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フィンランドとロシア

ロシアがウクライナに侵攻して数日。緊迫した状況が続く中で、数年前に『危機と人類』(ジャレド・ダイヤモンド)という本で読んだ、フィンランドとロシアとの微妙な関係性を思い出した。

フィンランドは世界トップクラスの民主主義国家であり、独裁政権のロシアとは明らかに相容れない価値観を持っている。しかし、意外なことに両国は数十年間にわたって少なくとも表面的には良好な関係を維持し続けている。また、フィンランドはその信頼関係を維持するために、ロシアに対して普通の民主主義国家であれば考えられないほどに気を遣った外交姿勢をとってきた。

たとえば、ソ連の指導者と個人的に親しい関係を築いた大統領の任期を伸ばすために大統領選挙を延期したり、有力な対立候補を説得して出馬を思いとどまらせたり、「ソ連がバルト三国を占領した」と事実を書いた出版社に政府が出版差し止めを要請したり、報道機関にロシアを刺激するような報道をしないよう自己検閲を求めたりといったことをしている。ソ連との戦争後の休戦協定では、自国の首脳陣を戦争犯罪で訴追するために事後法を成立させ、自らの手で刑務所にいれるということまでしている(彼らは後に公職に戻ることができた)。

このような政府の姿勢は、他国から「フィンランド化」と呼ばれている。1979年のニューヨーク・タイムズの定義によると、

全体主義的な超大国の勢力と無慈悲な政治に恐れをなした近隣の弱小国が、浅ましくも主権国家としての自由を譲り渡すという、みっともない状況

なのだそう。

ひどい言われようではあるが、安全が保障された国で生活している人間からすれば、言論の自由や民主主義の否定にすら見える政策なのかもしれない。しかし、フィンランドと同じような地政学的状況に置かれたときに、矛盾を受け入れて現実的な妥協をする以外の解決策が果たしてあるだろうか。

フィンランドがこのような政策をとるようになったのは、1939年に始まったソ連との冬戦争における経験が大きい。ソ連はこのとき、バルト三国とフィンランドに対して各国の領土内にソ連の軍事施設を建設することや国境線の変更を要求。バルト三国はそれを受け入れざるを得ず、結果的にソ連に併合されることになった。一方、フィンランドはこれを拒否。圧倒的な戦力差があるソ連を相手に孤軍奮闘し、男性の5%にあたる10万人近い死者を出した。そして敵のソ連ではその8倍の兵士が死んだ。

国際社会は大部分がフィンランドを支持し、ソ連を批判していた。ソ連はこのことによって国際連盟から追放もされている。それにもかかわらず、他国はフィンランドに援軍を送ったり軍事物資を提供したりといった直接的な支援をしなかった。スウェーデン、イギリス、フランス、ドイツ、アメリカなどはフィンランドと友好的な関係であったが、ソ連との戦争に巻き込まれたくはなかったため、口先では軍隊を派遣するといいながらも実際には何もせずに状況を見守っているだけだった。

最終的には、ソ連側から突きつけられた講和条件を呑んで一部の領土を失い、国民の10%が移住を余儀なくされたが、国家の消滅はかろうじて逃れた。講和条件は最初の要求よりもさらに厳しいものではあったが、後にソ連が開示した資料によると、最初の要求をフィンランドが受け入れていれば、ソ連は続いてフィンランド全土を占領するつもりだったという。

この冬戦争と、直後に再度ソ連と戦った継続戦争の二つの戦争を通して、フィンランド人は二つのことを記憶に刻み込んだ。

まず、圧倒的な大国に隣接する小国としての自国の地政学的な立場を、現実的かつ適正に評価し、利害関係の折り合いをうまくつけなければならないということ。

また、いかに友好国であろうとも他国は当てにならず、自分たちの国は自分たちで守らなければならないということ。

半ばトラウマのような経験から学んだこれらのことを、フィンランドは第二次世界大戦後に粛々と実践する。他の民主主義国家から「フィンランド化」などという言葉で揶揄されながらも、半世紀以上の間、ソ連(その崩壊後はロシア)からの信頼を維持して、めざましい発展をした。国内では小国としての自国を適切に認識し、利用可能な資源を最大限に活用して、利益率の高い産業を発展させた。特に、国民の教育水準を上げることに注力し、今ではフィンランドの子供たちは世界でも有数の学力を誇る。結果的にIT分野をはじめとしてさまざまな産業で高い生産性を生み出し、第二次世界大戦直後の貧困国が最富裕国のひとつにまで成長を遂げた。

こうしたフィンランドの歴史と、いまのウクライナの状況を重ね合わせると考えさせられることが多い。

ウクライナ危機が始まった当初、EU各国がウクライナに直接軍事力を提供することに極めて消極的だったことは、冬戦争時のフィンランドとその友好国との状況を思い起こさせる。ひとたび戦争が始まると、夥しい犠牲を出しながらも肉を切らせて骨を断つような抵抗で国を死守したフィンランド人のナショナルアイデンティティの強さも、今のウクライナの人たちと重なる。開戦してしまった今となっては遅いが、ロシアという圧倒的な軍事力を持つ国に隣接する国として、その機嫌を損ねないように慎重な予防外交をすることは、民主主義のイデオロギーを掲げる国としても決して恥ではないはずだ。そして、対ソ戦争が終わった後にフィンランドの将軍マンネルヘイムが「ろくでもない選択肢のなかから、もっともひどくないものを選んだ」と言ったように、今回のウクライナも最悪の選択肢から最もマシなものを選ぶという辛い意思決定をせざるを得ないだろう。

毎日ウクライナのニュースを追いながら本当に心苦しい。この危機が一刻も早く過ぎ去ることを祈るしかない。

追記
フィンランドの首相がNATOの加盟に言及したというニュースがあった。あれだけロシアの機嫌を損ねないようにやってきたフィンランドがそこまで踏み込んで言及するのをみると、今回の侵攻でヨーロッパの安全保障におけるパワーバランスが一気に変わってしまったのを感じる。ロシア自ら壊滅的な状況を招いてしまったという失策が鮮明になりつつあるが、あとはプーチンが振り上げて行き場がなくなった拳をどう下ろさせるのかが問題。誰かが落としどころを示さないと、世界もろとも道連れにするようなことを本当にやらかしそうで恐ろしい。

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