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創作者としては致命的な弱点が、僕にはある。

 今朝の夢で、どこかの神社に参拝している風景を見たのですが、具体的な場所が分かりません(挨拶)。

 と、いうわけで、不二川です。

 その、今朝起きた際に、「いとけない」という言葉が降ってきて、ハテ? どういう意味だったかな? と、一瞬焦ったのですが、調べた結果、漢字で書くと「幼い」、「稚い」であり、ああ、つまりは、あどけないとか、幼いと言う意味だったな、と、分かってホッとした今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。

 今回の記事は、「致命傷!」とかいった話です。

個人的なモヤモヤ

 さて。本題に入る前に、巷で耳にする「初期公募勢あるある」について、触れておこうと思います。

 なんか、世の中、「書こうと思っても(小説が)書けない」で、延々と足踏みしている人がいる、と聞いた事があります。

 これ、個人的には、すんげえ不思議です。あ、念のために「僕は」こう思う、というだけの、極めて偏った意見ですので、そこはご了承くださいね。

 で。何が不思議かって、「なぜ足踏みするか?」なんですよ。書きたいなら、書けばいいだけです。自分の中の衝動に従っていれば、四の五の言ってる暇はないはず。

 多分ですけど、そういうタイプの人は、「駄作を書く勇気」がないのでしょう。最初から(自分的)傑作を書こうとするから、手が止まる。ついでに言うと、「ちゃんとした長編」を書きたいのでしょう。

 僕としては、「そんなウマイ話があるかよ!」なんですよね。実際と言うか、僕が「創作」という趣味を始めたのは、今から28年前、22歳の頃だったのですが、一番初めは、原稿用紙20枚程度の短編から始めました。

 なお、ジャンルはR18でした。当時はまだ、インターネットというものがなく、草の根BBSの時代だったのですが、某R18の会員制BBSに、同好の士が、様々な創作小説を書いて公開していました。

 ただ、「僕の好み」の作品が、なかった。じゃあ、自分で書いてやれ! と思い切ったのが、そもそもの始まりです。

 その後、公開した作品は好評を博し、調子に乗ってどんどん書いていったら、ある日、当時の友人が言いました。「これ、面白いから、ゲーム会社に持ち込んでみろよ」と。

 で、タイミングよく、大阪のハローワークに、地元のゲーム会社の求人があったので、応募したら採用されたというわけです。

近道? あるかよ!

 とにかく、書きたい、という強い気持ちがあれば、技量なんてもんは関係ないです。同時に、「この一作に、己の全てを! 過去も現在も未来も、全て賭ける!」なんて必要もないわけで。

 なるほど、世に出ているプロ作家の作品を、たくさん知っていればそれだけ、自身の力量との差を感じて、へこむかもしれない。「どうせ俺なんか」と思うかもしれない。

 しかし、最初に書いた作品が、既に完成されている、なんてケースは、極めてレアでしょう。そりゃあ世の中、高校生なのに、初めて書いた作品で、新潮新人賞を獲ったりする人もいますけど。

 作家デビューの近道なんてえもんは、ないのですよ。まあ、まだ芽が出ていない僕が言っても、あまり説得力はないかも知れませんけど。

 それでも、こんな僕でも、プロだった16年間と、それ以外のアマ時代含めて28年間、「書く」ということに向き合ってきました。最近、やっと「ゼロからやり直そう」と思ったぐらいです。

 繰り返しますが、「駄作を書く勇気」がない限り、「あなた」は、永遠に「脳内の大作家先生」です。イコール、妄言を吹聴するだけの、イタイ人なのです。

本題

 で、ですね。「書く」こと自体に関しては、それなりに言うことを持っている方の僕氏ですが、この頃、青春時代の過ちを、かなり悔いています。

 と、申しますのも、「小説や映画に、ほとんど触れてこなかった」ことなんですよね。

 日々のインプットに余念のない、創作者の皆様からすれば、「おい、ざけんな?」かとは思います。ただ、僕は、「インプットするより、アウトプットしたかった」タイプですから。

 あ、一応申し上げておくと、僕も、学生時代には、それなりの数のラノベを読みました。それに、国語の教科書を読むのが好きでしたし、なんなら、とある授業での、宿題を忘れた罰として、その教科書をまるごと「写経」したこともあります。(多分ですけど、基礎的な文章力は、この時に身に付いたと思われます)

 ただ、(国語の授業以外で)純文学とか、一般文芸の小説を読むことは、ほとんどありませんでした。なので今、この歳になって、やっと読み始めているんですけどね。

シネマ!

 それはいいとして、今さらどうしようもねえ! と思ったのが、「映画を観る習慣」というものが、皆無なこと。

 弁明しておくと、僕の青春は、舞台演劇のそれでした。実際と言うべきか、大学時代は、1年半ほどですけど、演劇部に所属していましたし。なので、舞台は結構観たのですが、映画は全く観ませんでした。

 いや、全く、というのも極端なのですが、とにかく、両手で数えられるほどしか(映画は)観てないんですよ。

 余談ですが、演劇部にいて、「演ずる(=伝える)」側に回ったことがある経験が、その後の僕の創作活動に、少なからぬ影響を与えたと思っています。

 で。最近の僕氏は、ハリウッド式の作劇法の教本を読んでいる、ということは、何度か触れさせていただきました。

 教本の中には、多数の映画を引き合いに出して、解説がなされています。ただ、僕氏は、挙げられたタイトルを、9割9分9厘9毛観ていない。

 ある教本の、「訳者あとがき」に、「映画の50本ぐらい、すぐに観られますよね? お好きでしょ?」という旨のことが書いてあったのですが、僕としては、「いや、『お好きでしょ?』とか言われても!」といった感じです。

 確かに、今やアマプラがありますから、古今の名画は、簡単に視聴できます。とは言え、そもそも習慣がない人間なので、「せーの!」と決意を固めないと、視聴できない。なんなら、自室でPCモニタを前に、2時間集中していられる自信がない。

義務感で観ても?

 いや、確かに、勉強なんだからガタガタ抜かすな! という意見もあるでしょうけど、僕としては、「半強制的に視聴して、身に付くのか?」という疑問が。いやまあ、それこそ、四の五の言ってる場合じゃあないのでしょうが。

 ……と、ここまでグチグチ書いていて、「教本で挙げられているタイトルの、全てを網羅しようとするから、その途方の無さにうんざりする」のであって、例えば、シド・フィールドの本の冒頭にある、「最低限、これだけ観ておいて欲しい」という、厳選された10本程度を観るなら、不可能でもないか、と、考えを変えつつあります。

 時間はあるんですから、面倒くさがるべきではないと思いました。

 しかし、世のママさん、パパさん方におかれましては、別に将来小説家などにするつもりがなくとも、お子さんに、映画や本など、芸術に触れさせる機会をたくさん作って上げた方がいいのではないでしょうか。

 と、50歳独身が何か申しております。

 んじゃまた。


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