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The story of a band ~#44 WAVE ~

念願だったMVの配信。それと同時にサブスクでの楽曲配信。地元の人にも知って欲しい出来事だった。

そこで、地味ではあるが、地元民がよく集まる居酒屋やBAR、CAFE、ラジオ局などに手作りのポスターとCDを持ち、宣伝に回った。古いやり方であるが、やはり人の顔が見える宣伝は、いつの時代も大切である。

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快くポスターを貼り、CDを置いてくれる店が多かった。

地元ラジオ局こそ紹介してほしいことだったのだが、直談判はしても、残念ながらそれは叶わなかった。

もしかしたら、そうした地元バンドの紹介をするメリットがなかったのかもしれない。

地元唯一のCDショップにも訪れた。今や有名になった地元のスターである高橋優のポスターが所狭しと貼られている。dredkingzのポスターの掲示をお願いしたが、きっと埋もれてしまうだろう。

さて、地元周知のための行動をしながら、1月のライブに向けて練習をしていた。

秋田市のライブハウスで都合の付く日時を調べてみたが、ツアーバンドなどすでに企画が入っており、出演の空きがなかった。

「3月までに1回はライブしたいよね。」

そう、皆で話し合って決めたライブハウスは、岩手盛岡市のculub change waveだった。

客の動員はdredkingz初進出のため期待できない。しかし、勢いに乗っている今の歩みを止めることはできない。そう決断し、他県ライブハウスでの1月20日の出演を決めたのである。


ある日の練習日に、いつものように今河からスケジュールの追加情報が告げられた。

「実はさ、ブッキーからまたライブの依頼が来たんだ。3月30日に俺の還暦祝いのライブをやると計画されているらしい。もちろん、dredkingzでの出演だよ。たぶんトリ。持ち時間はかなりあるらしいから7曲ぐらいはいけるかもね(笑)。」

「そうですかあ!いや、何より今河さんが還暦だと思いませんでした(笑)!見た目は全然若いっすよね(笑)」

「いや、だから『還暦ライブ』って名前だけは嫌だなあ(笑)。」


1月。岩手盛岡でのライブが行われた。その出演バンドでNever say neverという若手バンドと親しくなった。勢いのあるバンドで今後も対バンする機会がきっとあるだろうことを予感した。

予想通り、日曜日のライブということもあり、dredkingzは秋田や地元からのお客を呼ぶことはできなかったが、今河のファンだという人がお客としてライブを見に来ていた。

「あ、今河さん!今日はがんばってください!皆さんも!」

「ありがとう。人少ないけど見ていって(笑)」

「あ、これ差し入れです。どうぞ。」

チーズケーキのような良い香りのお菓子だ。

「あと、これを今河さんにプレゼントしたくて。」

今河は、LED ZEPPELINのロゴが入っているパーカーだった。今河の大好きなバンドをよく知っている。今河は恐縮しながら感謝の意を述べた。

ライブは客が多かろうが少なかろうが関係なく、全力の演奏。目の前の人のために行う。それがステージに上がる者の姿勢だ。

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そのパフォーマンスによって、岩手の若手バンドとの交流の橋がかけられ、今後は盛岡市でもライブをやっていけるなと、活動の可能性を見いだすことができたのである。


ある日の練習日。いつものように練習場所に向かうと、駐車場に見たこともない車が停まっている。

「誰かいるのかな・・?」

誠司が音楽室の扉を開けると、今河のまわりには3人の男性がいた。どうやら、今河はインタビューを受けているらしい。

後で聞いたところ、TBSのある番組で今河の特集を企画しているのだという。その番組は、一人の人物が苦労した過去を乗り越え、現在何をしているのかを紹介する番組だった。

今河は自身の過去から現在に至るまでの話をインタビュアーに話していた。今河の口元に録音マイクが向けられ、カメラも回っている。

「やべえ、俺たちもテレビに映るかも(笑)。練習風景とか(笑)。」

誠司も仁志も、準備をしながらそわそわしていた。

今河のインタビューが一段落し、練習がいよいよ始まるというタイミングで、「それでは、夕飯今から食べに行ってきます。また来ますので。」と3人は音楽室を出て行った。

「なんだよ・・・。残念。」

どうやら、このバンドには興味はさほどないようだった。今河が、最も長く所属し、音楽人生を懸けているバンドなのにと考えると、少し残念な思いがした。


次のライブは3月30日。荻窪club doctorで行われる。その日まで約1ヶ月半を切っていた。










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