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街風 Last episode 〜ネガイ カナエ タマヘ Last Part 「ネガイ カナエ タマヘ」〜

 「あらあら、今日も仲良しね。」

 タエは、今日も旦那の墓参りに行く前にお店に立ち寄った。すでに今年も終わろうとしている12月の肌寒さから身を守るように、ロングコートとニット帽にプラスしてマフラーを首に巻いている。タエは、店内に入るなりダイスケとマナミの仲睦まじい様子を微笑むように見つめた。

 「えへへ、実は私たち…」

 「先日から付き合うことになりました。」

 マナミの言葉を待てなかったのか、ダイスケが割り込んでタエに報告をした。ダイスケとマナミは照れ臭そうにお互いを見合うと、タエに目一杯の笑顔を見せた。

 「あらあら、それはまあ。おめでとう!」

 タエは、いつもと変わらない素敵な笑顔を添えて二人をそれぞれ見つめた。目尻の皺からは、心から二人を祝福しているのが伝わる。タエは、ダイスケの今までを知っている数少ない常連客で、これまでの経緯を知っているからこそ本当に2人が付き合って良かったと思っているのだろう。

 「マナミちゃんには、私の孫もお世話になっていたし、今度はマナミちゃんが幸せになってくれて嬉しいわ。それに、ダイスケくんもやっと幸せをつかむことができて本当に良かったわね。」

 タエは、感慨深そうにしみじみと語った。そんなタエの言葉に気掛かりな点があったのか、マナミはタエに質問をした。

 「タエさんのお孫さんと私って会った事はありませんよ。タエさんこのお店にお孫さんを連れてきたことありましたっけ?」

 「ここには連れてきたことないわよ。」

 「じゃあ、会ったことないと思います。」

 「あら、そんなことないわよ。孫からマナミちゃんの話を聞いたもの。一輪のコスモスもプレゼントしてもらったって言ってたわ。覚えてないかしら?」

 「えっ!もしかして、お孫さんってカオリちゃんのことですか?ワタルくんとお付き合いしているカオリちゃんですか?」

 「ええ、そうよ。あら、言ってなかったかしら、ごめんなさいね。うふふ、カオリったら“マナミさんのおかげで幸せになれた!”って何度も言っているわよ。」

 「もー、タエさんもカオリちゃんも孫と娘だなんて一言も言ってくれないから分からなかったですよー。世間は狭いですね。」

 ダイスケを置いてけぼりに、タエとマナミのガールズトークは続く。そろそろ行かないと、とタエが話題を切り上げようとすると、マナミは今日のオススメの花を紹介した。タエは、いつも通りオススメの花を中心にマナミのセレクトで作られた花束を持ってお店を後にした。

 「またよろしくね。」

 「はい、カオリちゃんにもよろしくお伝えください。」

 タエは、花束を抱えてバス停へと去っていった。店の外に出たマナミは、空を見上げた。灰色に染まった空は、今にも雪が降りそうだった。

 マナミが仕入れを担当した少し背丈の低いモミの木の売れ行きは好調だった。今では、家庭用のクリスマスツリーはプラスチック製のものが多く流通しているが、今の時代にこそ本物のモミの木が売れるかもしれないというマナミの直感は大当たりだった。夕方になり閉店間際の時間帯になると、仕事帰りのサラリーマンがモミの木を購入してくれることが多々ある。片方の手にビジネスバッグ、もう片方の手にモミの木を持つ後ろ姿は、現代のサンタクロースに見えてきて微笑ましい。24日の夜には本当にサンタクロースになって、プレゼントを渡すのだろう。

 最後のお客さんを見送ると、ダイスケは店の入り口で大きく伸びをした。

 「よーし、お店を閉めたら行きますか!」

 その掛け声をスタートに、ダイスケとマナミは表のシャッターを閉めるといそいそと店内の片付けを進めた。レジも締めて2人は荷物をまとめるなり、裏口から店を出た。2人で戸締りを確認すると、表通りに出てとある場所へと向かった。

 「今日も手伝いありがとう。」

 ケンジはお客さんが帰った後のテーブルに置かれた皿を慣れた手つきで重ねて厨房へと持っていった。

 「いえいえ、ここのお店好きですから。」

 マイは、ケンジが持ってきた皿を一枚ずつ丁寧に素早く洗うと流し台のすぐそばにあるディッシュスタンドに立てかける。一通り終えると布巾で水滴を拭き取って棚の決められた場所にしまっていく。

 「もう収納場所も覚えているのか。すごいな。もうケンジよりも仕事ができるんじゃないのか。」

 ノリは、仕込みをしながら冗談っぽく言った。

 「本気でそんな気がしています、僕なんて未だに覚えていないかもしれません。」

 ノリの冗談をケンジは真に受けて声のトーンが下がっていた。ノリは、そんなケンジの様子を見て大きく笑った。

 「ははは、マイちゃんと比べたら誰だってそう思っちゃうよ。マイちゃんは本当に気立ても良くて仕事もできる子だよね。」

 マイはどう返答していいか分からず、少し頬を赤らめてやめてくださいよーと言いながら片付けを続けた。

 「でも、今日は招いていただいてありがとうございます。ケンジさんから誘われた時は、本当に私なんかが来ていいのだろうかって思っていました。」

 「何を言っているんだい。マイちゃんはこの間もお店を手伝ってくれたし、パーティーは人数が多い方が楽しいでしょ。」

 ノリさんの言葉を聞いて、マイはホッとした表情を見せた。それと同時に、ますますノリさんとこのお店を好きになった。

 「よし、じゃあマイちゃんは仕込みを手伝ってもらおうかな。ここらへんの食材の下準備をしといてくれないか。俺とケンジでテーブルのレイアウトを変更しよう。」

 マイは、ノリが仕込みをしていた脇に置かれていた食材の下ごしらえに取りかかった。ノリとケンジは、店内のテーブルの配置を変えて大きな一つの大テーブルになるように大移動を始めた。

 「「お邪魔しまーす!」」

 カランと鳴った出入り口のドアに目を向けると、カズとショウコが立っていた。

 「おー!今日は2人ともわざわざお越しいただき、ありがとうございます!」

 ノリさんは、2人を店内にどうぞと招き入れた。

 カズは、羽織っていたコートを隅に置かれた椅子に掛けてスーツのジャケットをその上に折り畳んで置いた。そして、ネクタイを取ってYシャツの袖を捲った。

 「俺も手伝うよ!」

 カズは、ケンジとノリの元へと行きノリの指示を仰いだ。

 「いやいや、お客さんなんだからゆっくりしててくださいよ。」

 ノリは、カズの申し出をやんわりと断ろうとした。

 「気にするな。動いた方が料理もお酒も美味しくなるからな!」

 カズはそう言ってテーブルを持ち運ぼうとした。ノリは、感謝を伝えつつテーブルの反対側を持って移動を始めた。

 「じゃあ、私も!」

 ショウコはそう言うとブラウスの袖をヘアゴムで留めて厨房に入っていった。下ごしらえを終えつつあるマイの横に立った。

 「はじめまして。私はショウコ。よろしくね。」

 自己紹介をしたショウコは仕事帰りだったこともあってか、マイの目には輝くキャリアウーマンのように見えた。そんなショウコの姿に見惚れかけた自分にハッとしつつ、マイも自己紹介をした。

 「はじめまして。マイって言います。ここは、ケンジ先輩の紹介で来ました。今日はよろしくお願いします。」

 「そんなにかしこまらなくていいわ、マイちゃん。」

 素敵な女性に名前で呼ばれたマイは少し照れた。2人はお互いの話をしながらノリの指示に従ってテキパキと料理を作り始めた。

 テーブルのレイアウトが終わると、ノリはどこからか持ってきた大きなテーブルクロスを一つになったテーブルに覆うように広げた。その周りにケンジとカズで協力しながら椅子を並べていった。

 ノリは、厨房に戻るとマイとショウコと交代した。2人は大きく一つになったテーブルへ行き、すでに座っていたケンジとカズの隣にそれぞれ座って4人で会話を始めた。その姿を嬉しそうに眺めながら、ノリは料理を作り続けた。

 「こんばんは。」

 またお客さんが来た。それは、ユリエだった。すでに来ていたマイとケンジを見つけると胸の前で小さく手を振った。そして、はじめましてのショウコとカズに挨拶をしつつ、店内へと入った。

 「ユリエといいます。ノリの彼女です。」

 ユリエは、チラッとノリを見ながらショウコとカズに自己紹介をした。4人で話していたところにユリエも加わって、5人で会話はさらに盛り上がっていった。ユリエとノリの話ではカズが一番食いついていた。

 「すみません、遅れましたー!!!!」

 高校生男女4人組が息を切らしながら慌てて店内に入ってきた。カオリ、ワタル、ユミ、トモヤの4人だった。

 「まだ開始10分前だから大丈夫だよ。今日は学校帰りなのに来てくれてありがとうね。」

 ノリは、完成した料理を次々とテーブルに運びながら答えた。ケンジとマイはグラスとドリンクをテキパキと用意していて、カズとショウコはカトラリーを各席に揃えていた。

 「おお、ワタル!よく来たな!他の子も今日はよろしく!」

 ケンジは、4人に挨拶を済ませつつドリンクの準備を終えた。

 「お姉ちゃんの方が早かったんだね!」

 カオリのその言葉に他の人は驚いて周りは見渡した。

 「今日はゼミが早く終わってケンジ先輩と一緒に来たんだよねー。」

 マイは、カオリに返事をすると再び自分の席に着いた。

 「え?どういうこと?」

 たぶん店内で一番状況が掴めていないであろうケンジは、マイとカオリを交互に見ながら質問をした。自分が通っている大学のサークルの後輩の子と、自分の弟の彼女が姉妹だったなんていう事実は誰だって驚くだろう。その様子をニヤニヤと見ていたノリさんは、マイと目が合うと小さくウインクして笑った。

 「ケンジ先輩には内緒にしていたんですけど、実はワタルくんの彼女であるカオリは私の妹なのです!」

 「ええー!なんでもっと早くに教えてくれなかったの!カオリちゃんも教えてくれればいいのに。」

 ケンジは驚きのあまり開いた口が塞がっていない。

 「本当は言おうと思っていたんですけど、面白そうだからノリさんとカオリには秘密にしておいてほしいってお願いしたんです。」

 いたずらっぽくマイは言った。

 「ノリさんも知っていたとは…!」

 あまりの驚きにケンジは魂が抜けたように大きく肩を落とした。マイは、その姿を見たかったと言わんばかりに楽しげに見ている。

 「美人姉妹ね。素敵だわ。」

 ショウコは、マイとカオリを褒めた。そして、カオリとワタルの後ろにいたユミとトモヤをテーブルに招き、またみんなで楽しく会話を続けた。呆然としているケンジもやっと元に戻って会話に参加した。

 「こんばんはー!」

 みんなで会話が盛り上がっているところに1人の女性がやってきた。仕事帰りとおぼしき格好に左手にはシャンパンを携えている。

 「あ、アオイちゃん。ようこそ。まだ、マナミちゃんは来てないけど、どうぞ座って!」

 ノリが女性に声を掛けるや否や高校生4人組は女性の顔を見てパッと明るくなった。

 「アオイさんだー!」

 アオイは海で会った以来の4人の顔を見ると笑顔で手を振った。

 「みんなも来ていたんだね!」

 持ってきたシャンパンをノリに渡すと、4人組のすぐ隣に座った。他の人たちへ軽く挨拶を済ませると、高校生4人組は久しぶりに会えたアオイさんを前にしてテンションがより一層高くなっていた。そして、それぞれが代わる代わるアオイさんに近況報告をした。きっと、アオイの持つ優しい雰囲気は年下の子にとって一番安心できて居心地が良いのだろう。

 「やっと着きましたね!」

 「もう始まってるのかな。」

 店の外でそんな会話が聞こえてきた。カランと入口のドアが開くと、マナミとダイスケが2人仲良く揃って入店してきた。

 「おお、次はマナミとダイスケか!」

 ノリは、次から次へとやってくる来客に嬉しそうだった。アオイが持ってきたシャンパンを冷やしながら、2人を空いている席へと案内した。

 「マナミ、久しぶり。」

 アオイはマナミに声を掛けた。

 「お久しぶりです!私の方が遅くなっちゃってすみません。」

 申し訳無さそうに謝るマナミに“気にしないで”と言いながら、マナミの隣に立っている好青年な男性を見た。

 「あ、紹介が遅れました。私が働いているお店の店長のダイスケさんです。そして、つい先日にお付き合いを始めました!」

 マナミは、恥ずかしがりながらダイスケをちらりと見てみんなに紹介した。ノリは、ダイスケの元に歩み寄ると、ダイスケの肩にポンっと手を置いた。

 「良かったな、ダイスケ!」

 ノリとダイスケはお互いに笑った。

 「ええぇっー!」

 と、みんなが驚きの声を上げた。

 「マナミさんにとうとう恋人が!」

 ケンジは、また再び魂が抜けたように放心状態になった。

 「マナミさんおめでとうございます!」

 ワタルとカオリは、マナミを祝福した。

 「マナミ、おめでとう。」

 アオイは、笑顔を添えて祝った。

 「この方が噂のマナミさん…」

 マイは、妹のカオリから聞いていたマナミと初めて会えたことに喜んでいた。

 「ダイスケもやっと一歩踏み出したか。」

 カズは、ダイスケに恋人ができたことが嬉しくて今にも涙が溢れそうだった。

 「ダイスケくんも幸せになれたんだね。」

 ユリエは、ノリから色々と聞いていたダイスケと久しぶりに会えたことと幸せそうな顔を見て、安堵していた。

 「ノリさんとダイスケさんって知り合いなんですか?」

 周りが自分とダイスケを祝福してくれていることにありがたみを感じつつも、ダイスケとノリの仲良さそうな関係を見て、マナミは堪らず2人に問いかけた。

 「おう、実は幼馴染だ!」

 ダイスケの肩に置いた手をポンポンと叩きながら、ノリはマナミの方を向いた。

 「実は、そうだったんだ。黙っていてごめんね。こういう機会に言おうと思ってて秘密にしていたんだ。」

 ダイスケは、小さい子が自分のイタズラがバレてしまった時のように、バツが悪そうにマナミの顔を伺った。

 「男同士の秘密ってやつだ。なあ、ケンジ。」

 “土曜日の女神”ことマナミがダイスケと付き合った事実に呆然としていたケンジは、ノリの声でハッと我に返った。

 「ええ、男の秘密です!」

 ケンジは、そう言ってノリさんに目配せをした。

 「もー、みんなひどいなあ。じゃあ、ノリさんはダイスケさんのことを知っていたのに、この間も知らないふりをしていたんですね。せっかく、私だけが知っているお店を紹介できたと思ったのにー。」

 マナミは頬を少し膨らませた後に、ダイスケとノリとケンジを見て二カッと笑った。まさかこんな形で自分の周りの人たちが繋がっているなんて思いもしなかったのだろう。そんな不思議な縁を思うと面白くて仕方が無かった。

 「よーし、みんな揃ったから始めよう!」

 ノリは、マナミとダイスケを空いている席に促すと、アオイが持ってきたシャンパンと冷蔵庫に冷やしたジンジャーエールを取り出した。

 「乾杯はアオイさんがさっき持ってきてくれたシャンパンでやろう!未成年はこのジンジャーエールで乾杯してくれ!」

 テーブルが広いため、各々が自分のグラスにシャンパンを注ぐと、隣の人へとボトルを渡した。高校生4人組は、渡されたジンジャーエールを用意されたシャンパングラスへと注いだ。

 「あれ?まだもう1人来るんですか?」

 アオイは、自分の隣の空席を見るとノリに尋ねた。

 「ん?ああ、仕事が忙しくて遅れるみたいなんだ。職場が近いから来るとは思うんだけど。先に始めていいって連絡もらったし。」

 ノリは、アオイにそう答えると一周回ってきたボトルの残っていた全てをグラスに注いだ。みんなのグラスにシャンパンの淡い色とシュワシュワと小さな泡が満たされている。

 「えー、では乾杯しましょうか。」

 コホンとわざとらしく咳払いをしてから、ノリはグラスを持って立ち上がった。

 「今日は、こうやってお集まりいただきありがとうございます。ここにいる皆さんは、この一年で出会ったり結ばれたりした人たちです。素敵なご縁をさらに紡いでほしいので、今日はみんなで仲良く大騒ぎしましょう!それでは、乾杯!」

 「かんぱーい!!!」

 みんなで乾杯をした。隣同士とグラスを合わせるとそれぞれ一気にグラスの中身を飲み干した。そして、みんなグラスを置いて拍手をすると、パーティーは開演した。

 「さあ、どんどん食べて!」

 テーブルの上を彩るノリの料理はどれも美味しそうだった。クリスマスらしいフライドチキン、皮ごと揚げたフライドポテト、トマトやパプリカも入ったカラフルなシーザーサラダ、表面がこんがりと焼けたグラタン、各テーブルにマグカップで出された根菜スープ、そして、いつも通りのサンドウィッチ。みんな食べたいものを自分の取り皿に取り分けると美味しそうに頬張った。

 「料理も本当に美味しいです!」

 ユミは部活帰りで腹ペコだったのか、サンドウィッチをすぐに食べ終えて、フライドチキンにかぶりついた。隣のトモヤも熱々のグラタンをスプーンで掬うとフーフーと冷ましながら食べていた。初めてノリの料理を食べた2人はすでにファンになった。

 「今日も美味しいね。」

 「そうだね、最高だね!」

 カオリがスープを飲んだ後にワタルに話しかけると、ワタルもサンドウィッチを食べながらカオリの方を向いて答えた。向き合った2人の顔は美味しさのあまり顔が綻んでいた。

 「ダイスケくん、久しぶりね。」

 ダイスケの反対隣に座っていたユリエはダイスケの空いたグラスに白ワインを注ぎながら話しかけた。

 「そうだね。今日は会えて嬉しいよ。ノリと復縁したんだって?あの頃を思い出しちゃうね。」

 グラスに注がれたワインを眺めて、ありがとう、と言いながらダイスケはユリエに切り出した。

 「ノリさんの彼女さんですか?」

 マナミは、ぐいっと身を乗り出しながらユリエを見た。ユリエは、アオイとも違った系統の美人で大人の余裕を醸し出しつつも、笑った顔は無邪気であどけない少女のようだった。

 「あら、そうだったのね。」

 ショウコはパチリと目を輝かせた。

 「まさか復縁するとはね。」

 カズは、まるで自分の子供を見守るような眼差しだった。

 「聞いてくださいよ!復縁した時のエピソード!」

 「私たちもその場にいたんですけど!」

 「もうドラマのワンシーンみたいで!」

 ケンジとマイは、掛け合いのように興奮気味に話題に入っていった。何せこの2人はノリとユリエの再会と復縁のシーンを見ていたので、その時のドラマチックな話をしたくてウズウズしていた。ユリエは照れ臭そうにグラスのワインを飲みながら、ケンジとマイの語るあの日の出来事を聞いていた。だが、よっぽど恥ずかしかったのか頬をどんどん赤らめていくと、しまいには顔を両手で覆い隠すように照れていた。

 「まさかユリエちゃんが再びノリを選ぶとは思わなかったよ。まあ、良い男だからね。」

 そのダイスケの言葉にますますユリエは赤面した。必死に話題を変えようとして、今度はカズに話を振った。

 「そういえば、私、カズさんとも久しぶりにお会いしましたよね。お隣のショウコさんとも一度だけお会いしたことありますもんね。お2人はずっとお付き合いされていたんですか?」

 いきなり話を振られたカズとショウコは、お互いを見合った後にクスっと笑うとどちらからともなく2人のこれまでの経緯を話し始めた。ノリとユリエのように学生の頃から付き合っていたこと、仕事が原因ですれ違って別れたこと、何年か越しの手紙で再び2人で会ったこと、そして付き合い始めたこと、聞いていた周りのみんなもその話を黙って聞いていた。

 一通り話し終えると、カズはグラスのワインをぐいっと飲み干した。マイは、手紙がキッカケで年月を越えて再会を果たした2人のエピソードにウットリとしていた。そして、またみんなで空になったグラスにワインを注ぎ合って盛り上がり始めた。

 「アオイちゃんたち2人はどういう関係なの?」

 マナミよりも年上の美人OLであるアオイと、ケンジの弟であるワタルの同級生の男子高校生トモヤがとても仲良い関係に興味津々なノリは、自分の隣に座っていたアオイと空白の席を跨いで奥に座っていたトモヤを見ながら前のめりになって尋ねた。

 「実は、お互いにやんちゃしていた時に偶然にも海岸で出会ったんです。あの頃のトモヤくんに救われて今があるって言っても過言ではないです。」

 アオイは、そうだよね、と同意を促すようにトモヤを見つめた。トモヤは食べていたフライドポテトを飲み込み、おしぼりで手を拭くとノリとアオイの方に身体を向けた。

 「はい、実は出会ったその時に色々と悩みを打ち明けて、最終的にはお互いに約束をして別れたんです。それで、つい先日にまた同じ海岸で再会して。」

 トモヤはアオイとの出会いから今に至るまでの経緯を話し始めた。トモヤは話をするのが上手で、聞いていたノリには黄昏時の海に2人が並んでいる情景が頭にハッキリと浮かんでいた。

 隣のアオイもトモヤの話を聞きながら、今に至るまでの自分を回想してワインを嗜んだ。偶然が幾つも重なったこの縁に運命や神様といったものを感じてしまう。

 ユミも会話に加わって、それまでのトモヤがどれだけ荒れていたのか、アオイさんとの約束の紙をどれだけ大切に持っているのかを話した。

 「青春だな!最高!」

 ノリは、話を聞き終えると大きく笑った。そして、飲んで飲んで、とアオイにワインを勧めながら、自分も実は昔に少しだけ荒れていた時期があったことや今までに至る経緯を話した。まだノリの過去についてあまり知らなかった3人は、その話を食い入るように真剣に聞いていた。

 「ワタルー!こんな美人な彼女をどうしてきちんと俺に紹介しなかったんだ。」

 ケンジとマイは、すでにワインを1本空けていた。2人ともほろ酔いになってきてすぐ近くに座っていたワタルとカオリに絡んできた。

 「紹介も何も兄ちゃんが家にいないんだもん。カオリちゃんを家に呼んだ時もゼミとかバイトで家に帰ってきたの遅かったからすれ違ったし。」

 ワタルは、ほろ酔いのケンジをやれやれといった感じで諭した。その様子を見ていたマイとカオリは仲良い兄弟のやり取りを微笑ましく見守っていた。

 「でも、ケンジさんはお姉ちゃんをフったんですよね。こんな美人で性格も良い大好きな私のお姉ちゃんを。」

 カオリはほろ酔いのケンジに冗談混じりに皮肉っぽく言ってみせた。そのカオリの言葉を聞いて、ケンジはほろ酔いで気持ち良さそうに綻んでいた顔が一瞬にしてハッと素面に戻った。

 「なんで、知っているの…。マイちゃんがまさかそこまで話しているなんて…。」

 「え、兄ちゃんこんな素敵な人を振ったの?何を考えているの?」

 素面に戻ったケンジに、ワタルは問い詰めるようにぐいぐいと迫った。どことなく雰囲気がカオリに似ていたマイは、ワタルの目から見ると素敵なお姉ちゃんのような人に見えた。

 「いや、それは…」

 「本当にそうですよー。こんなに良い女の子なんてそうそういないですよー。もー、ケンジ先輩は見る目が無いんだから。」

 ケラケラと笑いながらマイはケンジの背中を軽く叩いた。その様子を見たケンジとカオリは、まるで2人が本当の兄妹であるかのように思えた。それくらいに仲良い関係性が垣間見えた。

 ケンジはやけになってもう一本ボトルを空けてグラスにワインを注ぐと一気に空にした。そして、ふうーっと一息つくと3人に向かって言葉を切り出した。

 「俺はな、この歳になっても恋愛感情っていうのがよく分かってないんだ。だから、マイちゃんだって大好きなんだけど、異性としてというよりも妹みたいに可愛いって思っているんだ。」

 ケンジは真剣にそう言った。

 だが、それを聞いた3人は笑いを堪えきれずに吹き出してしまった。

 「兄ちゃん、まだ好きな人もできないのかよ。」

 「ケンジさんって面白い方ですね。」

 「そーそー、ケンジ先輩面白いでしょ。すごい天然なの。この天然に泣かされた女の子の涙で湖が作れちゃうかもしれないもん。」

 ケンジは、自分が真剣に話したのに周りが笑った事に対して意味が分からなかった。別に腹が立つわけでもないが自分だけが状況を飲み込めていなかった。これもケンジが天然と言われる所以なのだろう。

 そこから、マイによる大学でのケンジの天然エピソードの暴露が始まった。すると、ワタルも家でのケンジの天然エピソードを負けじと出してきて、気づいたらケンジの天然エピソード暴露大会になっていた。

 「でも、ケンジさんも素敵な方です。私のお姉ちゃんがケンジさんに惚れたのも何となく分かります。」

 カオリは、他の人に聞こえないようにこっそりとケンジにフォローを入れた。ケンジは、自分が弟の彼女の女子高生にフォローされることに恥ずかしさなど感じておらず(そもそも恥ずかしいと気づいていない)、気を良くしてカオリの空いたグラスにジンジャーエールを注いで料理を取り分けた。こういうところがケンジの良さなのだろう。

   みんながワイワイと盛り上がっていた。時計を見ると、すでに開始から1時間は過ぎていた。料理もお酒も進み、大人たちは全員ほろ酔いになっていた。未成年の高校生4人組も美味しい料理を堪能しきって、とても満足そうだった。そして、ほろ酔いの大人たちと一緒に楽しい話に花を咲かせていた。

   「遅れてごめんー。」

   入口のドアを開けたのは、仕事でヘトヘトになった1人の男性だった。おぼつかない足取りでノリとダイスケそしてカズを見つけると、よっ久しぶり!と手を上げた。

   「遅かったじゃないかー!」

   「いやーごめんごめん。部活終わってすぐ帰ろうとしたんだけど、授業準備に追われちゃってさー。」

   みんなで盛り上がっていたパーティーも遅れてやってきた最後の参加者に注目が集まった。

   「先生!なんでいるんですか!」

   カオリの一言を皮切りに高校生4人組は口々にどうしてケイタがここにいるのか尋ねた。ケイタは、まあまあ落ち着いて、とジェスチャーを交えながら愛想笑いをした。

   「先生ー!久しぶり!」

   ほろ酔い状態のケンジは懐かしの恩師の顔を見つけるとフラフラと立ち上がってその場で手を振った。

   「ケンジまでいるのか。」

   幼馴染で同級生のお店のパーティーに呼ばれて来てみたと思ったら、自分の担任の生徒が4人とほろ酔い状態の元教え子がいるこの状況に、ケイタはやれやれといった様子だった。

   ノリはケイタの元に歩み寄り肩に腕を回すと、注目されているケイタをみんなに紹介した。

   「こいつは俺の幼馴染のケイタ。ダイスケと俺とケイタ、そしてここにはいないけれどカナエの4人は小さい頃からずっと一緒だったんだ。そして、カナエの兄貴でもあり俺たち3人の兄貴でもあるのが、ショウコさんとラブラブなカズさん!」

   ノリは、自慢げに自分の友達と兄貴分をみんなに紹介した。ショウコとラブラブと言われたカズは照れくさそうに頭の後ろを掻いた。

   「ええー!先生ってノリさんと同い年なの!?全然見えなーい!」

   「おい!それはどういう意味だ!」

   ユミの言葉にケイタは即座にツッコミを入れた。それを見ていた他の高校生3人もうんうんとユミの意見に賛同していた。

   「まあまあ、今日はいいじゃないか。ユミちゃんたちもここにいるケイタはいつもの先生としてのケイタじゃないから、今日はどんなに粗相があっても忘れてくれ!」

   「お前ら、本当に頼むよ。」

   ケイタは胸の前でパチンと手を合わせると軽く頭を下げて4人にお願いした。4人は、大丈夫です信じてください、とケイタに返事をすると、ケイタは喜んで自分の中のリミッターを外そうとした。

   「ほらほら、ここに座って。」

   ケイタは、1席だけ空いていたところに案内されて席に着いた。隣の女性が、どうぞとワインボトルをケイタの方へと傾けた。

   「ありがとうございます。すみません。」

   ケイタは、自分の空いているグラスの口をボトルの方へと傾けるとボトルを持った女性に目をやった。自分と年齢が近いであろうその女性の所作や美しい横顔に思わず息を呑んだ。

   「先生、グラス!グラス!」

   ユミの慌てた声で現実に戻ったケイタは、自分のグラスを傾けすぎてワインがこぼれそうになっていた。

   「ああ、ごめんなさい!こぼれてないかしら。」

   アオイは、ボトルの口を近くに置いてあった布巾で拭うと、その周りにワインがこぼれてないか確認をした。

   「大丈夫です!むしろ、僕がボーッとしたせいで申し訳ありません!」

   「おいおい、アオイさんに見惚れて粗相するなんてー!」

   ノリはアオイの反対隣に座ったケイタをからかった。ケイタは、ノリの言葉を否定しようとしたが、今度は反対側に座っているトモヤとワタルから茶々が入った。

   「先生の顔がどんどん赤くなってるー!」

   「一目惚れしちゃったの!?」

   男子高校生2人は自分の担任の恋心をエンターテインメントのように楽しんでいた。

   「でも、相手がアオイさんなら一目惚れしちゃっても仕方がないと思うわ。だって、同性の私から見ても素敵な大人の女性って感じだもの。」

   カオリの言葉に姉であるマイも、うんうん!分かる!と共感の頷きをした。

   「もう違うってば!それよりも乾杯しましょ!」

   ケイタは、この話題から逃げたい一心で話題を強引に変えた。そして、アオイに注いでもらったワイングラスを持ってその場で立ち上がると、みんなの注目を集めた。

 「皆さん今日は遅れてしまって申し訳ありませんでした。今日ここに集まった奇跡的なこのご縁に乾杯!」

   ケイタの乾杯の音頭で本日2回目の乾杯をした。ケイタは、言葉通りグラスのワインを空にして席に着いた。

   「担任の生徒と良い関係を築けているなんて、とても素敵な先生ですね。」

   アオイは、席に着いたケイタの空のグラスにワインを再び注ぎはじめた。

   「ワインありがとうございます。いやあ、どうなんですかね。フランクすぎて教頭とか主任の先生には生徒と一緒に怒られる事もあります。」

   そう言って笑ってみせたケイタの笑顔は、少年のような無邪気さと純粋さが感じられた。ケイタみたいな先生がいたら、どんなに学校が楽しかっただろうか、とアオイは少し妄想してみたくなった。

   「先生は彼女いないのー?」

   ユミはここぞとばかりにケイタのプライベートを質問してきた。ケイタは、乾杯で一気に飲んだワインが回ってきたのか、少しずつほろ酔い気分になってきた。

   「俺は高校生と違って忙しいから恋愛する暇がないの!だいたい、今日遅れたのだって教頭から授業が賑やかすぎるって大目玉食らったからだぞ!」

   ケイタは生徒から人気が高く、授業もしっかりとするが空いた時間の雑談やOBの自分が現役生だった頃の思い出話もとても面白いと評判だ。だが、それを快く思わない同僚の先生や教頭から今日みたいに延々と注意される事も少なくない。

   「おいおい、いくら先生って職業が忙しくても恋愛や結婚に子育てしている先生だって沢山いるぞ。どうせ、サエちゃんが忘れられないんだろう。」

   やられた、という顔をしたケイタは話題を逸らそうとした。しかし、お酒を飲んでいないユミはノリの言葉を聞き逃さなかった。

   「サエちゃんって誰ですか?」

   ユミはキラキラとした目でケイタを見つめた。早く話してと目で訴えかけている。今日は無礼講だとスイッチを入れ終わっていたケイタは、グラスを傾けながらサエへの片想いだった気持ちと今までのエピソードを吐露した。ケイタは、こんな事言ったらアオイさんに引かれるだろうな、と思っていたが、アオイはケイタの一途な想いに引くことなどせず真剣に聞いていた。

   「まあ、そろそろ気持ち切り替えて新しい恋でも探しますよ。俺もアオイさんみたいに、仕事も恋も楽しんでいるような人にならなくちゃ。」

   ケイタは、ユミの質問の連発が来る前に話題を終わらせた。そんなケイタをアオイはキョトンとした目で見ていた。

   「今はお付き合いしている人はいませんよ。私も仕事を言い訳にして、新しい恋に踏み出せていないだけかも。」

   アオイは持っていたグラスのワインを飲み終えると、ゆっくりとグラスをテーブルに置いた。

   「アオイさん独身なんですか!?」

   ケイタは、驚きのあまり声が裏返りそうになった。サエと出会った時と同じような、心の奥底がトクンとするような、そんな感情をアオイにも抱いていたケイタは、アオイがまだフリーで独身だという事実に驚きと喜びを隠せずにいた。

   「ええ。そうよ。」

   「じゃあ、またここか違うところでご飯でも行きませんか。今日は時間も足りないし。」

   さっきまで仕事で忙しいと言っていたのにこの男は何を言っているんだ、とノリはケイタに対して言おうとしたが黙って心の声を押し殺した。

   「ええ、喜んで!」

   アオイは二つ返事でOKした。ますますパーティーは盛り上がってきて、今日初めて会った人同士でも打ち解けあって、みんなで色々な話をしては大笑いしていた。

   「ふふふ。みんな盛り上がっているわね。」

   店内が盛り上がっている様子を屋根の上に座って楽しんでいるミカこと神様は、その隣に並んで座っていたタマとカナエに話しかけた。

   「ええ、本当に良かったです。これもミカちゃんのおかげです。」

   作戦が始まる前は、神様をちゃん付けで呼ぶなんて、と恐縮していたカナエだったが、作戦も無事に終わってダイスケに別れを告げた後には、すっかりミカと友達のように仲良しになった。

   「なんだか、眠いなあ。」

   タマはいつも通りのマイペースだった。しかし、いつもは決して寝ない時間なのに、まぶたを重そうにしている。そして、おもむろにカナエの膝の上にやって来るとそのままうずくまるようにとぐろをまいた。

   「タマ!なんだか冷たいよ!大丈夫なの?」

   カナエは膝の上のタマのあまりの冷たさに驚き、必死になってタマの身体をさすって温めようとした。タマはだんだんとカナエの問い掛けにも答えなくなってきた。

   「タマ、あなたそろそろね。」

   ミカは、そう言いながら優しくタマを撫でてあげた。そろそろ、という言葉が何を意味しているかはカナエも分かっていた。そして、そのまま静かにタマはカナエの膝の上で息を引き取った。

   カナエは、冷たく固くなったタマの身体を撫でながら涙を流した。兄であるカズが拾ってきてから大切に育てて里親に出し、死後も友達として接してくれたタマには感謝してもしきれない。

   「さてと、じゃあ、私からもカナエちゃんにお願いしようかな。最初で最後の神様からのお願い事。」

   ミカはそう言って立ち上がると、目を瞑って両手をパーにしてカナエの方へと向けた。すると、カナエと膝の上のタマも少しずつ輪郭が明かりを帯びてきた。

   カナエは、少しずつ自分の身体が軽くなってきているのが分かった。そしてさらに驚くことに、先程まで冷えきっていたタマの身体がどんどん温かくなってきている。そして、タマの鼓動もトクントクンと再び鳴り始めている。

   「んー、よく寝た!」

   大きな欠伸をしながら、タマはぐぐぐっと伸びをした。カナエがタマを偲んで涙した事を当の本猫は知る由もない。

 「タマー!」

   ぎゅうっと抱き締められたタマは苦しそうにカナエの腕から抜け出そうとする。ごめんごめん、とカナエは腕の力を緩めた。タマはカナエの胸で高なる鼓動の音に耳を向けた。

   「カナエちゃんの胸から音がするよ。」

   タマの言葉を聞いたカナエは、そっと左手を自分の胸に当ててみた。すると、まるで生前の頃のように力強く自分の心臓が鼓動しているのが分かった。

   「ミカちゃん、私とタマに一体何をしたの?まるで生きているみたい。」

   カナエは自分の身体の先まで温かくなっているのを感じながら、自分の指先を不思議そうに見つめた。タマは、温かくなったカナエの膝の上で気持ち良さそうに寝転がっている。

   「ふふふ。これが私からのお願い事。カナエちゃんとタマへの最初で最後のネガイ。」

   そう言うと、ミカこと神様はぐったりと屋根の上に座り込んだ。カナエは慌てて倒れ込むミカの上半身を自分の方へと引き寄せると大丈夫かと心配した。

   「えへへ。ごめんね。久しぶりにこんな事やったから身体がクタクタだよー。」

   ヘトヘトになっていたミカは、か細い声でカナエとタマにおどけてみせた。そして、カナエに寄りかかっていた上半身をゆっくりと起こすと、気だるそうに姿勢を正し、きちんと話をしようと雰囲気を改めた。

   「カナエちゃんとタマへのお願いは、私の後任になってもらうことです!」

   「ええー!!!無理ですよ!私なんて普通の人間ですよ。」

   カナエはミカの突拍子もないお願いに動揺していた。タマは自分が何を言われているか分からずに、カナエの膝の上で毛繕いを始めていた。

   「無理なんかじゃないよ。ずっと見ていた私が言うんだから間違いないもん。大丈夫。気楽にやってくれれば!」

   少しずつ体力が回復してきたのか、ミカはカナエの両肩に手を置くと力強い声で後押しした。

   「それに、もう今の私には神様の力なんて残ってないし...」

   ミカは、寂しそうに自分の手を広げると指先を撫でるように見つめた。もしかして、私とタマのために自分の力を全て分け与えたのではないだろうか、そう思うとカナエはいてもたってもいられなくなった。ミカは、よいしょ、と立ち上がって両手を上に伸ばすと大きく伸びをした。タマは、立ち上がったミカの足元に歩いていき身体をスリスリと寄せる。

   「実はね、私そろそろこの街とお別れなの。この街には結構長いこと居られたし、最後にこうやってカナエちゃんとタマに出会えて良かったわ。」

   ミカは、しゃがんでタマを撫でながら今までを回想し懐かしさに浸った。

   「私もミカちゃんに会えて本当に良かった。ダイスケくんとの事も悔いなく終われて本当に良かった。さすが神様だよ。ミカちゃんの後任はとても不安だけど、私もタマと一緒にミカちゃんのように立派な神様になれるように頑張るね!」

   カナエは泣きそうな自分を必死に隠そうと無理やり笑顔を作った。

   「ありがとう。じゃあ、早速...」

   ミカが何かを言おうとした瞬間、カナエとミカの間から強烈な閃光を放たれた。タマは眩しさのあまり堪らずミカの後ろへと走って逃げた。一瞬の閃光の後には、小さいが激しいつむじ風が発生して、カナエとミカは目を開ける事もできずに、その場で立ち続けるのが精一杯だった。

   つむじ風が収まってくると、カナエとミカは風の中心となった空間へと目を向けた。

   そこには、銀白色の美しい毛を全身に纏った1匹のオオカミが座っていた。毛先やしっぽは風に吹かれたように常に小さくたなびいており、フサフサの毛は揺れるたびに綺麗な光沢がキラキラと煌めいている。毛先からは静電気のような青白い光がビリリと音を立てている。そのあまりの神々しさに、カナエは思わず両膝をついた。

 「わあー、久しぶりだー!」

 ミカは、目の前に現れたオオカミに立て膝をついてぎゅうっと抱き締めた。そして、顔を中心に身体中をわしゃわしゃと豪快に撫で始めた。まるで、久しぶりに飼い犬と再会できた主人のように、思いっきり全身を撫で回した。

 「カナエちゃんもせっかくだから撫でてみなよ。」

 撫で続ける手を止めることなく、ミカはカナエに声を掛けた。これだけ豪快に撫でられていてもオオカミの顔は微動だにせずどこか遠くを見つめているようだった。撫でても大丈夫だろうかという警戒心と目の前のモフモフとした気持ち良さそうな毛皮に触ってみたい好奇心が天秤にかけられた。悩むことなく、カナエの両手はオオカミのモフモフとした毛皮を撫でていた。

 「うわあ、とても気持ち良い!」

 でしょ、とミカは少し自慢げな顔をした。オオカミの美しく整った毛並みは、絹糸のような繊細さと羽毛のような柔らかさだった。そして、オオカミを触っているだけで、春の陽気な陽射しの暖かさのような心が穏やかになるような温もりがあった。ミカに関しては、オオカミの脇腹近くに顔を埋めて堪能している。

 「こら!いい加減にせんか!」

 少し嗄れつつもドスの効いたオオカミの声に、カナエは驚きのあまり後ろに尻餅をついた。ミカの後ろで様子を窺っていたタマも、黒目をガラス玉のように大きくした。

 「もー、カナエちゃんが驚いちゃったじゃないですか。女の子にそんなぶっきらぼうだと嫌われちゃいますよ。」

 ミカは、人差し指をツンとオオカミの鼻先に当てると注意をした。その様子は、まさに飼い主と飼い犬のように見えた。

 「いやー、でもこの姿の大神オオカミ様なんて久しぶりだなー。いつもこの姿の方が絶対にいいのにー。」

 ミカは、再びオオカミもとい大神様の頭から背中をゆっくりと撫でた。大神様は、やはり顔を微動だにせず”無”を装っていたが、先ほどまでミカに撫でられていた時も、しっぽだけは嬉しそうに振っていたのをカナエは見逃していたなかった。素直じゃないところも少し面白い。

 「わしを撫でる手を一旦止めないか!」

 大神様は、ミカの手を噛むフリをして強引に撫で撫でタイムを終了させた。そして、ミカの方にゆっくりと身体を向けて、ミカと向かい合う形で再び座り直した。タマは、嫌な予感がしたのかミカの足元からひょいっと駆け出してカナエの後ろへと回り込んだ。そして、しゃがんだ姿勢のカナエの左足の横から顔を出すと、カナエはタマの頭を優しく撫でた。

 「これは一体どういう事じゃ。」

 怒りを露わにしたような震える声で、大神様はミカに質問をした。みるみるうちに大神様の身体中からは、おびただしい数のビリビリと青白い静電気のようなものが発生した。それは、すでに静電気というよりかは小さな雷といった表現の方が正しかった。カナエとタマは、その後ろ姿だけでも恐ろしさを感じ取っていた。だが、ミカだけは何でそんなに怒っているのか、と言わんばかりに全く動じていなかった。

 「なんのことを言っているのでしょうか?」

 ミカは、わざとなのか、とぼけた声で大神様に尋ねた。

 「この状況についてじゃ。一瞬にしてこの街からお主の力の気配が消えたかと思ったら、ここにおる人間と猫にお主の力が宿っておるではないか。万が一があってはならぬと思い、この姿になってまで神力を持ってこれるだけ持ってきたというのに。」

 大神様は、捲し立てるようにミカへと詰め寄った。

 「あー、ごめんね。このオオカミさん、私の上司みたいな立ち位置の”大神様”なんだ。今みたいに人間社会がこうやって成熟する前、まだ天と地に境界が無かった頃に、オオカミとしてあそこにある霊山で暮らしていたんだ。」

 ミカは、遠くの方の山を指差した。その方向の先には、古くから山岳信仰が盛んな霊山として知られている山だった。ミカは、話を続けた。

 「でね、道に迷った人とか修行中のお坊さんを助けてあげたりしてたんだ。その功績もあって、そのまま神様としてこの街を含めたこの地方一帯をずっと守り続けていたんだ。」

 ミカは、大神様の誕生をカナエとタマに教えた。

 「わしの話など必要ないじゃろう。」

 話を切り上げようとした大神様に、”待て”のように左手を前に出してミカはさらに話を続けた。

 「でもね、人間が増えていくとその分だけ神様の仕事も増えていってしまって、大神様だけでは仕事が回らなくなってきたのよ。そこで、私みたいな新たな神様が生まれて、大神様に代わって神様の仕事をしているの。」

 ミカの話を聞いて、カナエは2人の関係を理解できた。そして、ミカが「”恋愛”を司る神様」と自己紹介をした時を思い出した。つまり、ミカは大神様の管轄の下で”恋愛”を担当しているということだ。ミカのような他の神様は、”仕事”だったり”健康”だったり違う担当をしている神様が他にも沢山いるのだろう。

 「話を逸らすでない。そのお主の力をどうして分け与えたのかを聞きにきたのじゃ。それ相応の覚悟を持ってこんな事をしたのじゃろうな。返答次第では…」

 ミカは大神様の話を最後まで聞こうとせずに、大神様の顔に自分の顔をぐいっと近づけて話し始めた。

 「逸らしてなどおりませぬ。今回、大神様から別の街へと異動してほしいと言われたのは、つい最近の出来事でした。それなのに年内には異動してほしいと言われ、私はやり残した仕事を綺麗に終わらせるのに四方八方手を尽くして駆け回っておりました。」

 ミカは真っ直ぐと大神様の両目を見つめている。

 「ミカちゃんは僕と一緒に日向ぼっこしたりお昼寝してたけど…」

 カナエは空気も読まずにマイペースなタマの口を抑えた。静かに、とタマに目で訴えると、タマも大人しく黙っていることに決めた。

 「それは申し訳なく思っておる。だが、これから行く街とこの街の兼任でも良いと申したはずだが。」

 大神様は、自分が無理なお願いをしたことに後ろめたさを感じていたのか、先程までの威勢は無くなりつつある。

 「それでは、大神様が後任が来るまでこの街を担当してくださるのでしょうか。私は”恋愛”を司る神様であるはずなのに、人手が足りないからといって他の担当もしていることさえも納得していないのに、さらにもう一つの街も担当するというのですか。」

 今はミカのターンになったのだろう。大神様は先ほどの勢いは完全に無くなり、ピンと立てていた耳もうなだれていた。だが、大神様も負けじとミカに言い返した。

 「わしは、お主たちのまとめ役として忙しいのじゃ。それに、お主の力はすでにわしと同格であるのだ。そんなお主ならば、もう一つ街を守る事くらい容易いであろう。」

 その言葉を聞いたミカは、小馬鹿にしたように鼻で笑った。その表情を見た大神様は少しムッとしたようにミカを睨みつけた。

 「大神様、どんなに力を持っていても私の身体は一つだけです。この街に住む人々を幸せにしたいと心から願っている私は、悔いを残す事なく全員を幸せにできるように努めていたいのです。そう考えているからこそ、私には街一つで精一杯なのです。大神様としての年月が長すぎて、私たちの本来の役目をお忘れなのでしょうか。私たちは、人々がいることで力を得て、その力を人々に還元しているのです。神力があるからといって、他の神様よりも見守る範囲を広げるのは違うと思います。」

 優しく諭すような口調でミカは大神様を説いた。大神様もミカの言っていることは正しいので反論することができなかった。

 「だが、それと今回のお主の力を分け与えたことは全くの別のことではないか。お主の言い分は分かったが、この事についてはどう説明するのじゃ。」

 大神様は、ミカの勢いに気圧されて本来問いただすべき点を忘れていた事に気づき、再びミカへと詰め寄った。

 「もうお忘れなのですか。私は、異動する条件として、『この街の後任は私が決める』『次の街へ行く前に大神様の力を分け与えてもらう』という2つをお願いして、大神様も了承してくださったではありませんか。」

 大神様は、そのミカの言葉にハッとして当時の出来事を振り返った。たしかに、ミカから2つの条件を突きつけられていたのだった。だが、あの時と状況は少し違っている。まさか自分の力を分け与えて新しく神様を誕生させるなどとは思ってもみなかった。神以外の誰かに自分の力を全て分け与えるなどとは前代未聞だった。大神様は、困惑した表情でどうしようかと悩み始めた。そこに、ミカは追い討ちをかけるように畳み掛けた。

 「まさか、大神様ともあろうお方が約束を忘れていたり反故にするなんてことはないでしょうね。」

 ミカは、怒りを少し露わにしたように語気を強めた。そして、みるみるうちに身体が真っ白になっていき、服装も真っ白な衣を纏って、全身が光り輝き出した。亜麻色っぽい黒髪も絹糸のようにサラサラとした白髪に変わっていき、毛先は風が吹いているわけでもないのにたなびいている。まさに、天女と形容するのがピッタリな出立ちだった。

 自分よりも立場が上であるはずの大神様も、久しぶりに見たそのミカの姿に動揺していた。その後ろにいたカナエとタマも、初めて見るミカの姿に驚いて口を開けたままだった。

 「分かった分かった。わしの負けじゃ。お主には勝てんよ。約束通り、お主の後任は、この2人もとい1人と1匹に任命する。そして、お主にはわしの力を分け与えよう。今までと変わりない程度の神力は使えるじゃろう。」

 大神様が目を瞑ると、大神様からミカへと黄金色に輝く光の粒のようなものがゆっくりと流れ始めた。ミカの身体の周りをぐるぐると周回しながら光の粒たちはミカの胸の中へと入っていった。真っ白だったミカの身体には、金色の線のようなものも纏うようになってきた。最後の一粒がミカの身体に入ると、大神様はふうっとため息をついて目を開けた。そして、ぐるりと身体を反転させてカナエとタマと向かいように座り直した。

 「さて、わしの後ろの娘によってお主たちはこれよりこの街の神様と成った。細かい説明は後日改めてするが、くれぐれも堕ちてはならぬぞ。」

 「分かりました。ミカちゃんのように立派な神様になれるように頑張ります。」

 「ミカちゃん?ひょっとして、お主この娘たちと何をしておったのじゃ。まさか人間と遊び事をしていたのではないのか。」

 大神様は、再びミカの方を振り返ると牙を見せた。

 「最後の大仕事のために少しだけ人間になったんですよ。でも、この名前結構気に入っているんで、これからは大神様も”ミカ”って呼んでもいいですよ。」

 ミカは、笑いながら大神様に言った。これ以上ここにいても疲れるだけだ、と思った大神様は呆れた顔をして、そろそろ帰ろうと立ち上がった。

 「では、わしは先に帰る。後のことはお主に任せた。こうしてゆっくりと話せるのも今日が最後じゃろう。お主には、明日から新しい街へと来てもらう。それにしても、お主の力は既にわしを越えている気がするのだが…」

 大神様はミカにそう言うと屋根から夜空へと大きく跳んだ。そして、空中を次から次へと踏み込んで、あっという間に暗闇の中へと溶け込んでいってしまった。

 「ふー、やっといなくなったー。」

 ミカは、亜麻色の髪に現代風の服装に戻した。そして、カナエとタマの隣に来ると、よいしょ、と腰をかけた。

 「ミカちゃん、すごい真っ白だったね。ミカちゃんも動物になれるの?」

 タマは興味津々に聞いた。

 「えへへー、秘密。」

 タマの問いかけをはぐらかし、ミカはカナエの方に顔を向けると笑った。

 「ごめんね。実は、こういう事情でカナエちゃんには私の後任としてここの神様になってほしいんだ。カナエちゃんならきっと大丈夫。私も定期的に遊びに来るから安心して。それに、タマもいるし。」

 ミカは、タマの顎下を撫でてあげた。タマは嬉しそうにゴロゴロと喉を鳴らしている。

 「分かりました。神様のこと色々と教えてください。私もミカちゃんみたいな素敵な神様になれるように頑張ります!」

 「ありがとう。神様の仕事については大神様から正式に教えてもらえると思うよ。あ、今日はオオカミだったけど、普段は髭をたくわえたおじいちゃんだから驚かないでね。私はオオカミの姿の方が好きなんだけどね。」

 ミカは笑いながらこの後のことについて教えてくれた。一通りの説明を聴き終えたタイミングで、屋根の下で繰り広げられたパーティーもお開きとなった。

 「それでは、そろそろいい時間なので、今日はこの辺で終わりにしたいと思います。また、このメンバーで一緒に何かしましょう!今日はありがとうございました!」

 ノリが締めの挨拶をすると、他のメンバーは「楽しかった」「またやりたい!」と感想を口々にしながら拍手で締めた。みんなで軽く片付けを終えると、帰り支度をして順番にお店を後にした。

 「じゃあ、僕たち4人で帰ろうか。」

 ケンジは、弟のワタルとその彼女のカオリ、そしてカオリの姉でありケンジの後輩のマイを連れて歩き始めた。

 「今日も月が綺麗だね。」

 ケンジは、マイにだけ聞こえる声でつぶやいた。

 「じゃあ、2人は私たちが家まで送るわね。」
 
 ショウコは、並んでいたトモヤとユミの後ろに回り込み、2人の背中にポンと手を置いた。遠慮しようとしたトモヤとユミだったが、カズはトモヤの肩に手を置いて”気にするな”と笑った。

 「マナミさん、この後に僕ともう一軒行かない?僕もノリたちもお世話になっている行きつけのバーがあるんだ。」

 マナミはダイスケの提案に喜んだ。ダイスケの腕に自分の腕を絡ませながら2人は店を後にした。

 店の外にはアオイとケイタだけが取り残された。ノリとユリエは、2人で楽しそうに後片付けをしている。外から見た店内の光景は、夫婦で長年営んでいるような暖かさがあった。

 「じゃあ、そろそろ私たちも帰りましょうか。」

 アオイは、マフラーを口元まで覆うと手に持っていた鞄を肩にかけた。

 「よし、私の最後の仕事を見てて。」

 ミカはカナエにウインクをすると、屋根の下にいたケイタを目がけて人差し指を向けた。すると、矢のような速さで一筋の光がケイタに命中した。

 「あの、アオイさん。もし良かったら、この後に一杯だけ飲みに行きませんか。オススメのお店があるんです。」

 ケイタは、勇気を振り絞ってアオイを誘った。

 「もう少しだけ飲みたい気分だったの。ケイタさんのオススメのお店に是非ともご一緒したいわ。」

 アオイはケイタの誘いに乗った。2人はそのまま仲良くお喋りをしながら、駅の方へと向かっていった。

 「今のが、ミカちゃんの力…?」

 カナエは目の前で起きた出来事に驚き、不思議そうにミカに尋ねた。

 「そうよ。でも、私が手を出したのは誘うところまで。あそこで、男の方に魅力が無かったら断られていたわ。あくまでも誘う勇気を少しプレゼントしてあげただけ。ま、最初はこんな感じで小さいところからスタートすれば大丈夫だから。」

 ミカはカナエに得意げに語った。

 「私のネガイであった後任も無事にカナエちゃんとタマへと引き継げたし、もうやり残したことは一切無いなあ。じゃあ、そろそろ私たちもお別れだね。」

 ミカは寂しそうに呟いた。

 「本当に今までありがとう。また絶対に遊びに来てね。私とタマでミカちゃんに負けないくらい立派な神様になる!だから、私たちのこと忘れないでね!」

 ミカとカナエは最後に2人で抱き合った。お互いの目には少しだけ涙が浮かんでいた。タマも2人の間に入り、それぞれの足に身体を擦り付けていた。

 じゃあね、というとミカはゆっくりとカナエから離れていき、天へと昇っていった。カナエは大きく手を振って最後の別れを告げた。

 ミカの姿が消える最後の一瞬、大きな風がこの街全体を吹き抜けていった。

 こうして生まれた新たな神様の元で、この街は明日もまた同じように日々を紡いでいく。

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