見出し画像

【エッセイ】年末短編エッセイ集2022

今年も気付けば残り1ヶ月。こないだ年が明けたと思っていたのに。今年はいつものプレイリストにエッセイを加えながら、その時感じたことなどを書き留めていたけれど、年末はエッセイオンリーで一本書きたいと思っていたので年が明ける前に書いておこう。

生みの苦しみ

かなり前からぼんやりとした小説の構想が頭の中にあって、それをアウトプットするにはどうしたらよいかと長い間悩んでいた。去年の冬、ようやく重い腰を上げて書き出したときに創作大賞を知って、今年の春は執筆でずっと睡眠不足だった。働きながら小説を書くというのは想像以上に大変なことだった。簡単に手を出すもんじゃない。まあ出したわけだけど。生みの苦しみを思い切り味わい、これまで味わったことのない達成感に満たされた春だった。

読み返してみると、幼稚な文章と設定に恥ずかしくもなるのだが、それはそれでファンタジーらしくて良い。特に上巻最後のシーンが気に入っている。アジトでは美しいラフマニノフが流れているのに、外は雨で川が氾濫している。ここに荒々しい描写をあえて入れたのは、これから待ち受ける試練と登場人物の揺れ動く心の内を表現したかったからだ。ラフマニノフは私にとってまさにライラックの花のように見惚れるほど妖艶でありながら、同時にどこか儚さを感じさせる繊細な存在で、このシーンにぴったりだと思って書いたのを覚えている。闇を掘り下げながら一つずつアウトプットしていく作業の中で、時に抜け出せない負の思いにはまることがあるのだが、それをラフマニノフがうまく中和してくれていたのだと今になって思う。

執筆はまだ続いていて、この一年間時間を見つけては書き足しているのだが、忙しいとか体調が優れないなどと何かしら理由をつけて、都合よく休んではまた書いてを繰り返している。効率の悪さに嫌気がさしたこともあったが、今はそういう執筆も良いなと思っている。時間をかけて見えてくる世界もある。それを執筆を通して味わえるのは光栄なことだ。年末暇ですよという方は「愛を、建てる」上巻を読んでみてほしい▼
https://note.com/dropstudio/n/n941655b61feb

日常を愛するためには

5-7月はホテルに泊まり、意識的に日常から離れる試みを取り入れた。家が一番と思い込んでいたが、飽きたなと思った瞬間全てが嫌になる。全く違う環境に身を置いてから家に戻ると、またいつもの環境を愛せるようになっている。この不思議な感覚を得てから、時間とお金に余裕があるときは「ちょっとお高めの趣味」と言い聞かせてホテルを予約する。簡単に言えば気分転換なのだろうけど、色んなものを一旦置いて、自分に向き合う時間と言ったら良いだろうか。自分に集中するセルフケアの時間。家を離れることで、意外とすんなり邪念を取っ払うことができる。身を置く場所でこんなにも違いが出るのであれば、もっと早くにこの方法を取り入れるべきであったと、初めて泊まった時に強く思った。ホテルにまつわるエッセイはこちらから▼

異変から得たもの

7月あたりから人生初の不眠症と拒食症に悩み、私は改めて当たり前の日常に感謝することになる。この歳になって夜中に羊を真剣に数えることになろうとは思ってもみなかった。羊は私の脳内で馬に姿を変え、一晩中踊り狂う。結果私は一睡もできない。眠いって何だっけ、食べたいってどういうことだっけ?という人体のメカニズムに迫る問いを続けた。

当たり前などどこにも無い。ちゃんと理由があって繋がっている。それが続くから当たり前と錯覚する。人の当たり前は、錯覚でできていることが多いのだ。具合が悪くなって初めて得られた大きな気付きは、ものすごくベーシックで日常に溶け込んでいるものだった。そういう日常の、自分の中の、そして自分を取り巻く「当たり前」にちゃんと感謝しなければと、改めて思うきっかけをもらえた。

折り合いをつける

自分一人ではどうにもならないことに対しては、深く悩んだところでどうしようもない。どうしようもないけれども、どうにかしたい。そんな時は少しワガママになって、「こういう感じで行きますんで」という自分の中での折り合いをつけると楽になる。周りの目や常識などは一旦無視して、自分の方針を自分の中で宣言すると、ストンと落ち着くことがある。何を悩んでいたのだろうと、深く悩んでいた時間を不思議に思うくらいに。

対人関係でも、この「折り合いをつける」考え方が効果的。暖簾に腕押しの状況であがくよりも、「はい、ここまで」と自分で区切りをつけていくと案外スッキリ片付くことが多い。最初は勇気が要るけれど、結局は自分を守ることにつながる。自分が萎れていては、自分の大切なものも、人も、守る余裕がなくなる。そうならないために、対人関係でも潔い折り合いは必要なのだと思う。

日常においても、例えば毎日自炊しなければと踏ん張っていると疲れてしまう時があるはず。インスタントや外食も立派な食事。週末は料理しないと決めておくのも一つの手。簡単に作れるメニューをストックしておくのも良いと思う。代案というか、やる気の出ないときのカードを常備しておくと、それだけで気持ちが楽になる。

人間はそんなに強くできていないから、弱った時の対処法はたくさん用意しておいた方が良い。これは私が生きて来た中で得た教訓の一つである。その一つとして「折り合いをつける」を取り入れると、心の荷が少し軽くなって、ふんわり柔らかな対応ができるようになったりする。折り合いが一つの妥協点となって、物事を一度終着させてくれる。難しい問題こそ、こうやって折り合いをつけながら、ステップバイステップで解決に近づけていけると良いかもしれない。

食べ物は、人間そのもの

バナナ半分でも、5日間くらいは余裕で生きていける。人間は意外としぶとく生きられる生き物なのだ。でも確実に健康ではない。そこがポイントだと思う。栄養バランス云々ということもそうだけど、つまるところ美味しく食べることができていれば結果的に健康なのだろうなと感じる。不味いものを健康に良いからと無理に食べ続けるより、遥かに健康的な気がするのだ。

自分が美味しいと感じられるものの中でバランス良く、というのが一番理想的だろう。この一年は、そういうレシピを探す旅をしていた。面倒臭くなくて、栄養価が高くて、コスパが良いもの。こういう主婦の願いがギュッと凝縮されたドンピシャレシピは、出会えたらもう運命と思って保存すべし。ここからは今年の私的ドンピシャレシピをランキングでご紹介。

3位*お刺身カッペリーニ
お刺身が値引きされていたらそれは運命、今夜は冷製パスタに決定。
①お刺身に塩を振っておく
②パスタ茹でて氷で冷やす
③①のお刺身の水分を拭き取って、柚子胡椒・醤油・オリーブオイルで漬けておく④パスタ合体
⑤完成

2位*アクアパッツァ
焼き魚以外、魚料理思いつきませんという人の強い味方。野菜も一緒にとれるありがたメニュー
①オリーブオイルとニンニクを熱し、魚に焼き目がつくまで両面焼く
②アサリ、トマト、ブロッコリー、キノコを入れて水と白ワイン投入
③蓋をして10分くらい煮込む
④塩胡椒で味を整えて完成

1位*れんこん肉団子
今年ダントツ1位は、れんこんの底力を見せつけられたこの一品。ぜひ年末のお鍋用に。
①れんこんをすりおろす。ちょっとみじん切りも混ぜておくと食感がGoodになります
②①に小麦粉、ひき肉、お味噌、ナツメグ、胡椒、生姜を加えてねるねるねーるね
③お鍋にぶち込んで煮る
※焼いても美味しいから作り置きにもおすすめ

どれもほんとに美味なので、ちょっと食欲ありませんというときや逆に食べ過ぎてお腹ぽこってきた人はぜひ。ほんとにれんこん肉団子は店出せるって思ったくらい美味しかった。店は出さないんだけど。ぜひ。

青緑のダムで泳ぐ

秋深まる10月下旬、とある山に紅葉狩りに出かけた際、少し先にダムがあるという噂を聞きつけ向かった。どこからどう見てもダムですと言わんばかりの青緑の水沼。不気味なほど静かで、動物の鳴き声が遠くで低く響いている。濾過されたのか分からない中途半端に濁った雨水が波すら作れず貯まる様は、どこか虚しく切ない。

ダムを見る機会など一生で数えるくらいしかなかろうと思い車から下りてみると、小さな釣り堀とアヒルさんボートがある。釣り堀では常連と思われる爺たちが「今日はだめだァ」などと話しており、(比較的)若人の我々はとても近付き難い。仕方がないのでアヒルさんボートを、と思って料金を見て目の玉がダムに落ちるところであった。1時間2000円。ボートの主も恥ずかしそうに笑いながら2000円と言うのだから、馬鹿げた料金設定であることを自覚しているのである。普通のボートが400円なのに、アヒルになっただけで1600円増しとはどういうロジックなのか。甚だ信じ難いが二人ともボートを漕ぐ元気と勇気を持ち合わせていないため、クソ高いアヒルを選ぶこととなった。こうなったら2000円分楽しむしかない。

2000円のアヒルはたいそう年季が入っており、漕ぐたびに鈍い金属音が鳴る。週末というのに曇天だからか、そもそも人気が無いのか、我々以外にアヒルを漕ぐ観光客はおらず、広いダムに鈍い金属音とバシャバシャという水音が鳴り響く。ただでさえ不気味なのに少女の叫び声のような動物の遠吠えが聞こえたり、廃車が半分沈んでいたりとホラー映画さながらの演出で、我々は震え上がっていた。おまけに山奥で気温がどんどん下がっていき、上着を車に忘れてきたことを心の底から後悔した。遠くからバリバリと音を立てて釣り船が向かってくる。足で漕ぐボートとは比較にならないくらい速く、うらやましいねなどと笑い合ったのも束の間、釣り船による大きな波がアヒルを襲い、アヒルの中に水が入るくらいのとんでもない横揺れで顔面蒼白となる。得体の知れないダムのど真ん中で死ぬわけにはいかない。ひとしきり叫んだ後、我々は次の波に備え作戦を練る。波に対して横にアヒルをつけると横揺れでボートが大きく揺れる。波を頭から乗り越えるような状態で挑んでいこうということとなった。この作戦が功を奏し、その後の波はなんとか乗り越えることができた。戻る頃には汗ばんでいて、アヒルさんボートに乗ったというよりは奇跡の生還を果たしたという気持ちであった。総じて(生きて帰ってこれて)2000円の価値はあったと思うが、後にも先にもこんなにスリリングなアヒルさんボートは二度とないだろう。

色々どうでもよくなる年末

ハロウィンが終わると急に今まで絞り出してきたやる気が一気に失せて、「もう年末だしどうでもいいや」とだらだらし始める現象を、何と呼んだらよいのでしょう。仕事は忙しさのピークを迎えているのに、そういえば有休消化できなかったななどと、今じゃないだろということをわざわざ思い出し、人迷惑な連休を急に取ってサイコパス呼ばわりされたりする。大掃除のために重曹は買ったけど一生使わないとか、断捨離だと思って物をひっぱり出したままで終わってる=散らかしただけ、とか。どれもこれも年末のせいなのだ。

特にクリスマス後の年末までの数日間は、毎年記憶がない。ご時世関係なく筋金入りのインドア派だから、家に(いつも以上に)篭っているわけだけど、そのせいか記憶に残っている思い出が本当に一つも無い。去年の年末さえ思い出せないんだから、本当に何もしていないのだと思う。お菓子作りとか、ちょっとシャレたことでもやっておけばよかった。この記憶のない魔の数日間をメモリアルに過ごすべく、今年はジグソーパズルを導入することを決めた。年末のしょうもない特番や映画を横目で観ながら、手はパズルに集中。何を観たかすら記憶に残らないのであれば、せめて形あるもので残しておこうという作戦である。食べたら忘れてしまうお菓子とはわけが違うのだ。

ここに来てうっすらと、いや鮮明に「パズルに手を付けない」という選択肢が浮かんでくるが、そこは心を鬼にして、パズルを購入した時の意気込みを胸に、今年こそ記憶に残る年末を過ごしたいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?