街風 episode.28 〜ネガイ カナエ タマへ Part.Ⅱ One More Chance,One More Time〜
ダイスケは、エリから貰った手紙を開いた。何度も読み返したその手紙は、開いては折り畳んでを繰り返したせいで折れ目の部分がすでに切れかかっている箇所もある。エリは、ダイスケの元恋人であるカナエがその命と引き換えに繋いだ大切な女の子だ。手紙には、ダイスケがエリを励ましてカナエの分まで生きてほしいと願ったことが、エリにとっては前向きに生きるキッカケになったことも綴られていた。二年前にエリを励ますために明るく振る舞ったあの時分の自分が、今の自分を見たらどう思うのだろうか。ダイスケは、そんな事を考えながらまた手紙を丁寧に折り畳んだ。
エリは、あれから中学生になって、また季節を幾つか越えれば高校生になる年頃だ。ダイスケは、そんなエリの成長と自分の今までの時間の過ごし方を比べて虚しくなった。
ダイスケもダイスケなりに色々と頑張ってみた。しかし、どう頑張ってもダイスケの生きる時間とカナエのいない世界の時間は、経過する早さが違うようで、ダイスケだけが一人ぽつんとそのスピードについていけずに、季節に取り残されているようだった。必死に忘れようとしても、必死に前を向こうとしても、夜を迎えるたびに心の深い影が世界と繋がり、朝を迎えるたびにカナエのいない世界に絶望した。山崎まさよしの“One More Time,One More Chance”を聴くたびに、自分を重ね合わせては一人で涙を流した。
ただ、そんな日々も少しずつゆっくりと変わりつつあった。何かのキッカケがあったわけでもないが、目に見えない小さな日々の変化がダイスケを少しずつ変えていっている。一番大きなキッカケは、マナミがダイスケの花屋で働き始めたことだった。ちょうど人手不足で新しく誰かを雇いたいと思っていたところに、仕事を辞めたばかりのマナミがお客さんとしてお店に入ってきた。入ってきた瞬間に、ダイスケの心のセンサーが引っかかった。仕事の誘いに二つ返事でOKしてくれたマナミもまた何か直感で惹かれるものがあったのだろう。
それから、マナミのおかげもあってかお店は相変わらず順調にいっていた。そして、徐々にダイスケはマナミに心を開いていこうとしていた。マナミもダイスケに密かに好意を寄せていた。ただ、ダイスケは未だにカナエを想い続けており、マナミはそんなダイスケと接するたびに実際に本人の口からは何も聞かされなかったが、ダイスケの心には深い影があることを感じていた。
ダイスケは、マナミをデートに誘ったことがある。二人で楽しく朝食を食べたり、ノリのお店で美味しいサンドウィッチを食べたり、他愛ない話で盛り上がったり、二人とも楽しい時間を過ごしていた。ちょうどその前後に、カナエの兄であるトモカズが街へ舞い戻ってきたこともあり、ダイスケにとってはカナエのいた世界で生きるのを抜け出す機会は十分にあった。
ダイスケは、ふとこの間の不思議な出来事を思い出した。いつも通り、マナミと開店準備をするために店先に鉢を移動したりしていた時に、どこからかカナエの声が聞こえた。
「(もう…貴方の道を進むべきよ…)」
どこを見渡してもカナエの姿は無かったが、たしかにハッキリと鮮明にダイスケの心まで届くような懐かしい声だった。気のせいか、とダイスケはその時の出来事を深く考え込むことはなかったが、今でも時折その出来事を思い出していた。
その言葉に引っかかったダイスケは、何度もマナミをカナエのお墓へと連れ出して全てを正直に打ち明けようとしたが、本当に自分はカナエとの時間を思い出として終わらせていいものか、自分だけが前に進んでいいのだろうか、と心の中で葛藤を続けていた。ただ、ダイスケもマナミに惹かれていたことは嘘偽りのない事実だ。それ以上に、ダイスケにとってカナエは大切な人だった。
今日もいつも通り開店をしてマナミと二人でお店に立っていると、一本の注文と配達の依頼の電話が来た。当日の注文・配達だったが、時間的にも余裕があったため、マナミとダイスケは二人でオーダー通りに花を見繕って花束を作っていた。配達の時間が近づいたため、ダイスケはマナミに店番をお願いして出掛ける準備をした。街はすっかりクリスマスが近づいており、イルミネーションの準備をしている家や、すでにイルミネーションの飾りが終わって色とりどりのLEDライトが煌めいている家もある。ダイスケは配達を終えると、自分のお店へと戻った。
お店へ戻ると、お客さんが一人いた。エプロンを掛けながら挨拶をすると、マナミはダイスケにだけ見えるように口を尖らせながら尋ねてきた。
「こちらのお客さんはダイスケさんに用があって来てくださったそうですよ。ダイスケさんのお知り合いですか。」
ダイスケは全く身に覚えが無かった。頭の中のフォルダーを必死に探し周ってみたものの見当がつかない。いや、一つだけもしかすると...という心当たりがあった。あれはダイスケがカナエの墓参りに行った帰りに、タマを撫でていた女性だった。ただ、あの時の女性と雰囲気は似ていたが、会話も一切しなかったので、やっぱりダイスケは心当たりが無かった。
そんな混乱しているダイスケを、その女性は強引に店の外へと連れ出した。名前を尋ねても答えてくれないその人を、ダイスケは不審に思いながらも後を追いかけるようについて歩いた。
「強引に連れてきて、ごめんなさい。そして、ここから先はもっと信じられないことが起こるけれど、私を信じて後をついてきてね。」
誰もいない路地裏までついてこさせられた挙句、そんな言葉を言われたものだからダイスケは余計に不審に思った。ただ、次の瞬間その女性が前へと歩き始めたと思ったら姿を消したものだから、ダイスケは自分の目の前の光景を信じられずにいた。だが、ダイスケは夢なら夢でいつか覚めるだろうと思い、その女性の後を追うようにダイスケも同じ場所に歩き始めた。
ダイスケが次の瞬間に見た光景は、この街の丘の上にある公園だった。そこは、ダイスケにとっても思い出の場所だった。夕陽が沈む時間になると、海へと沈む夕陽がこの街を紅く染める景色がとても綺麗なところで、ダイスケとカナエもよくここへと来たことがあった。
「私は、あなたのことを知っていたわ。カナエちゃんが亡くなった後の事もね。あなたの願いを叶えられなくてごめんなさい。あの時は、私の力でもどうしようもなかったの。」
その言葉を聞いて、ダイスケはハッとした。カナエにも誰にも言っていないその秘密を知っているのは、ダイスケがお願いをしたあの祠の神様を除いて一人もいない。ダイスケは、女性があの祠の神様なのかと尋ねた。
「ふふふ。私のことなんてどうでもいいでしょう。それにしても、本当にここは綺麗な見晴らしね。もっと早く教えてくれていれば、私のお気に入りスポットにして、毎日ここでゆっくりと夕陽を眺めたのに。本当に素敵な場所ね、カナエちゃん。」
ダイスケは、女性が相変わらず自分の質問に答えてくれない事よりも、ダイスケのさらに後ろに問いかけるように言った言葉に気を取られて、ものすごい勢いで真後ろへ振り向いた。そこには、今の季節には少し肌寒そうな格好でいる白いワンピース姿のカナエが立っていた。
「えへへ、久しぶりだね。見つかっちゃった。」
照れ隠しにおどけたカナエを見ると、ダイスケは身体ごとカナエの方を向いた。
「もう、久しぶりの再会なんだから泣かないでよ。」
カナエの姿を見るなりボロボロと大粒の涙を静かに流すダイスケを見ると、カナエはダイスケに笑いながら話しかけた。そう言ったカナエも、両目から涙を流していた。
カナエはすうっ息を吸い込むと、震えそうな声を必死に抑えて振り絞った。
「今日はね、ダイスケ君に話したいことがあるの。」
ダイスケは、カナエの言葉に耳を貸そうとしたが、この二年間に想い続けた気持ちが言葉になって自然と溢れ出した。
「僕もカナエに話したいことが沢山あった。カナエの安らかな顔を見るたびに、もっと二人で、夜を越えて、朝陽を迎えて、春の暖かさを感じて、夏の入道雲を眺めて、秋の風に吹かれて、冬の寒さを乗り越えて、ずっと一緒に過ごしたかった。本当にカナエの事を愛している。カナエの最期を責めるつもりもない、最期までカナエらしくて素敵だと思う。ただ、僕はカナエのいない世界で生きれるほど器用じゃないみたいなんだ。」
ダイスケの右手は、自然とカナエの左手へと伸びていた。二人の手が重なると、ダイスケはカナエの温もりを感じて更に涙を流した。
「ありがとう。私もダイスケ君が好きだよ。だから、私もダイスケ君とずっとずっとこの先も一緒に生きていたいと思っていた。まさか私たち二人にこんな結末が来るなんて私自身も思ってもみなかったよ。でもね、私は自分の行動に後悔はしていないよ。エリちゃんも元気に幸せそうに過ごしているみたいだし。」
「エリちゃんから手紙をもらったんだ。カズさんから受け取った手紙には、エリちゃんが元気そうにやっているのが伝わったよ。」
「うん。嬉しいよね。」
自然と重なり合った二人の手は強く握り絞めあっていた。まるで、もう二度とこの手を離さないという決意を、言葉の代わりに表しているかのように。
「ねえ、ダイスケ君。私の願い事を叶えてくれるかな。私には、たった一つだけ心残りがあるの。」
「僕にできることであれば、叶えると約束する。」
「ありがとう。ダイスケ君ならそう言ってくれると思っていた。ダイスケ君のそういうところは変わっていないね。」
カナエはダイスケを見つめると、またすうっと息を吸い込み重たい口をゆっくりと開いた。ダイスケは、カナエの口から出てくる言葉をじっと待った。
「ダイスケ君、あなたは私のいない世界で幸せになってください。私以外の人とこれから先の人生を幸せに過ごしてください。私との思い出を忘れろとは言いません、ただ私たちの過去に縛られて、自分の幸せを見逃さないでください。これが、私からダイスケ君への最後のお願い事です。」
カナエはそう言い終わると、少し寂しげに、しかしスッキリとした顔つきで、ダイスケに微笑んだ。ダイスケはその言葉を聞いて、カナエの手を強く握っていた右手が少しずつ緩んでいった。
「僕にとっては、今までも、今も、これからも、一番好きなのはカナエだけだよ。カナエ以外の人と僕だけが幸せになるなんてできない。」
ダイスケは声を震わせながら、カナエを見つめた。
「ううん、それは違うわ。ダイスケ君に愛されて私もとても嬉しい。でも、私はもうダイスケ君と同じ世界で生きていけないの。私は私で幸せよ。だから、私を想い続けて苦しんでいるダイスケ君を見るのが、私にとっては一番ツラいの。今日こうやって神様ことミカさんにお願いして、ダイスケ君に会えるようにしたのは、最後にきちんと別れを告げて、お互いにそれぞれの世界で一歩を踏み出そうと思ったからなの。」
神様ことミカは、二人のやり取りを静かに離れて聞いていた。涙を堪えるかのようにぎゅっと唇を噛み締めて、少しずつ海に沈み込んでいく夕陽を無言で眺めていた。
「分かった。カナエの最後の願い事だもんね。正直に言うと、実は今、少し気になっている女性がいるんだ。マナミさんって名前でね、一緒にいると何だか温かい気持ちになれる人なんだよ。」
「うん、知ってるよ。これからは、マナミさんとダイスケ君が上手くいくことを遠くから見守るね。ダイスケ君なら、大丈夫。だって、私が愛した最初で最後の人だもの。」
カナエは精一杯の笑顔でダイスケに話した。
「僕も最初で最後に愛した人は、カナエだよ。いや、違うか。最初に愛した人はカナエだ。それはこれからも永遠に変わることのないものだ。」
夕陽がどんどん沈んでいく。いつの間にか紅く染まっていた空と街は、少しずつ深く蒼く染まりはじめていく。また今日もダイスケとカナエは、それぞれがいない世界の夜を迎えようとしていた。
「カナエちゃん、そろそろ...。」
ミカは、気まずそうにダイスケ越しにカナエに声を掛けた。その瞳は、ダイスケやカナエよりも寂しさを含んでいた。
「うん、ありがとう。ミカさん。」
ダイスケは、背中でミカの声を聴くと、目の前のカナエの姿を見て驚いた。カナエの足元がキラキラと輝きだした。そして、少しずつキラキラと輝いた部分からカナエの身体がこの街の景色へと消えていっていく。
「ごめん、ダイスケ君。そろそろお別れの時間が来たみたい。ダイスケ君の目の前に現れるのは、これでもう本当に最後。こうやってきちんとお別れできて嬉しい。この黄昏時が終わったら、私たちはまた別々の世界で生きていくんだね。本当に今までこんな私を好きでいてくれてありがとう。ダイスケ君と過ごした時間は、私にとって本当に幸せな時間でした。」
話しているカナエの下半身はすでに消えていた。キラキラと輝く部分は光の粒となって、夕陽の方を目指して漂っていっては消えていく。それは、夜空の遠くで淡く光る小さな星々のように、蒼く染まる街に溶けていく。
「僕も、最後にカナエとこうやって話すことができて良かったよ。カナエの願い事は必ず叶える。だから、これからは遠くでお互いに頑張っていこう。」
「うん。約束だよ。」
カナエは、ダイスケに握られていた左手を強くぎゅっと握った後に、右手を差し出して拳を作り小指をピンと立てた。ダイスケは、カナエの手を握っていた右手を離すと、カナエと右手を同じようにして二人は小指を絡めた。
「はい、指切り。私の願い事を忘れないでね。」
「うん。約束する。」
絡まった二人の小指を見た後にお互いに目が合ったダイスケとカナエは、同じタイミングで笑い合っていた。二人の絡まった指が解ける前に、カナエの手が光の粒となって消えていった。
ダイスケは、空中に取り残された自分の立った小指を折り畳むと、静かにゆっくりと腕を下ろした。光の粒はカナエの首元でキラキラと煌めいている。
「今回は、最後にきちんとお別れができるね。こんな私を愛してくれてありがとうございました。私もダイスケ君を愛していました。本当にありがとう。さようなら、ダイスケ君。」
カナエは、最後くらいは笑顔で別れようと涙をぐっと堪えて精一杯の笑顔でダイスケに微笑んだ。ダイスケも、そんなカナエの気持ちを汲み取って、最後に笑顔でお別れを言おうとした。
「こちらこそ、今までありがとう。こうして最後にゆっくりとカナエと話すことができて良かった。これでやっときちんとお別れができるね。本当に、さようなら。」
ダイスケの言葉を聞いているカナエの口元はすでに消えていった。そして、ダイスケの言葉を最後まで聞き終えると、ダイスケを優しく見つめていたカナエの目も光の粒となって消えていった。
カナエの最後の一粒が消えていくと同時に、遠くの夕陽も海へと全て沈んでいった。ダイスケは、何も言わずにその場に立ち尽くした。そして、ゆっくりと再びミカの方へと身体を向けた。
「今日は、本当にありがとうございました。そして、二年前はあなたに対して失礼な言動をしてしまい、本当に申し訳ありませんでした。」
ダイスケは、ミカに向かって深々と頭を下げた。
「気にしなくていいの。さっきも言ったけれど、私もあなたたち二人に対しては、何もできずに歯痒いを思いをしていたのよ。こうやって機会を作れたことを嬉しく思っているわ。でもね、本当にこれが最初で最後。この機会を与えるキッカケになったあの子に感謝すべきね。」
ミカは、ダイスケとカナエの再会を無事に果たせたことで安堵の表情を浮かべていた。
「はい。カナエには最後まで感謝してもしきれないです。また墓前に行って感謝を伝えたいと思っています。」
「あら、この機会を作ったのはカナエちゃんじゃないわよ。ふふふ、カナエちゃんはあくまでも提案に乗った協力者。発起人はタマよ。発起“人”というか発起“猫”かしらね。タマと会った時は、きちんとお礼をしてあげてね。」
「え、あのタマのおかげだったんですか。今度またカナエのお墓参りに行く時に会えると思うので、必ず今日のお礼を伝えます。ミカさんも本当にありがとうございました。」
「どういたしまして。そして、タマによろしくね。さて、そろそろ私たちもお別れの時間ね。あなたの大切な人が、お花屋さんであなたの帰りを待っているはずだもの。」
そう言うと、ミカはパチンと指を鳴らした。すると、次の瞬間にダイスケは公園に飛ばされる直前までいた花屋のすぐそばの路地裏に戻っていた。
「...よく頑張ったわね。」
ミカは、ダイスケのいなくなった公園でカナエをぎゅっと抱き締めながら背中をポンポンと叩いた。カナエは、ミカの胸で大きく泣きじゃくった。ダイスケの前で最後まで精一杯の笑顔を守った緊張が抜けて、幼い子供のように感情のままにわんわんと泣いていた。二人の姿は誰からも見えないし声も聞かれないので、カナエもここぞとばかりに溜まっていた涙を流し続けた。
「ミカさん、本当にありがとう。私、ちゃんとダイスケ君に思いを伝えて、きちんとお別れできていましたか。」
カナエは嗚咽交じりにミカの目を見た。
「大丈夫よ。立派だったわ。あとは、ダイスケ君がこれからをどうするか次第、神のみぞ知るってところね。まあ、ここまで来ると神様である私ですら分からないけれど。」
ミカは、冗談交じりにカナエを労った。カナエは落ち着きを取り戻すと、ミカと並んで夜の帳が下りた街を見下ろしていた。
「あ、そうそう。昨日、タマとカナエちゃんに言い忘れたことがあるんだけど、二人のお願いを聞くだけなのもあれだから、私から二人にもお願い事をしてもいいかしら。」
「私とタマで叶えられるのであればいいですけど。」
まさか神様からお願い事をされると思ってもみなかったカナエは、きょとんとした顔でミカに答えた。
「ありがとう、じゃあダイスケ君たちを見届けたら私のお願い事を二人に伝えるわね。」
「...ここは、さっきの路地裏か。」
ミカに路地裏まで飛ばされたダイスケは、先程までの出来事が夢だったのではないかと思ったが、微かに残っていたカナエの手や指の感触やぬくもりを感じると、やはりあれは現実だったと言い聞かせた。路地裏を抜け出して店へと戻ると、お客さんは誰もおらず、膨れっ面をしたマナミがダイスケを睨みつけるように立っていた。
「もー、ダイスケさん。三十分経っても帰ってこないんだから。いくら絶世の美女だからといって、名前も知らないような初対面の女の人に付いていくなんて。告白でもされたんですか。」
マナミは、ダイスケの帰りを待ちわびていたのに三十分経っても一向に帰ってこない事よりも、初対面の美人に訳も分からないままついていったことに対して不服そうだった。
「ごめんね。告白じゃないけど大切な話だった。」
ダイスケはマナミに謝った。そして、一呼吸置いてさらに続けた。
「マナミさん、明日はお店を休もうと思う。その代わり、僕についてきてほしいところがあるんだ。明日は、いつも通りの時間にここに来てほしい。」
真剣な眼差しをしたダイスケを見て、マナミも膨れっ面をやめて真剣な眼差しでダイスケを見つめ返した。
「分かりました。明日いつも通りここへ来ます。」
「ありがとう。」
それから二人は、閉店までいつも通りの二人に戻った。マナミは、ダイスケがお店を休んでまで連れて行きたい場所について気になって仕方がないようだった。閉店作業も片付きマナミさんが帰った後、ダイスケは店の戸締りを済ませて裏口から店を出た。扉のカギを閉めて振り向いた先には、一匹のネコがこちらに背を向けてスタスタと歩いていた。
「タマ、久しぶりじゃないか。こっちへおいで。ちょっと二人で話そうよ。」
ダイスケは、スタスタと歩き去ろうとするタマの後ろ姿に声を掛けた。すると、タマは耳を器用に動かして後ろにいるダイスケの言葉を聞いているよだった。そして、器用に首だけを振り向いてダイスケを見つけると、ダイスケの方へと向きを変えてゆっくりと歩み寄ってきた。ダイスケは扉に背をもたれるようにしゃがむと、タマはその隣にある室外機の上に飛び乗った。ダイスケが腕を伸ばしてお座りしたタマの頭を撫で始めると、タマはゴロゴロと喉を鳴らしながらゆっくりとその場に寝転がるように姿勢を崩した。
「タマ、ありがとう。君が神様にお願い事をしてくれたんでしょ。おかげで、最後にカナエとお別れすることができたよ。」
タマは、撫でられてウトウトと細くなった目をしながら、ダイスケの方を見つめた。
「カナエちゃんに会えたの?」
ダイスケは、えっ、と声を出して驚いた。撫でていた手も止まってタマの頭の上で固まった。
「だから、カナエちゃんに会えたの?あと、頭の上に手を乗せられ続けるの重いんだけど。」
タマは、自分の頭を軽く潰しているダイスケの手を前足で払いながら言った。ダイスケは驚きのあまりタマに払われた腕にも力が入っていなかった。
「タマ、喋れるのか。今日は不思議なことの連続で、これが現実だと受け入れきれない自分がいるよ。」
「全部が現実だよ。僕がこうやってダイスケ君と喋っているのも、ミカちゃんが不思議な力をくれたおかげなんだ。ミカちゃんにはもう会ったの?」
「ミカちゃんってあの神様の事でしょ。そうだよ、おかげでカナエにも会うことができた。それにしても、神様を“ちゃん付け”で呼ぶなんて、相変わらずマイペースな猫だね。」
「だって、もう友達だもん。」
タマはそう言うと、大きく欠伸をした。
「そうだ、今日はタマにお礼が言いたかったんだ。今日の機会を作ってくれて本当にありがとう。おかげでカナエと会うことができたよ。」
ダイスケは再びタマを撫でてあげた。心無しかタマの毛が若い頃よりも細くなっているように感じる。所々に、白髪のような白い毛も混じっている。タマも年を取っている事を、ダイスケはしみじみと実感していた。
「んー、ミカちゃんには、“ダイスケ君の止まった時計を動かしてほしい”ってお願いしただけだけど。時計は動いた?」
タマは撫でられて気持ち良さそうにしている。
「止まった時計か、なるほどね。タマのおかげで少しずつ動きそうな予感がするよ。」
ダイスケは、タマの言った“止まった時計”が何を意味しているのか、どうしてカナエと会ったのか、頭の中で繋がって一人でクスリと笑った。
しばらくの間、ダイスケとタマはお互いの昔話をして盛り上がった。タマは、別の場所に行く予定があるらしく、ゆっくり身体を起こして大きく伸びをした。
「じゃあ、ダイスケ君またね。」
「ありがとうね、タマ。またね。」
ダイスケは去っていくタマの後ろ姿を見届けてから、自分も帰路へとついた。
家に着くと、風呂に入り夕飯を済ませた。自分の部屋に入り、机の引き出しにしまってあるエリの手紙を取り出すと、ゆっくりと開いた。いつもと変わらない文面を眺めると丁寧に折りたたみ、再び引き出しに大切にしまった。そして、部屋にあったカナエとの思い出の写真を優しく撫でた。
「カナエのいない世界で、僕は明日も生きていくよ。そのスピードに振り落とされないように、僕も毎日を精一杯生きていく。」
ダイスケは写真のカナエに向かってそう約束すると、明日に備えて早めに布団に入った。
宜しければ、サポートお願いいたします。