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#31【頼】「助け、助けられる」人に②/2

最近物を失くします。
スマホとかバイクの鍵とか・・・
外国で物を失くすと、当たり前ですがめんどくさいです。
今のとこタイ人の優しさに救われて何とかなってます。奇跡ですね。

サワディーカップ。
前回の続きです。

前回記事…

本当の「自立」を促す心

前回の記事で、「頼ることこそ本当の自立」という話をした。
ずっと頼りっぱなしで生きてゆけということではなく、
いざ自分が必要な何かを手に入れたいときや困ったときに、
自然に周りの力を利用できることが大事だと思う。

僕がキャプテンの時に感じた気持ちは、
事実これまで中高生とかかわる中で多くの子どもが感じていたことだから。

普段から、「いざというときに頼れる」ようになるための準備というか心構えは必要だと思う。
具体的には…
①頼ったときに話を聞いてくれる関係性を作る
②自分が頼られたときに力になる
③プライドと恥(と思い込んでいるもの)を捨てる

特に僕の中学生時代は③が圧倒的に足りなかった。
キャプテンとして周りに弱みを見せてはならない、周りに頼ることは自分一人で出来ない証拠だ、くらいに思っていた。
でも、それは良いプライドでもないし、恥でもない。
むしろ周りからしたら「頼ってくれない」ことの不信感が増して
距離感が生まれてしまう。
①②は当然のことながら、③をいかにほぐせるかが大切だと思う。

教育の力で「自立」をはぐくむ

とはいえ、与えられたことをこなすだけの環境にいると
どんなに意識したって自立心ははぐくまれない。
教育現場に例えるなら、
「全部一人で勝手にやりなさい」も
「全部教えてあげるからね」も
自立心の向上にはつながらない。

「個別最適化学習」や「学びあい」「教えあい」といった最近の教育トレンドで本当に身につく力とは、
自分が困難にぶちあたったときに
「自分で解決できそうか」
「解決できなさそうなら、誰にどう頼るか」

を自ら考えることのできる力なのではないか。

生徒指導もそう。
トラブルが起こったときに、すぐ何でもかんでも介入したがる教員がいる。
けど、本当に大事なのは
当事者間で解決できそうなのか、
出来なければ第三者の友達が入れば解決できそうなのか、
それでも無理なら教員が入ればいいのか、
親が必要なのか、
警察か、裁判か。
こういう順序を当事者に考えさせることだと思う。

余談だけど…

タイの人は自分の子どものことが大好きで、
中学生高校生でさえベタベタお母さんがくっついている。
サッカーの練習中に小学生の靴紐がほどけると、親が慌ててピッチのなかに入ってくる。
これでは、「いつ自分でやっていつ他者に頼るのか」の判断がつかない。
タイは仕事で結構なことをやらかしても「マイペンライ」(問題ないよ)で済まされてしまうのも風土としてあるとは思うけど。

改めて「自立」という言葉について

こう捉えていくと、「自立」という漢字が良くないか、
あるいは改めて別の造語を生み出す必要がありそう。
ちなみに光村図書には鷲田清一氏のこんな文章がある。

「自立」は「依存」を否定する「インディペンデンス independence (独立)」ではなく、むしろ、「依存」に「相互に」という意味の「インター」を付けた、「インターディペンデンス interdependence (支え合い)」として捉える必要があります。

光村図書国語3 鷲田清一の文章より

これを中3の教科書に掲載しているあたり、やはり当時の僕と同じような悩みを抱えている中学生は多いんだろうなと思う。
東書だった母校を恨むよ…(笑)

まとめ

「助け、助けられる人間に」

このスローガンは、僕の反面教師的な学生時代の経験を基にしている。
うまく頼れる人の周りには人が集まる。
そんな同級生がうらやましかったし、今でもそういう生徒を見るとうらやましく感じる。

僕も、今は迷ったら周りに連絡するようにしている。
僕の人生の中で、結構大切なワード。

あ、野良犬たち。
君たちはそろそろ自力でエサを探しなさい。
ちょっと頼りすぎだ。

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