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#17周りの環境で作られる基準と正解。私は一生体に傷を残したが、人生の傷は色々あると思う。環境が与える影響の恐怖を伝えたい。(貧困幼少期からNPO代表理事までを100日で振り返る)

母が疲れて家事をできなくなることから、家の中は徐々に荒れていきますが、今日は傷を負った話を・・

即席、一生傷

いつの頃からか、高学年のお兄さん・お姉さん達と過ごすようになっていました。同級生から、親から遊んだらダメと言われたと聞かされる事で誘えなくなっていました。

公園で一人で遊んでいた時に声を掛けてもらい、お姉さんたちの家も離婚している家が多く、その理由もあって仲良くなれました。家庭環境が似ていると共感できることや話せることがあったのです。
お姉さんたちの家は、家がゴミ屋敷みたいだったり、同性愛のお母さん同士が同棲している家の子供だったりしました。ちょっと環境が複雑な面はありますが、不思議と面倒見が良くて優しいのです。

ただ先生や近所の人からは、『あの子たちとは遊ばない方がいいよ』と言われたりしました。けれど、私もまた遊ばない方がいいといわれる対象になっているわけで、何も知らないくせに・・・うるさいと思っていました。

人から見て当たり前じゃないことも、ジム・ローンの名言の「自分の周りの5人を平均すると自分になる」という言葉のように、当たり前の基準になっていきます。

お姉さんは『ナンパされた』とか『テレクラで呼び出したおじさんが面白かった』とか、小学生の遊びと今思っても考えられないことをしていました。身長もあり化粧をしていたので声を掛けられたのだと思います。低学年の私はそれがいいのか悪いのことなのかも、わかりませんでした。

お姉さんに連れられて、知らないおじさんが遊んでいる中に混ざっていたこともあります。ネットもない中で、どこで出会ったのかを考えると不思議ですし怖いですが、そんなこともあったのです。それがいいのか悪いのかも、理解していないからこそ、その場所に居続けるわけでした。

そんなことおかしい!!と思われる方もいるかもしれませんが、おかしいかどうかを判断できるだけの「判断基準」を自身で持ち合わせていない場合は、当たり前の環境だと認識していました。

母はこんな私の行動は知る由もなく、日々過ごしていましたし、帰ったときに家にいれば、その子が家にいたのか、誰かと遊んでいたのかは聞いてみないと分かりません。母は話を聞くだけの余裕はありませんでしたが、子供さんがいる方は聞くことはとても大切だと思います。

関わらなくなるのは、一生傷がキッカケです。

土曜日、お姉さんの家で三角座りをして、カップラーメンを膝の上に置いて漫画を読んでいました。(お姉さんの足の踏み場はないので三角座り。行儀が悪いですが、子どもしかいない環境に、行儀という規律を求める人はいません)

その不安定なカップラーメンが出汁がこぼれて私は火傷しました。

「熱いーーーそして・・いたい・・・」

服に出汁のシミがじわっと広がって、肌に熱さを感じます。

『大丈夫?!』

「痛い・・・」

『うーん。どうしたらいいんやろ。火傷やろ?多分ほっといていいと思う。テレビで見た気がする!けど、火傷ってかっこいいやん!』
お姉さんたちは火傷ってかっこいいなと褒めてくれました。赤くなった皮膚がまるで勲章のような気持ちになりました。

「(火傷っていうんや)かっこいい?ほんま?うれしいなぁ」

今思うと大馬鹿としか言いようがありませんが、痛いと思いつつも、お姉さんたちが良いというなら大丈夫なのだとそのまま過ごしました。

ーーー
夕方
ーーー
カギを開く音が聞こえたので、玄関まで迎えに行きます。
『おかあーさん、私今日な、火傷してん。ちょっと痛いけど、そのうちよくなるみたい。見る?』と母に見せました。

(かっこいいやろーーー)

「なんやて!?あんた、冷やしてへんのか?!」

『うん。だって、そんなんしなくても治るって』

「あんた、あほちゃうか!」
昼間は赤いだけでしたが、その時にはオーストラリア大陸の輪郭をあいまいにした範囲が3ミリほど赤く膨れ上がっており、さらに水疱が複数割れた跡がありました。母はすぐに水で濡らしたタオルを傷口にあてるように言い、そのまま病院へ。処置が遅かったことから傷が残ると先生にいわれて、母は傷ついていました。

『あんたがケガだけはしないように気を付けていたのに、まさかこんな形でケガするなんて・・・・』

「ごめんなさい・・・」

『ほんま、あほちゃうか・・。火傷は冷やさなあかんやろ・・』

「ごめんなさい・・・」

熱湯がかかったら冷やさないといけないと、この時初めて知るのでした。そもそも火傷というものが何かも理解していませんでした。その時の傷は、わかりにくくなったものの今も残っています。

ラーメン出汁がこぼれて、一生傷ができるという馬鹿な話もあるわけです。

母がケガをしないように気にかけてくれていた事を知って、申し訳ない事をしたと、火傷を自慢げに感じていた自分が情けなくなりました。(この時代の私は情けなくなることが沢山でした)

些細なことで一生傷を負うわけですが、誰が悪かったのか?
お湯がこぼれた時の対応をしていなかった母?
熱いなら冷やすという連想が出来なかった私?
間違った情報を教えてくれたお姉さん?

何かが違えば結果は変わっていたのか…と考えても、あの環境では遅かれ早かれ今回の怪我をしていなかったとしても、傷を負っていたと思います。お姉さんだと慕っていた人も、世間ではただの小学生なのです。

怪我の延長線の傷でしたが、人生の傷は様々な形で負うことがあると思います。その時に理解できる範囲というのは、自分の想像の範囲内ですが、その範囲外があることを知って貰えたらと思い綴りました。

私は知るということの大切さを、この先の経験でも感じていきます。NPOの活動の中で、互いを知る事を掲げた理由にもなっています。
知らないことは理解できませんが、知るきっかけがあると、理解できないと理解できるの隙間が少し埋まるのではないかと信じています。

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ささいなことで人生は変わると信じています。
それは、人生の大きな決断の手前にあるキッカケになるのではないかと。節目を思い出すと決断の前には、ささいなキッカケがあったからです。見て下さったあなたの何かのキッカケになればと思って綴っています。
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