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【合理的配慮】というコトバについての考察

平成28年4月に障害者差別解消法という法律が施行されました。

この法律は、全ての国民が、障害の有無によって分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会の実現に向け、障害を理由とする差別の解消を推進することを目的として作られた法律です。

段差が障壁になるなら段差解消を、見えない人には点字や音声を、聞こえない人には手話や筆談を、知的な障害があって理解しづらかったらわかりやすい表現や絵を使った説明を、コミュニケーション支援が必要な場合はそういった支援者の付き添いを、などなど。

全ての人の人権を等しく大切にするために、そういった細かな対処をしていきましょうね、という法律です。


内閣府のリーフレットには

【合理的配慮を知っていますか?】というタイトルが書かれています。


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現在のところ【障害を理由とする差別解消のための合理的配慮】は、公的な機関の義務であり、事業者は努力義務ですが、国際社会の流れを見ているといずれ社会の皆さん全体の【義務】になっていくと思われます。


さて、この【合理的配慮】というコトバ。

この法律とともに世間に広く認知されることとなった言葉なので、どこかで聞いたことはあるかと思います。

なんの疑問も持たずに聞き、使われているでしょうか。

私も最初はさほど疑問を持ちませんでした。

ところが、何度か聞くうちに、そして自分でも使ってみるうちに、なんだかチクチクとした違和感を感じ始めました。

その違和感を、私と同じような障害者のお母さんに話してみましたら、彼女も同じように感じていました。


配慮=他人や物事を気にかけ、注意を払うこと。事情を踏まえて、相手に思いやりのこもった取り計らいをすること。


そうなんです。確かに有難いんです。

『ご配慮ありがとうございます』って気持ちになります。


そう、そこなんです。

【配慮】って【感謝】とワンセットなんです。

人間の感情が介在しているんです。

もちろん、当人は(障害者の家族も)いつも感謝しています。

感謝しろと言われるから感謝するんじゃないですよ。

多くの方々からの優しい思いやりや心からの親切心にいつも温かい気持ちになり、嬉しくなり、感謝しない日はありません。

でもね、【感謝してね】と聞こえるとちょっとしんどいな、って思ったりしません?私、ひねくれているかしら。

しかもそれが一生ずっと続くとするとどうでしょう?

とある方(障害をお持ちではない方)にそう言うと、『私、子育て中にベビーカーを運んでもらったりしたとき、ご配慮ありがとうって素直にそう思ったよ』っておっしゃいました。

やっぱり私がひねくれているのかしら、とちょっと落ち込みました。

でも、先日同級生(彼女も非障害関係者)に同じことを話そうとした時、『あのね、配慮って言葉ってさぁ…』と言いかけたら、彼女はすぐにこの言葉が持つ小さなニュアンスの棘を受け取ってくれたのです。

『うん、うん。なんか【してあげる】【感謝してよね】って感じだね』と。

最後まで言わずに通じる人がいたことがすごく嬉しくなりました。


ベビーカーを運んでもらったり、妊婦時代に席を譲ってもらったり、子育て中に親切にしていただく配慮って、いつか自分もして差し上げることのできる配慮なんですよね。

高齢者が老いて社会のお世話になったりするのは、今までその方も社会のためにしてこられた思いやりだったりします。

だから感謝も持ち回り。お互い様ってやつです。


でも、障害を理由とした不都合が起こらないようにという【合理的配慮】は、いつか代わりに私もして差し上げたい、と、お互い様意識で役に立って差し上げられない【一方的な配慮】になりがちです。

つまり、【当たり前にある権利じゃない】感じ。

毎度毎度誰かにおんぶに抱っこ、誰かの手を借りなくちゃ暮らせない。必ず誰かに配慮いただくことのちょっとしたしんどさ。

そう、そんな感じの小さなニュアンスがチクチクとした棘のような違和感だったんです。


前述の、障害者のママさんとは『【合理的対処】ならよかったのにねぇ』と語り合いました。

そうなんです。

【合理的対処】ならば、『やってあげるよ』というニュアンスが減ると思いませんか?

あくまでも客観的な行動の説明表現なのであって、人間の感情は介在せず【ご配慮】じゃない感じ。

それが少し気を楽にさせてくれる感じ。

これが、非障害者に伝わるといいなぁ…と思ったので今日は書いてみたんです。


私自身は今のところ障害者じゃありません。

だから私が人さまにして差し上げることはきっとあるように思います。

でも、娘が人さまに配慮いただいてばかり、何ならご迷惑ばかりかけていると思うのはとても辛いものです。

【配慮】と言う言葉が使われ続けていると、近い将来、社会全体が努力義務でなく、義務として【合理的配慮】をすることになった時、『障害者に合理的配慮をしてやらんとうるさく言われるからなぁ』と鬱陶しく思われる方も出てくるんじゃないかしら、と懸念します。

少しでも、【マイノリティが生きやすいためにこんなことが用意されている、それって当たり前のこと】って、誰もが受け取れるような言葉だといいなぁ、なんて感じたんですよね。

多少捻くれているのは私自身の性格と感じ方によるものです😅

世の多くの障害関係者さんがそうであると言っているわけではありませんのでどうぞご理解くださいね。



最後までお読みくださりありがとうございました。

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地域の保健室をしつつフリーランスとしてお仕事している笑顔大好きな【なつまま】が、重度障害であるアンジェルマン症候群のキュートな娘との豊かな生活と、医療や福祉について思うこと、日々の小さな気づき・感動などを綴っております。

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