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#51子供の時に将来なりたいものは「大人」でした。正直夢なんてなかったけど、今は夢しかない。いくつになっても夢は描けますね。(貧困幼少期からNPO代表理事までを振り返る)

ナニワ金融道を見れば見る程、緒形拳が演じた金子高利社長がかっこいいなぁと思います。3で船舶関係だったのですが、海事代理士という存在を学びました。知らない事ばっかりで人生は面白いなぁと思います。

将来の夢を想像できる環境があるだけで幸せかも

最近●年後どうなりたいか、という話をします。
皆さんは3年後どうなりたいですか?
私はこうなりたい!が、色々話せるようになりました。

ただ、昔は一切出てきませんでした。
なぜなら、毎日隣が暴れるヤクザな時点で相当おびえていたからです。

生活の基本に 怯える 暮らしがあったことで、精神は不安定でした。

とはいえ、吐き出せるところもないわけです。
「隣ヤクザやってん」と言えたのは成人してから。
その理由は母が人に言うたら馬鹿にされるで、と言われていたからです。

小学校の時に毎日願っていたのは、「大人になりたい」だけでした。
大人にさえなれば自分の力で生きていけるけれど、子供には自分で選択することができなかったからです。

少年よ大志を抱けという言葉を知ったときには、本当に意味が良くわかりませんでした。それでも時間がたって今は夢しかありません。

夢を描いても叶わないという人もいますが、人生は切り取り方で100人いれば100通りの解釈が出来ると考えています。
夢は描けるだけ描いて、それに対してするべき努力をしたら叶うと思う今です。
NPO作ったときは認定NPOは見えて無かったのに、今は認定NPOを目指していたり、夢の先はまた夢が出てくると感じています。

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ささいなことで人生は変わると信じています。
それは、人生の大きな決断の手前にあるキッカケになるのではないかと。
節目を思い出すと決断の前には、ささいなキッカケがあったからです。
見て下さったあなたの何かのキッカケになればと思って綴っています。
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