The story of a band ~#50 cloudy ~
5月。秋田市ライブの余韻を残したまま、誠司は一旦バンドを離れた。
8月の横手『音フェス』の出演は、3人体制でのアコースティック形式による出演。ライブから一週間後には、もうその練習が始まった。
これまでのバンドサウンドをアコースティック調にする取組。迫力はないが、いろいろなアプローチができる。
しかし、今河の身体の調子が更に優れなくなっていた。カホンを叩くのだが、いつもよりアタックが弱い気が仁志には感じられた。
今河はそのことにはもちろん気づいており、試行錯誤を重ねていった。
例えば、両手のアタックだけでなく、曲によっては、ペダルを併用して、その雰囲気を損なわないようにしたり、指先に金属をテープで貼り付け、高音を響かせようとしたり、新しいカホンを購入したりした。
様々な試行錯誤の様子を間近で仁志は見ていた。
たとえ誠司が復帰したとしても、果たして活動を継続できるかは不安であるが、今河の揺るがない精神は、そうした不安を凌駕するものとなっていた。
バンド演奏ではできなかったバラード曲『Stay』は、この体制でならできるということで、セットリストに加えている。合計5曲を演奏することに決定した。
8月。『音フェス』は、最高気温が39度の猛暑に行われた。dredkingzは、予定通り、午後の出番であり、猛暑の中、3人体制で演奏をした。アコースティックでの演奏は初めてだったが、いつものライブと同じように、客との対話を楽しんだ。
終了後、いつも見に来てくれる客と話した。アコースティック演奏もよかったが、やはりバンド演奏が見たかったと言われた。仁志は、確かにそうだなと思った。
外はギラギラと太陽が照りつけ、次のバンド演奏を迎えている。
涼しい室内に楽器を片付け、「お疲れ様でした」と声をかけ、3人は丸テーブルの周りに座った。
3人は、しばらく黙ったままだったが、今日のライブや今後の話をする中で、心に秘めていた不安を話し始めた。
「今河さん、少しバンド休みたいんですが・・。」
神崎がそう言うと、今河も口を開いた。
「・・・・うん。・・・・そうしようか。俺も足の調子が日に日に悪いから、しっかり治したいんだよね。俺さ、ドラムの師匠に相談したとき、足の震えは長年ドラムをやってきたせいで、癖になってるかもしれないって言われたんだよね。でも、なんとなく心当たりがあって。ほら、俺ECHOESの時、倒れたじゃん。そのとき、生死の境をさまよった、っていうか覚えてないけど、しばらく心拍停止の状態だったんだよ。当然、脳に酸素が供給されずに後遺症が残ってしまったんだけど、それが今になって更に影響しているのかなって。歳のせいでもないとは思うけど。」
はっきりとした原因は、分からないが、思うようにドラムを叩けなくなってきていることだけは分かる。
今河はずっとその不安を抱えながら、ここまで耐えてきたのだ。しかし、その我慢も限界にきていたのか、その思いが言葉になってあふれ出したのだた。
今河の再起、誠司の復帰を待ってから、dredkingzをまた始めようという話になった。
しかし、それがいつになるかは分からない。
仁志はふと思い出したかのように、今河に聞いてみた。
「今河さん、一つ聞いてもいいですか。今更なんすけど、TBSの番組。あれ、どうなりました?もう、大分時間経ってますけど。」
「ああ、あれ。いや、一向に連絡来ないんだよね。もしかしたら、何かの事情で遅れているか、ボツ企画になってしまったか(笑)。」
「そうですか・・・。」
何か大きな雲がこのバンドを包んでいるようで、メンバーの思いは揺れていた。
「焦ることはない。今は、じっくりと自分を見つめ直そう。」
そう、自分に言い聞かせるしかなかった。
しかし、誠司は育児のため、なかなかバンド活動に参加することが難しく、今河も足の不調が長く続いた。そのため、今河は、時々、東京に招かれて出演した友人とのライブでは、ドラムではなく、カホンでの演奏がメインだった。
結局、dredkingzの活動再開の兆しは訪れず、翌年を迎えようとしていた。
今河から仁志に久しぶりに連絡があったのは、2019年12月下旬のことだった。
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