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あの時、時計は止まったのではなく終わったのだ。

久しぶりに彼女と連絡を取った。

彼女と言っても付き合っていたわけではない。ただ、お互いに少なからず好意は持っていたことだけはたしかだ。お互いに大学を卒業してから離れ離れになってしまい、かれこれ数年以上が経っていた。

僕は気まぐれに彼女に連絡をしてみた。理由は何もない、もしも付けるとすれば「ふと寂しくなった気持ちを紛らわしたい」ということにしておこう。数分程度で彼女から返信が来た。お互いに他愛もない近況報告をして盛り上がった。昔話をすればするほど当時の記憶が蘇ってきて、2人の返信スピードも上がってきた。ただ、やはり昔とは何か違和感があった。特にこれといった具体的な箇所を言語化できるほどに僕は感受性も語彙力無いのだが、会話のやり取りの節々に感じる昔とは違う何かを感じずにはいられなかった。

ああ、そうか。僕らが最後に会話をしたのはもう数年前だったのだ。そこからお互いに色々な人と出会い多くの経験を重ねて今ここにいるのだ。僕が見ていたのは昔のままの彼女だった。たしかに彼女は昔と変わらない優しさと面白さで僕はとても楽しい、ただ彼女を構成している根本的なそういう部分ではなくて言葉遣いや相槌の仕方などの彼女の枝葉の部分は昔と全く違う。そして、それは彼女も僕に感じていたのかもしれない。昔から変わらない傍若無人さとテキトーさ、フラッと突然いなくなる気まぐれさも残っているけれど、趣味とかこだわりは昔と違うところが多い。会話は盛り上がったけれど、僕らは今度会おうという会話は一切出さなかった。お互いに昔のように戻れる自信が無かったからだと思う。その日の夜は日付が変わるまでお互いに会話を続けたけれど、おやすみの言葉を最後に交わしてから翌朝からはまた連絡が絶えた。彼女は僕の変わらない気まぐれさに呆れているのだろうか。ただ、僕から彼女に連絡することは一切ないと思う。それは今まで通りの気まぐれとは違って、もうあの頃と同じようにふらっと連絡を取ったりできるような関係ではない気がしているからだ。

僕らの2人の時間はあの日に止まったと思っていた。だから、また時計の針を動かせば昔の止まった時間から再開できるものだと勝手に信じていた。実際は、僕らの2人の時間はあの日に終わっていたのだった。もう時計の針を動かすことはできない。もしも動かしたいのであれば、2人の新しい時計が必要だ。だが、もう2人の新しい時計を探すことはないだろう。きっと別の誰かと新しい時計を探すことのほうが大切だから。

きっとこうして人は思い出の時計が増えていくのだろう。時には、埃を被った時計を眺めては戻れない過去を偲んでは、今動いている時計と共に大切な人と時を刻んでいくのが人生だと思う。

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