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街風 episode.3 〜土曜日の女神〜

 「サンドウィッチセットと今日のデザートをお願いします。」

 彼女はそう言うと、こちらに笑顔を向けてくれた。

 「サンドウィッチセットと今日のデザートですね。かしこまりました、ご注文ありがとうございます。」

 僕は、マニュアル通りに受け答えをするとキッチンへ戻っていった。伝票には緊張のあまり手が震えていたせいで、全く読めない文字が這いずり回っている。

 「おい、ケンジ。何だよこれ。何を頼んだか全然読めないじゃんか。」

 このお店のマスターのノリユキさんは笑いながら僕に言ってきた。

 「すみません!書き直します!でも、注文は覚えてます。サンド...」

 「サンドウィッチセットでしょ。そして、今日は土曜だからプラスで今日のデザートも頼んでいなかった?」

 僕は驚いてキョトンとしてしまった。このカフェでバイトをしてから二週間しか経っていないからマスターについては全然知らないことばかりだけれど、店内の声は全て聞こえる超人並みの聴力かテレパシー能力を持っていたなんて...。

 「別に2人の声が聞こえたわけではないぞ。」

 呆然としている僕にさらにノリさんがそんな事を言うもんだから、僕はますますテレパシー能力を持っているんじゃないかと疑ってしまった。

 「...ノリさんってテレパシー能力が使えるんですね。」

 僕は恐る恐るノリさんにそう聞いた。

 「ははは。違うよ。あのお客さんはうちに毎日やってくるんだ。俺の中学校の同級生がやっている花屋さんで働いている子だよ。いつも決まってサンドウィッチセットを頼んでくれるんだ。そして、土曜日は毎回決まって”今日のデザート”をプラスするんだよね。」

 「あー、驚いた。本当にテレパシーを使えると思いましたよ。」

 「ごめんごめん。驚かすつもりはなかったよ。さあて、サンドウィッチセットができたぞ。俺と一緒に席まで持って行くの手伝ってくれ。」

 ノリさんはそう言って、僕にコーヒーを渡して自分はサンドウィッチを持ってテーブル席に座って待っている彼女のもとへ歩いていった。

 「お待たせしました。サンドウィッチです。デザートは食後に持ってくるね。今日も来てくれてありがとう。」

 ノリさんがそう言ってテーブルに置いたサンドウィッチはいつも美味しそうに見えるし、実際に今まで食べたサンドウィッチの中でもダントツで一番美味しい。

 「あ、あと、こちらはセットのホットコーヒーです。」

 僕は緊張のあまりたどたどしい喋り方になってしまったし、コーヒーを置く手も少し震えてしまって小さくカタカタと音を立ててしまった。

 「毎日ありがとうございます。今日もとても美味しそうですね!」

 彼女はノリさんと僕にまた笑顔でそう言ってくれた。

「美味しそうでしょ!実際に食べてみたら想像よりもっと美味しいから。あと、こいつ先週からバイトで入ったケンジっていうんだ。」

 ノリさんはこの女性に僕を紹介するために一緒に運びに来てくれたのか。なんて優しいんだろうか。ノリさんありがとうございます!

 「ケンジくんね。マナミっていいます。今後ともよろしくお願いします。先週も土曜日にいたよね?」

 年上の美女にいきなり名前に”くん”付けされると緊張してしまう。

 「こちらこそ、よろしくお願いします。はい、大学が忙しくて土曜だけ来ています。来週からはもう少し平日も入れると思うんですけど...」

 ああ、しまった。緊張しすぎて聞かれていないことも喋ってしまった。

 「そうなんだね。じゃあ、来週からは会える回数が増えるかもね!よろしく!」

 彼女はまた笑顔を添えて僕にそう言ってくれた。

 「じゃあ、そんな感じでよろしく!ケンジは空いたテーブル片付けといて。」

 ノリさんはそう言うと、自分は仕込み作業に戻っていった。マナミさんかあ。とても美しい方だなあ。笑顔も眩しいし、話し方も優しいし、何よりも飾らない自然体の雰囲気が素敵だなあ。僕は鼻の下を伸ばしながら、マナミさんが言った”会える回数が増える”という言葉を心の中で何度も反芻した。

 その翌週、僕は平日もバイトに少しずつ入るようになったけれど、授業の関係で夕方以降の時間から働いた。マナミさんはランチには毎日来るのだがディナーには殆ど来ないらしい。この情報は、平日のバイト終わりに僕がガッカリしている姿を見たノリさんが教えてくれた。やっぱりノリさんはテレパシー能力を持っていると思う...。

 そして、土曜日になった。

 ノリさんに”仕込みから手伝ってほしい”と言われたので、今日はいつもより少し早くカフェに来た。

 「おはようございます!」

 「おはよう!ありがとうね。早速、手伝ってくれ。」

 僕はノリさんと仕込み作業をしながら、色々と質問をした。ノリさんはその質問一つ一つに答えてくれた。僕をバイトで雇ってくれたのもノリさん1人でお店を回すのはだんだんと厳しくなっていたからだった。こじんまりとした洗練された店内と美味しいサンドウィッチの噂は徐々に広まっていたらしく、ディナーも好評であると知られてしまい、ノリさんとしては嬉しい悲鳴だったようで、せめて仕込みがもう少しできるように、ということで僕は雇ってもらえた。本当はもっとバイトを募集する予定だったらしいけれど、僕が週一入るだけでも全然仕事の捗りが違うらしく、もう他の人は雇うつもりはないとのことだ。僕は偶然の一枠に入れた事とそのおかげでマナミさんに出会えた事に感謝した。

 「マナミさんって彼氏とかいるんですかねえ。」

 「お、ケンジはマナミちゃんに惚れちゃったのか?」

 「違います違います!ただ、素敵な人だから気になっちゃって。たぶん、僕にとっては近いようで遠い存在な気がします。」

 「そっか。じゃあ、ケンジにとってマナミちゃんは”土曜日の女神”だなあ。」

 「”土曜日の女神”か。なんだかいいですね。」

 「マナミちゃんは不思議な力があるよね。周りを幸せな気持ちにさせてくれるようなものを持っている。でも、あんな子が毎日近くにいるのに全く靡くことのないダイスケは本当にすごいよ。」

 「そういえば、マナミさんとノリさんって2人でダイスケさんの話とかしないですよね。」

 「ああ、それはな、ダイスケが”俺とノリの関係はマナミさんには黙っておこう、そっちのほうが面白そうだから”って言ったんだよ。まあ、自分から名乗るものでもないし、もう通ってもらって結構経つから言うタイミングも無くなったし。」

 「へえー!じゃあ、マナミさんは何も知らないんですね!」

 「そうだよ。だから、ケンジも秘密な!男同士の約束だぞ。いつかタイミングが来たらネタバラシするよ。」

 ノリさんはいたずらっ子が悪巧みをしている時のような表情で僕にそう言った。僕もマナミさんに黙るのは後ろめたさがあったけれど、面白そうだからノリさん達に便乗することにした。女神を欺こうとする野郎3人組、とても面白い。

 「そういえば、今日のデザートの仕込みはケンジがやってみて。」

 ノリさんは唐突にそう言ってきた。

 「ええー!僕まだ何もできないですよ!」

 「やり方は教えてやるから!できるようになってくれたら俺も助かるし。」

 僕は全く自信が無いけれど、ノリさんが少しでも助かるならと思い、ノリさんと一緒に作る事にした。

 「今日はミニパンケーキにするか!作り方教えるから見てて。」

 ノリさんは慣れた手つきで生地を作ると、フライパンに流して小さなパンケーキを1枚焼いた。両面がこんがりとキツネ色になったらお皿に移してフルーツと生クリームでトッピングした。

 「ほい、出来上がり!」

 ノリさんに勧められて僕は一口食べてみた。

 「美味しい!」

 僕の感想に、ノリさんは満足そうに笑った。

 「よし!じゃあケンジやってみ!」

 僕とノリさんでパンケーキを焼いてみた。計5枚くらい作ってみて何となくコツが分かった。トッピングもどうすればいいのか感覚で分かってきた...気がする。

 「よおーし、いい感じだな!そろそろ開店準備に入るか!」

 僕とノリさんは開店準備を終えて、開店時刻の11:00と同時にお店の扉を開いた。今日は開店前からお店に行列ができており、ノリさんも”こんなの初めてだなあ”と呟いていた。

 「いらっしゃいませー。」

 席に案内したお客さんにお冷を順番に持って行き、呼ばれると伝票を持ってお客さんのところへ足早に向かう。13:00を過ぎてもお客さんは途絶えることがなく、結局落ち着いたのは14:00頃だった。

 「いやー、疲れた。こんなに忙しかったのは久しぶりだ。」

 ノリさんはそう言うと僕が焼いたパンケーキをつまみ食いしながら、コーヒーを入れてくれた。

 「今日はマナミさん来なかったですね...。」

 「そういえば、そうだな。珍しい、まあそんな日もあるんじゃないか。そんな落ち込んだ顔をするなよ。またいつだって会えるさ。それに毎週会える女神なんてありがたい存在だと思っておけ!ありがたみが足りない!」

 「そうですね。我々は女神と毎週会えていたんですもんね。」

 僕はそう言うとテーブルを片付けて回った。表情に出さないように気をつけているのだが、いつもノリさんは僕の気持ちを分かってしまう。

 「こんにちはー。」

そこには扉を開けたマナミさんがいた。”ほら、土曜日の女神が舞い降りたぞ”、ノリさんが僕を見てささやき声でそう呟いた。

 「ノリさんとケンジくんで何か今話してましたかー?」

 「男だけの秘密さ。」

 「うわー、気になるなー。まあ、いっか。じゃあ、いつも通りのやつでお願いしようかな。ケンジくんヨロシク。」

 「サンドウィッチセットと”今日のデザート”でよろしいでしょうか?」

 「さすが!覚えてくれてありがとう!」

 マナミさんは今日も笑顔が眩しい。キッチンへ向かう僕の顔の口角が上がっているのが自分でも分かる。こんなの恥ずかしくてマナミさんに見られたくない。ふと顔を上げるとニヤニヤしながら僕を見ているノリさんと目が合った。

 「ケンジ。注文は何だった?」

 「サンドウィッチセットと”今日のデザート”です。」

 「よし、ありがとう。」

 「そういえば、今日は随分と遅くに来たねー。」

 ノリさんがサンドウィッチを作りながらマナミさんに話しかけた。

 「本当は早休憩で一回来たんですけど、着いてみたら店内がめちゃくちゃ混んでいるのが見えたので、店主と休憩時間を交替してもらったんです。でも、うちもすごい混んじゃって落ち着いたのがこの時間でした。だから、もうお腹ペコペコなんです。土曜日は絶対にココで食べるって決めているので!」

 「それはマナミちゃんもお疲れ様でした。もうちょい待っててね。」

 お客さんも落ち着いた店内は、ゆったりとした空気に包まれている。

 「お待たせしました。サンドウィッチセットです。」

 僕は、マナミさんのもとへサンドウィッチを持って行き、マナミさんからの丁寧な”ありがとう”の言葉と笑顔を受け取ってキッチンへ戻った。

 「ケンジ、俺は少し仕込みに入る。だから、今いるお客さんたちのデザートはケンジが作ってくれないか?」

 「いやいや、ノリさん!さっき仕込みも終わったって言ってたし、お客さんもマナミさんしかいないじゃないですか?」

 「店長命令!」

 そう言い残すと、ノリさんは裏手へ行ってしまった。置き去りにされた僕は、さっき教えてもらった手順通りにパンケーキを作り始めた。こんがりと焼いた表面は今まで焼いた練習よりも上手くいった気がする。トッピングもノリさんに教わったとおり綺麗にできた。しかし、最後の最後にやらかした。ソースをかける時に手元が若干狂ってしまった。均一にかけなければいけないのに、少し偏りが出てしまった。

 「おう、できたか?」

 ...ノリさん、せめて、ソースをかける前に来てほしかった...。

 「最後をミスりました...。」

 「おおー、でも、上出来だな!よし、このまま出そう!ケンジが責任持ってマナミさんへ届けてくれ。」

 僕の必死の反対に貸す耳を持たず、結局ちょっと(だと思いたい)見た目が悪いパンケーキを持ってマナミさんテーブルへ向かった。

 「本日のデザートです。形が悪く申し訳ありません。」

 僕はどんな顔をしていたんだろうか。

 「ミニパンケーキだ!美味しそうだよ!これってケンジくんが自分で作ってくれたの?初めてなのにすごい上手にできているね!」

 そう言うと、マナミさんは早速パンケーキを一口頬張った。

 「味はどうだい?」

 ノリさんも近くに来てくれた。

 「とっても美味しいです!ふっくらと焼けているし、生クリームとフルーツのおかげで甘さと酸味があるからどんどん食べれちゃいます!」

 マナミさんはいつもの笑顔で僕に向かってそう言ってくれた。

 「よかったな、ケンジ!あと、今日のデザートはケンジの修行も兼ねてだから、お代はいらないから。」

 ノリさんは僕の肩をポンと叩きながらマナミさんにそう言った。

 「それはダメですよ。きちんとお支払いさせてください。こんなに美味しいものを作ってくれたんだから。あ、ケンジくんメモ用紙1枚とペンを貸してくれないかしら?ちょっと覚え書きしたいものがあって。」

 僕はマナミさんに言われるがままに、メモ用紙とペンを探しにその場から離れた。やったー!マナミさんに褒められた!僕の作ったデザートを美味しそうに食べてくれた!僕は嬉しさで爆発しそうだった。犬だったらしっぽをブンブンと振っていたに違いない、人間で良かったー。

 「マナミさん、メモとペンをお持ちしました。」

 「ありがとう!お皿下げてもらっていい?」

 マナミさんのテーブルのお皿を下げて、僕はノリさんとキッチンでお皿を一緒に洗っていた。

 「お会計お願いしまーす。」

 僕はサンドウィッチセットのみをレジに打ち込んだ。デザート代の500円は無し。むしろ僕がマナミさんにお礼を何か渡したいくらいだ。

 「はい、じゃあこれでお願いします。」

 僕は預かった千円札をレジに入れて、おつりをマナミさんに渡した。

 「あ、ケンジくんこれ受け取って。」

 そう言ってマナミさんは僕の手を掴むと、僕の手の平に二つ折りのメモと500円玉を置いた。マナミさんは両手で僕の手の平を優しく丸めようとした。

 「いやいや、受け取れないです!お返しします!」

 僕は、マナミさんの両手に包まれた自分の右手に幸せを感じつつ、左手を左右に振って必死に断った。

 「ダメです!きちんと受け取ってください!ケンジくんの初めてのお客さんは私にしてくださいな。」

 マナミさんは僕をじっと見てそう言うと、さらに僕の右手をギュッと握った。

 「ケンジ。きちんと受け取りな。」

 ノリさんが後ろから僕に声を掛けた。

 「でも...」

 「ちゃんと受け取れ、マナミちゃんの気持ちを無駄にするな。そして、そのお金はレジに入れなくていい。ケンジのパンケーキはたしかに上手くできた。だけど、まだまだ俺には敵わない、だからお店としてそのお金は売上にカウントできない。その500円は、ケンジが受け取るものだ。」

 ここまで言われると僕も断れない。

 「はい、じゃあ決まり!本当に美味しかったよ。」

 バイバイ、といつもの笑顔で手を振るとマナミさんは花屋へ戻っていった。

 僕は、マナミさんが帰った後も右手を丸めたままレジに立ち尽くしていた。右手に残ったマナミさんのぬくもりと二つ折りのメモ、そして500円玉。僕が初めて誰かのために作ったデザートは、”土曜日の女神”に食べてもらえた。今日は開店前からドタバタしていたし、気づいたらあっという間に15:00を回っていた。全てが夢のようだ。

 「誰かのためを想って作った料理で、その人が笑顔になるのって最高だったろう。俺がこのお店を続けている理由が分かっただろ?」

 ノリさんは僕に笑顔でそう言った。

 「そうですね。こんな経験をさせてくれてありがとうございます。ノリさんのお店で働くことができて僕は本当に幸せです。」

 僕は、ノリさんがやっぱり大好きだ。こんなにカッコいいサプライズを企画してくれて、”ノリさんがお店を続けている理由”も説明だけじゃなくて僕に体験させてくれた。

 「俺だけじゃできなかったよ、やっぱり...」

「「”土曜日の女神”」」

 2人で思わずハモってしまった。そうだった、マナミさんのおかげだ。マナミさんが嫌な顔せずに笑顔で食べてくれて、最後には僕へのメッセージ付の500円玉をプレゼントしてくれた。やっぱり近いようで遠い存在だなあ。

 「あ、そうだ!メモ!」

 僕は慌てて右手を見た。

 「ケンジ。遅くなってごめん。今から休憩行ってきていいよ。」

 こういうさり気ないところがノリさんのズルいところだ。僕はエプロンを外して、裏手へ回った。メモをそっと開くと綺麗な字で短くメッセージが書かれていた。

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ケンジくんへ
今日はごちそうさまでした!
とっても美味しかったです!
あんな美味しいパンケーキ初めてでした。
今度もまた何か作ってね。
”初めてのお客さん”マナミより
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 もう天にも昇りそうな勢いだ。とうとう僕の喜びメーターは爆発した。こんなにも嬉しいことが今までの僕の人生にあっただろうか。僕はメッセージが書かれたメモと500円玉を大切に財布にしまった。早く家に帰って机にしまいたい気持ちを抑えつつ、僕は休憩を終えるとお店に戻った。”土曜日の女神”は本当に女神様だった。

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 「ただいま戻りました〜。」

 「おかえりなさい。今日は休憩遅くなってごめんね。ゆっくり休憩できた?」

 「はい!今日はいつも以上に素敵な時間を過ごしてきました!」

 「またいつものお店に行ってきたの?」

 「そうですよー。でも、どこのお店かは今日もヒミツですー!いつか一緒に行くまでは楽しみに待っててくださいね!」

 彼女は鼻歌を歌いながら、花の手入れ作業を再開した。さすが、ノリだな。マナミさんが鼻歌を歌う時は、特別ご機嫌な時だけだ。マナミさんやノリに聞いてみたいけれど、やっぱりここは男の約束を守るためにも気にしないふりをしておこう。僕も久しぶりにノリのサンドウィッチを食べたいな。

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