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~ある女の子の被爆体験記21/50~    現代の医師として広島駅で被爆した伯母の記録を。 ”瓦礫の下”

(ノブコは、広島駅で被曝した。奇跡的に動いた列車で呉へ。しかし、おっ書に暮らしていたおばあちゃんを探しに8月7日の朝に広島へもどった。そして、とうとう、家のあった場所まで来た。)

ガレキ、おばあちゃんの家

一人で何も無い地面を川に沿って歩きながら、ノブコはそこには何があった場所か思い出していた。たしかにそこは、材木屋が建ち並び、寺が並んでいた場所だった。木造の家屋と店も並んでいたが、今は全くの焼け野原だ。土橋までは確かにもうすぐなのだが、道の境界線が無く、一体どこを歩いているのかが分からない。今立っている場所から、おばあちゃんの家は視界に入っているはずなのだが、全てが焼かれて、焼け残ったガレキが境界も無く広がっている。家がどこだか皆目見当がつかない。なんとか、路面電車の土橋の駅近くの線路を見つけ、おおよそ、この辺が家であろうという場所を見つけた。
炭になったガレキの重なりの上に立って、叫んだ。
「おばーちゃーん」
返事は無い。
突風がゴーッと音を立てて、砂やホコリを巻き上げる。
吹き飛ばされないように足を踏ん張り、声を張り上げた。
「おばぁちゃーん」
聞こえるのは風の音だけだった。
ふと、ガレキの下の土に、丸いものが見えた。それは、おばあちゃんと小豆を煮たときに使った見覚えのある鍋だった。鍋の一部は溶けて曲がっていたが、見覚えのある懐かしい鍋だった。
それから、ノブコはおばあちゃんの手がかりを求め、鍋の周りのガレキや土を両手で掘り起こした。茶碗や湯のみの破片、割れた皿や溶けたガラスの破片、その柄には見覚えのあるものばかりだった。
「おばあちゃん、この辺りで埋まっているのかもしれない‥」
両手で掘り起こしては見つからず、鍋で掘っても何も見つからず、また別の場所に移動しては手当たり次第、掘りつづけた。
小雨が降ってきたと思ったら、いつのまにか大降りになり、そのうちやんで風だけがふきつづけた。
家と家の境界がガレキで全く分からなくなっていて、隣の家の塀を一生懸命掘り起こして時間を過ごしてしまうこともあった。ふいに、黒くて四角い箱の角のようなものが見えた。
「あれは、うちの仏壇かもしれない」
ノブコは、沢山の瓦と天井板の中に体を挟みながら、黒こげの炭をかき出した。その下に、仏壇ではなく、ひっくり返ったちゃぶ台が見えてきた。おばあちゃんの家のちゃぶ台とは違っていた。そして、そのちゃぶ台の下から、球の様なものがゴロンと、2つでてきた。
よくのぞき込んでみると、それは、隣のおじさんとおばさんだった。


「ウワッ。これは、おじさんとおばさんの頭だ‥」
いつもちゃぶ台を囲んでお茶を飲んでいるおじちゃんとおばちゃんの体は見当たらず、ただ、焼けた頭だけが2つ並んでいた。昨日までは生きていた、一緒におしゃべりした、よく知っている人たちの死んだ姿を15歳のノブコは一人きりで見た。
四つん這いになって、慌ててその場から離れた。

ノブコは、離れたところから、手を合わすことしか出来なかった。

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