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人はそのままでパーフェクトな存在

前にも書いたかもしれないが、元々自己肯定感がそんなに高い方ではない。
非難されると落ち込むし、褒められても疑うという、ややこしい性格(笑)。

このところ、ついてないというか、思い悩むような事が多くて、すべてが自分のせいではないのに、何となく自分を蔑むような気分が続いていたのだが、表題の言葉に出会って、心の中に立ち込めていた重い霧が一気に晴れた。

これまで、人間は未熟な存在、罪深い存在で、だから常に精進が必要だし、修行や信仰によって徳を積む必要がある的な話を信じ込まされてきたような気がする。

本当に人は、そのままでは愚かな存在なのだろうか・・・

その昔、新興宗教の集会に、それとは知らず連れて行かれたことがあった。信じる教えを伝えたいという熱い気持ちは分かるのだが、入信して徳を積むのが幸せへの道だと口々に言われ、困り果てた私は「私自身が神なので、新たな神はいらない」と豪語して、ようやく帰してもらえたということがあった(汗)。
まあ、咄嗟に出た言葉とは言え、思い上がっているつもりはないが、自分の中にも神がいるという感覚は昔からあったような気がする。

仏壇には手を合わすし、初詣で家族の健康を祈ったり、恵比寿さんで商売繁盛を願ったりはしてきたが、私には信じるべき宗教も見当たらなかったし、幸せというのは、自分で考え行動し築くものだと思っていた。

「人間はそのままでパーフェクトな存在」という言葉に出会った本

そんな私が、神道の「人間はそのままでパーフェクトな存在」という考え方を知り、とても励まされると同時に、今までよく分からなかった神社という存在をとても身近に感じるようになった。

神道においては、人はもともと神の分身であり、完璧な存在と捉える。だから神道には「修行」も無ければ、「悟り」もない。

そもそも完璧な人が修行をする必要もない。けれど、幾ら完璧な存在とは言え、人はときにストレスを溜めたり、ネガティブな思いを抱いてダメージを受けることもある。そのとき人を正常(=清浄)な姿に戻してくれるのが神社であり、それが「お清め」や「お祓い」。人を本来の「神」である自分に戻してくれるシステム、それが神道なのだと知った。

NOMAyadoから見る小鳴門海峡の日没

昔から土地に根付いた自然の中に「神」を見出し、信仰してきた日本人。
例えば、朝起きれば太陽に手を合わせ、森に入る際には、山の神さまに手を合わせる。この世のすべてのものに神が宿るという神道の世界観は、自然の恵みを肌で感じる鳴門に暮らしていると、とても自然に腑に落ちる感覚がある。

「いただきます」と手を合わすのは、命をありがたく頂戴するということ、「ご馳走さま」は、その字のごとく、漁師や農家、運送屋や、販売店、料理人など、自分のために走り回り、労力を使ってくれた人への感謝を示すものだと知った。

これまで、何気に口にしてきた「いただきます」と「ごちそうさま」。
この世のすべてのものに神が宿り、人々が関係しあって成り立つ、そのおかげで自分がいると考える神道。その存在は、いわば水や空気のようなもので、意識するもしないも、私たちの暮らしや人生に深く関わっていたんだ。

また、神道には、
「神代在今(かみよいまにあり)」=「今、この瞬間こそが、理想の世界だ」
という考え方があり、「今」という瞬間の一点に、過去、未来、現在すべての時間が集約されていると捉える。これは、この瞬間の判断が未来を創り、過去の歴史から学んで、今を行動していくという生き方に他ならない。

60歳を越えて、まさにこの「今」の大切さが身に染みてきた身にとって、この言葉にも大きな勇気を得た。今は知らぬ間に溜まっていた穢れがすべて落ちきって「神」に戻ったような気分・・・。

何だか全能感が溢れ出しているのですが、神さま大丈夫でしょうか?(笑)


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