも、未来へ持ち越す必要のあるものだけに厳選することになった。

こうして、家の断捨離を終え、どの程度の量のモノを持ち帰れるか、その目安ができ、いよいよ本格的な事務所整理が始まった。

自宅の断捨離を済ませたことで弾みがつき、その価値基準が明確になったおかげで、事務所の片付けはスムーズに進んだ。ただ一方で、本棚や机、ギャラリーの展示什器など大型家具等の処分という難題も持ち上がる。

そこで、それらひとつひとつを写真に撮ってアップし、SNSにて公開。持ち帰ってもらえるならすべてを無料にし、ギャラリーに集ってくださった作家さんやお客さんにもメッセージを送った。

単に処分ということで無く、形見分けといった意味合いも生まれ、ギャラリーを愛して下さった方々に、ほぼすべてのものを持ち帰って頂くことが出来た。

そうした品々が愛着を持って、それぞれの暮らしの中で時を育む姿を想像し、こんなに嬉しいことはないと思った。

断捨離とは、ただの整理では無い。

自分たちを大切に迎え入れ、心地よく暮らせる基盤を作ることなのだと、改めて知ることになった。


雑念を手放す

毎朝20分の座禅を組むことを習慣としている。日によって集中できる日もできない日もあるのだが、スマホのタイマーが鳴るまでは、何とか座ることにしている。

もちろん、自己流の座禅だし、煩悩だらけの男なので、お腹が空いたとか、あの番組録画するの忘れてるとか、電話かけなきゃとか、今すぐにでも立ち上がりたくなるような雑念がたくさん押し寄せてくる。

画像2

たかが20分、座禅が終わってからでも何の問題も無いのだが、メモリー不足の頭が、またすぐ忘れちゃうよとか、中断させようとささやきかけてくる。

我慢して座っていること自体、すでにもう雑念に取り憑かれている証拠なのだが、いろんな考えが浮かび上がってくること自体が悪いわけでは無いという。

ようは、そうした考えに対して、いちいち反応して追いかけないようにすればいいだけ。ただ、この「だけ」がそうカンタンにはいかない。

あるがままを受け入れながら、頭のコントロールを手放していく。

言葉にすれば容易いが、実際そんなことが出来る人が存在するのだろうかと思うほど難しい。

呼吸に集中すればいいと言う人もいるが、それもまた呼吸というモノに頭が取り憑かれている状態。真の「手放す」ということとは違う。

目覚めていながら、頭のコントロールを手放す難しさ。でもこの頭のコントロールというモノが、あらゆる場面でいちばん人間を苦しめているのかも・・・。


固定概念を手放す

コロナ禍において、自宅に籠もることで、自分と向き合う時間がたくさんできた。

暮らしの中心が仕事だったこれまでの自分を振り返ってみると、いろんな固定概念にがんじがらめになっていたことに気がついた。

「仕事は仕事、遊びであってはいけない」「お金は安心の源」「気ままは贅沢である」などなど、仕事に邁進することを納得させるために、いつの間にか自分に植え付けていた固定概念の数々。

画像3

しかしよく考えてみると、高度経済成長の時代は遠い昔、インターネットの登場で仕事の在り方も、お金の稼ぎ方も、すっかり様変わりしてしまった。

世の中で、多様性が尊重され、一人一人が自分の生き方を求めていく時代。

一人の発想が、世界中に影響を与えることができる時代。

健康、友人、生きがいなど、お金で買えないモノに価値を見いだす時代。

モラルの欠如は論外として、常識なんて通用しない時代。

コロナ後の時代は、こうした古い固定概念をいち早く手放した人から、幸せになれる・・・そんな気がする。


手放すというのは、どれも簡単なことじゃない。

だけど手放すことでしか開けない世界があり、それこそが希望になる。

さあ希望を胸に、いざ行かん!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?